囲炉夜話 / 第五十三則・世上は皆な苦人
天下無憨人,豈可妄行欺詐?世上皆苦人,何能獨享安閑?
新字:天下無憨人,豈可妄行欺詐?世上皆苦人,何能独享安閑?
書き下し
天下に憨人無し、豈に妄りに欺詐を行ふべけんや。世上は皆な苦人なり、何ぞ能く獨り安閑を享けんや。
現代語訳
天下にばか正直な愚か者などいません。どうしてみだりに人を欺いてよいでしょうか。世の中の人はみな苦労している人です。どうして自分だけ安楽を享受できるでしょうか。
解説
人を侮る心と、自分だけ楽をしようとする心を戒めた対句です。憨人は口語で、お人よしの愚か者のことです。だまされるような間抜けは世にいないと考えよ、つまり人はみな見抜いていると思えば、欺こうとは思わないはずだと言います。欺けると思うのは相手を侮っているからです。後半は、世の人はみな苦労を抱えているのだから、自分だけが安閑とできるはずがないとします。周りの苦労を思えば、怠けることもおごることもできません。二つの句は、他人を自分と同じ重さで見るという点でつながっています。人を軽く見る心が、欺きと怠けの両方の根にあるのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠実欺瞞勤勉恕処世
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