名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 囚人に飯を運ぶ茶道
○正則近習の士、某、少しの咎ありければ、廣島城の櫓に押籠め食物を與へず、餓死せしめんとせしに、某其士の恩を受けたりし茶道坊主、罪なくして斯る囚となるを痛み、潛に夜、燒飯を携へ行きたり。彼士我は罪ある故に、斯くなりたり、汝が只今の振廻殿聞召れなば、我よりも罪重からん、又飯を喰ひたりとて、命助るべきにあらざれば、疾く歸れと言ひしに、茶道、同罪に行はるゝとも、後悔なし、我先に既に殺さるべきことのありしに、君の救にて一度助かり候ひぬ。恩を受て報ぜざるは人にあらず、其許にも、又弱氣なる心おはして、吾志を空くし給ふことこそ口惜けれと言へば、彼士喜びて、去らばとて、是を食す。夜毎に斯の如くしたりけり。程歷て死したるならんとて、正則櫓に行きしに、顏色少しも衰へず、正則偖は飯を贈りたる者あらんと怒りしに、茶道來り、某こそ贈りたれと申す、正則はつたと睨て己何故に斯くしたるや、頭二ッに切り割りなんと、膝立直せしに、茶道少しも、騷がず、某昔罪を得て、既に水攻に逢て殺さるべかりしに、彼人の申開きたりし故、今日まで思ひ掛けず命存へ候ひき、其恩を報ぜん爲め、毎夜忍びて飯を運び候と言ふ。正則、怒れる眼に涙を流し、汝が志感ずるに餘れり、斯くこそあるべけれ、彼をも赦すべしとて、其儘櫓の戸を開きて罪を宥め、茶道をも深く賞せられけり。
新字:○正則近習の士、某、少しの咎ありければ、広島城の櫓に押籠め食物を与へず、餓死せしめんとせしに、某其士の恩を受けたりし茶道坊主、罪なくして斯る囚となるを痛み、潜に夜、焼飯を携へ行きたり。彼士我は罪ある故に、斯くなりたり、汝が只今の振廻殿聞召れなば、我よりも罪重からん、又飯を喰ひたりとて、命助るべきにあらざれば、疾く帰れと言ひしに、茶道、同罪に行はるゝとも、後悔なし、我先に既に殺さるべきことのありしに、君の救にて一度助かり候ひぬ。恩を受て報ぜざるは人にあらず、其許にも、又弱気なる心おはして、吾志を空くし給ふことこそ口惜けれと言へば、彼士喜びて、去らばとて、是を食す。夜毎に斯の如くしたりけり。程歴て死したるならんとて、正則櫓に行きしに、顔色少しも衰へず、正則偖は飯を贈りたる者あらんと怒りしに、茶道来り、某こそ贈りたれと申す、正則はつたと睨て己何故に斯くしたるや、頭二ッに切り割りなんと、膝立直せしに、茶道少しも、騷がず、某昔罪を得て、既に水攻に逢て殺さるべかりしに、彼人の申開きたりし故、今日まで思ひ掛けず命存へ候ひき、其恩を報ぜん為め、毎夜忍びて飯を運び候と言ふ。正則、怒れる眼に涙を流し、汝が志感ずるに余れり、斯くこそあるべけれ、彼をも赦すべしとて、其儘櫓の戸を開きて罪を宥め、茶道をも深く賞せられけり。
書き下し
○正則近習の士、某、少しの咎ありければ、廣島城の櫓に押籠め食物を與へず、餓死せしめんとせしに、某其士の恩を受けたりし茶道坊主、罪なくして斯る囚となるを痛み、潛に夜、燒飯を携へ行きたり。彼士我は罪ある故に、斯くなりたり、汝が只今の振廻殿聞召れなば、我よりも罪重からん、又飯を喰ひたりとて、命助るべきにあらざれば、疾く歸れと言ひしに、茶道、同罪に行はるゝとも、後悔なし、我先に既に殺さるべきことのありしに、君の救にて一度助かり候ひぬ。恩を受て報ぜざるは人にあらず、其許にも、又弱氣なる心おはして、吾志を空くし給ふことこそ口惜けれと言へば、彼士喜びて、去らばとて、是を食す。夜毎に斯の如くしたりけり。程歷て死したるならんとて、正則櫓に行きしに、顏色少しも衰へず、正則偖は飯を贈りたる者あらんと怒りしに、茶道來り、某こそ贈りたれと申す、正則はつたと睨て己何故に斯くしたるや、頭二ッに切り割りなんと、膝立直せしに、茶道少しも、騷がず、某昔罪を得て、既に水攻に逢て殺さるべかりしに、彼人の申開きたりし故、今日まで思ひ掛けず命存へ候ひき、其恩を報ぜん爲め、毎夜忍びて飯を運び候と言ふ。正則、怒れる眼に涙を流し、汝が志感ずるに餘れり、斯くこそあるべけれ、彼をも赦すべしとて、其儘櫓の戸を開きて罪を宥め、茶道をも深く賞せられけり。
現代語訳
正則の近習の士である某が、少しの咎があったので、広島城の櫓に押し込め、食物を与えず餓死させようとした。ところが、その士の恩を受けたことのある茶道坊主が、罪もないのにこのような囚われ人となることを痛み、ひそかに夜、焼き飯を携えて行った。その士は、我は罪があるためこうなったのだ。おまえがただいまの振る舞いを殿がお聞きになれば、我よりも罪が重いだろう。また飯を食ったからといって命が助かるわけでもないから、早く帰れ、と言うと、茶道は、同罪に処されても後悔はありません。私は先に既に殺されるべきことがあったのに、君の救いによって一度助かりました。恩を受けて報じないのは人ではありません。あなたにも弱気な心がおありで、私の志を空しくされるのは口惜しいことです、と言うと、その士は喜んで、それならばと言って、これを食べた。夜ごとにこのようにしていた。しばらくたって死んだであろうと、正則が櫓に行ってみると、顔色は少しも衰えていなかった。正則は、さては飯を贈った者がいるな、と怒ると、茶道が来て、某こそ贈りました、と申した。正則はきっと睨んで、己は何故そうしたのか、頭を二つに切り割ってやろう、と膝を立て直したが、茶道は少しも騒がず、某は昔、罪を得て、すでに水攻めにあって殺されるはずでしたが、あの人が申し開きをしてくださったので、今日まで思いがけず命を長らえました。その恩を報いるため、毎夜忍んで飯を運んだのです、と言った。正則は、怒った目に涙を流し、おまえの志は感ずるに余りある、こうあるべきだ、あの者も赦そう、と言って、そのまま櫓の戸を開いて罪を許し、茶道をも深くほめられた。
解説

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