名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 八丈島の酒と流人
○正則、關東の酒は宜しからずとて、大阪より取寄せける。役人吟味して酒を船に積み、士一人上乘し江戸へ送りしに、一年難風に逢ひ、八丈島に漂着す。四五日の中は、風波荒くして船を出だすことならず、其暇に上乘の士、陸に上り、彼所徘徊せし時に、年頃四十にも及ぶべしと見ゆる長高く痩黑みたる男出來り、彼士に向ひ、何故此所へ來りしと言ふ。上乘の士、我等は福島左衞門大夫家來なり。主人飮料の酒を、大阪より江戸へ運漕する所なりしが、難風に逢て此所に漂著せしと申ければ、彼男哀れ、其酒少し得させよかし、一盃傾け憂を散じ、古鄕の戀しさをも忘れたしと言ふ。上乘の士、偖は汝は流人なるか、何の罪にて來れるぞと、來れる始末を尋ねければ、彼男今は包み隱くしても何かせん。我は宇喜田中納言秀家のなれの果なりと言ふ。士大に驚き、去る御方とも存ぜず、慮外申せし段、偏に御免を蒙るべし、酒のことは安き御用なりとて、船に歸りけるが、餘多の樽より少しづゝ拔取らば、樽數も違ふまじけれども、人も人にこそよれ、宇喜田殿の御所望なり、宇喜田殿、世が世にて座まさば、我等如きに、何とて酒を所望せらるべき、然るに、主人の怒を恐て、縷の酒を贈らんも、無下に本意なしとて、一樽に、持合はせし干魚副て少々には侍れども、御徒然を慰め給はるべしとて、彼屆所に贈りたり。偖風靜まりて後江戸へ著し、酒を臺所役人へ渡し、直ぐに目付役の方へ行き難風に逢て八丈島へ漂着せし次第、及び秀家が酒の懇望の始末を有りの儘に訴へたり。目付役の者私に聞き置くべきにあらざれば、右の趣を委細に申出づ、正則之を聞き、其者是へ呼出せと言はれければ、元來氣荒なる正則なれば、其士は勿論、役人の者も、定めて手討にせらるゝことならんと思ひ居たりしに、正則爰へ來れと側近く呼寄せ、汝は天晴出來したり。
新字:○正則、関東の酒は宜しからずとて、大阪より取寄せける。役人吟味して酒を船に積み、士一人上乗し江戸へ送りしに、一年難風に逢ひ、八丈島に漂着す。四五日の中は、風波荒くして船を出だすことならず、其暇に上乗の士、陸に上り、彼所徘徊せし時に、年頃四十にも及ぶべしと見ゆる長高く痩黒みたる男出来り、彼士に向ひ、何故此所へ来りしと言ふ。上乗の士、我等は福島左衛門大夫家来なり。主人飲料の酒を、大阪より江戸へ運漕する所なりしが、難風に逢て此所に漂著せしと申ければ、彼男哀れ、其酒少し得させよかし、一盃傾け憂を散じ、古郷の恋しさをも忘れたしと言ふ。上乗の士、偖は汝は流人なるか、何の罪にて来れるぞと、来れる始末を尋ねければ、彼男今は包み隠くしても何かせん。我は宇喜田中納言秀家のなれの果なりと言ふ。士大に驚き、去る御方とも存ぜず、慮外申せし段、偏に御免を蒙るべし、酒のことは安き御用なりとて、船に帰りけるが、余多の樽より少しづゝ抜取らば、樽数も違ふまじけれども、人も人にこそよれ、宇喜田殿の御所望なり、宇喜田殿、世が世にて座まさば、我等如きに、何とて酒を所望せらるべき、然るに、主人の怒を恐て、縷の酒を贈らんも、無下に本意なしとて、一樽に、持合はせし干魚副て少々には侍れども、御徒然を慰め給はるべしとて、彼届所に贈りたり。偖風静まりて後江戸へ著し、酒を台所役人へ渡し、直ぐに目付役の方へ行き難風に逢て八丈島へ漂着せし次第、及び秀家が酒の懇望の始末を有りの儘に訴へたり。目付役の者私に聞き置くべきにあらざれば、右の趣を委細に申出づ、正則之を聞き、其者是へ呼出せと言はれければ、元来気荒なる正則なれば、其士は勿論、役人の者も、定めて手討にせらるゝことならんと思ひ居たりしに、正則爰へ来れと側近く呼寄せ、汝は天晴出来したり。
書き下し
○正則、關東の酒は宜しからずとて、大阪より取寄せける。役人吟味して酒を船に積み、士一人上乘し江戸へ送りしに、一年難風に逢ひ、八丈島に漂着す。四五日の中は、風波荒くして船を出だすことならず、其暇に上乘の士、陸に上り、彼所徘徊せし時に、年頃四十にも及ぶべしと見ゆる長高く痩黑みたる男出來り、彼士に向ひ、何故此所へ來りしと言ふ。上乘の士、我等は福島左衞門大夫家來なり。主人飮料の酒を、大阪より江戸へ運漕する所なりしが、難風に逢て此所に漂著せしと申ければ、彼男哀れ、其酒少し得させよかし、一盃傾け憂を散じ、古鄕の戀しさをも忘れたしと言ふ。上乘の士、偖は汝は流人なるか、何の罪にて來れるぞと、來れる始末を尋ねければ、彼男今は包み隱くしても何かせん。我は宇喜田中納言秀家のなれの果なりと言ふ。士大に驚き、去る御方とも存ぜず、慮外申せし段、偏に御免を蒙るべし、酒のことは安き御用なりとて、船に歸りけるが、餘多の樽より少しづゝ拔取らば、樽數も違ふまじけれども、人も人にこそよれ、宇喜田殿の御所望なり、宇喜田殿、世が世にて座まさば、我等如きに、何とて酒を所望せらるべき、然るに、主人の怒を恐て、縷の酒を贈らんも、無下に本意なしとて、一樽に、持合はせし干魚副て少々には侍れども、御徒然を慰め給はるべしとて、彼屆所に贈りたり。偖風靜まりて後江戸へ著し、酒を臺所役人へ渡し、直ぐに目付役の方へ行き難風に逢て八丈島へ漂着せし次第、及び秀家が酒の懇望の始末を有りの儘に訴へたり。目付役の者私に聞き置くべきにあらざれば、右の趣を委細に申出づ、正則之を聞き、其者是へ呼出せと言はれければ、元來氣荒なる正則なれば、其士は勿論、役人の者も、定めて手討にせらるゝことならんと思ひ居たりしに、正則爰へ來れと側近く呼寄せ、汝は天晴出來したり。
現代語訳
正則は、関東の酒はよろしくないとして、大坂から取り寄せていた。役人が吟味して酒を船に積み、士一人が上乗りして江戸へ送ったところ、ある年、難風に遭い、八丈島に漂着した。四、五日は風波が荒くて船を出せなかったので、その暇に上乗りの士が陸に上がり、あたりを歩いていると、年のころ四十にも及ぶと見える、背が高く痩せて黒ずんだ男が出てきて、その士に向かい、なぜここへ来たのか、と言った。上乗りの士は、我らは福島左衛門大夫の家来です。主人の飲料の酒を大坂から江戸へ運ぶところでしたが、難風に遭ってここに漂着しました、と申すと、その男は、ああ、その酒を少しいただけまいか。一杯傾けて憂いを散じ、故郷の恋しさも忘れたい、と言った。上乗りの士は、さてはおまえは流人か、何の罪で来たのか、と来た経緯を尋ねたところ、その男は、今は包み隠してもなんになろう。我は宇喜多中納言秀家のなれの果てだ、と言った。士は大いに驚き、そのような方とは存ぜず、無礼を申した段、ひとえにお許しを。酒のことは容易いご用です、と言って船に帰ったが、あまたの樽から少しずつ抜き取れば、樽の数も違わないだろうが、人も人によるもの、宇喜多殿のご所望である。宇喜多殿が世が世であられたなら、我らごときに、どうして酒を所望されようか。それなのに、主人の怒りを恐れて、わずかな酒を贈るのでは、あまりに本意でない、と思い、一樽に、持ち合わせていた干魚を添えて、少々ではございますが、お徒然を慰めてください、と言って、その居所へ贈った。さて風が静まったあと、江戸に着き、酒を台所役人に渡し、すぐに目付役のところへ行って、難風に遭い八丈島に漂着した次第、および秀家が酒を懇望した事情を、ありのままに訴えた。目付役の者は、私に聞き置くべきことではないとして、右の趣を詳しく申し出た。正則はこれを聞き、その者をここへ呼び出せ、と言われたので、もともと気の荒い正則であるから、その士はもちろん、役人の者も、きっと手討ちになることだろうと思っていたところ、正則は、ここへ来い、と側近くへ呼び寄せ、おまえは見事にやった。
解説

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