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名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 諫めを受け入れる器

一船の酒殘らず失せたりとも、我身に於てさせる痛にあらず、去れども我に指圖受くべき便宜なきに依り、一樽贈りしとは能くも計らひしぞ、我前を憚り與へずば、正則は吝嗇なる故に、家來まで情知らずと、彼男に下墨まれんこと、何程の無念か之に過ぎ候べし。又多くの樽より拔取らば、我更に知るべからず、又難風に逢て、樽はね捨たりと言ふとも、濟むべきを、有の儘に申せし候、汝が律義神妙の至なりとて、感稱斜めならず、機嫌何つよりも宜しかりとぞ。 ○福島家の老臣、大橋茂右衞門、福島丹波守、尾關隼人等と相議し、正則の宜しからざることを書付にし、差出しける。正則怒て、見向きもせず、其座を立んとしけるを、茂右衞門裾を聢と捉へて引たれば、己推參なり、輕き奴なるを取り立、左程までにせし我なるを、諫めだてこそ安からねと、刀を抜き持ち、目先へ突立ければ、茂右衞門、左れば候へ、某風情の者を斯くまで御取立遊ばされ候からは、若し御目鑑を損じ候樣のことありてはと存じ候故、顏を犯し候なり、左りとては、御覽候樣にと首差伸て差出しければ、流石の正則も、涙を流し、刀を鞘に納め、左らば見んとて、座に著て、一々讀み終り、此條目皆々諫めの旨に隨ふべしと言はれしかば、其時漸々捉へし裾を放せしとぞ。正則の生質にして、其諫を納るゝこと斯の如し、殊勝のことどもなり。

新字:一船の酒残らず失せたりとも、我身に於てさせる痛にあらず、去れども我に指図受くべき便宜なきに依り、一樽贈りしとは能くも計らひしぞ、我前を憚り与へずば、正則は吝嗇なる故に、家来まで情知らずと、彼男に下墨まれんこと、何程の無念か之に過ぎ候べし。又多くの樽より抜取らば、我更に知るべからず、又難風に逢て、樽はね捨たりと言ふとも、済むべきを、有の儘に申せし候、汝が律義神妙の至なりとて、感称斜めならず、機嫌何つよりも宜しかりとぞ。 ○福島家の老臣、大橋茂右衛門、福島丹波守、尾関隼人等と相議し、正則の宜しからざることを書付にし、差出しける。正則怒て、見向きもせず、其座を立んとしけるを、茂右衛門裾を聢と捉へて引たれば、己推参なり、軽き奴なるを取り立、左程までにせし我なるを、諫めだてこそ安からねと、刀を抜き持ち、目先へ突立ければ、茂右衛門、左れば候へ、某風情の者を斯くまで御取立遊ばされ候からは、若し御目鑑を損じ候様のことありてはと存じ候故、顔を犯し候なり、左りとては、御覧候様にと首差伸て差出しければ、流石の正則も、涙を流し、刀を鞘に納め、左らば見んとて、座に著て、一々読み終り、此条目皆々諫めの旨に随ふべしと言はれしかば、其時漸々捉へし裾を放せしとぞ。正則の生質にして、其諫を納るゝこと斯の如し、殊勝のことどもなり。

書き下し

一船の酒殘らず失せたりとも、我身に於てさせる痛にあらず、去れども我に指圖受くべき便宜なきに依り、一樽贈りしとは能くも計らひしぞ、我前を憚り與へずば、正則は吝嗇なる故に、家來まで情知らずと、彼男に下墨まれんこと、何程の無念か之に過ぎ候べし。又多くの樽より拔取らば、我更に知るべからず、又難風に逢て、樽はね捨たりと言ふとも、濟むべきを、有の儘に申せし候、汝が律義神妙の至なりとて、感稱斜めならず、機嫌何つよりも宜しかりとぞ。 ○福島家の老臣、大橋茂右衞門、福島丹波守、尾關隼人等と相議し、正則の宜しからざることを書付にし、差出しける。正則怒て、見向きもせず、其座を立んとしけるを、茂右衞門裾を聢と捉へて引たれば、己推參なり、輕き奴なるを取り立、左程までにせし我なるを、諫めだてこそ安からねと、刀を抜き持ち、目先へ突立ければ、茂右衞門、左れば候へ、某風情の者を斯くまで御取立遊ばされ候からは、若し御目鑑を損じ候樣のことありてはと存じ候故、顏を犯し候なり、左りとては、御覽候樣にと首差伸て差出しければ、流石の正則も、涙を流し、刀を鞘に納め、左らば見んとて、座に著て、一々讀み終り、此條目皆々諫めの旨に隨ふべしと言はれしかば、其時漸々捉へし裾を放せしとぞ。正則の生質にして、其諫を納るゝこと斯の如し、殊勝のことどもなり。

現代語訳

一船の酒がすべてなくなったとしても、私の身にとって大した痛手ではない。しかし、私に指図を受ける便宜がなかったので一樽を贈ったというのは、よくぞ計らったことだ。私の前をはばかって与えなければ、正則はけちな男だから、家来まで情知らずだと、あの男に下に見られるだろう。これほどの無念はない。また、多くの樽から抜き取れば、私が少しも知ることはなく、また、難風に遭って樽を投げ捨てたと言っても済むはずなのに、ありのままに申したのは、おまえの律義、神妙の至りだと言って、感心することひと通りでなく、機嫌はいつよりもよかったという。 福島家の老臣、大橋茂右衛門が、福島丹波守、尾関隼人らと相談し、正則のよろしくないことを書き付けにして差し出した。正則は怒って見向きもせず、その座を立とうとしたのを、茂右衛門が裾をしっかりと捕らえて引いたので、己は推参である、軽い奴を取り立てて、そこまでしてやった我であるのに、諫めだてをするのは気に入らぬ、と刀を抜き持ち、目先へ突き立てた。茂右衛門は、さようではございますが、某のような者をこれほどまでにお取り立てくださったからには、もし御目鑑を損なうようなことがあってはと存じましたので、顔を犯して申したのです、さようでしたら、ご覧くださいませ、と首を差し伸べて差し出したので、さすがの正則も涙を流し、刀を鞘に納め、それなら見ようと、座に着いて、一々読み終わり、この条目はすべて諫めの旨に従おうと言われたので、そのとき、ようやく捕らえていた裾を放したという。正則の生まれつきの性格で、その諫めを受け入れることはこのようであり、殊勝なことである。

解説

八丈島の話の続きで、正則が上乗りの士の律義さを喜ぶ結びと、老臣・大橋茂右衛門の諫めの場面が続きます。後半は、気性の荒い主君に刀を突きつけられても首を差し出して諫書を読ませ、正則も受け入れるという逸話です。取り立ててもらったからこそ言うという家臣の論理は、諫める人が組織に必要だという認識を表します。同時に、怒りながらも最後は読んで従う主君の器も描かれます。現代では、上司への進言と、それを受け止める側の度量の両面に学べます。
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この章句が説くこと

福島正則大橋茂右衛門諫書律義度量八丈島

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