名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 盃の数を数える老臣
○堀尾忠氏の老臣、松田左近は、武功名譽の士なり。忠氏、伏見へ參勤し、登城せし時、正則殿中にて、忠氏に挨拶ありて、松田左近は今度召連られず候やと尋ぬ。召連候と答ければ、正則退出より直ちに左近が旅宿に見舞たり、左近縞じて、愕々忝き仕合せと申ける。正則久々逢はぬ故、懷々敷存ずる所へ、供にて參られしと、出雲守殿に聞ける故に、直ぐに參りたりと申す。綏々と物語ありけるに、左近何にかな御馳走申上度存ずれども、上ぐべき物も之なし、酒一つ上げ申んとて、小姓を呼寄せ、腰より錢を出し、御前へ一杯、我等一杯、又御前へ一杯、と盃の往來を算て酒買に申付くるを、正則扇を開き使ひ居たりしが、左近が手を押へ、某も多くはたべぬなり。二つたべぬれば、善き程なり、多く買候は平らに無用なりと言はれけり。
新字:○堀尾忠氏の老臣、松田左近は、武功名誉の士なり。忠氏、伏見へ参勤し、登城せし時、正則殿中にて、忠氏に挨拶ありて、松田左近は今度召連られず候やと尋ぬ。召連候と答ければ、正則退出より直ちに左近が旅宿に見舞たり、左近縞じて、愕々忝き仕合せと申ける。正則久々逢はぬ故、懐々敷存ずる所へ、供にて参られしと、出雲守殿に聞ける故に、直ぐに参りたりと申す。綏々と物語ありけるに、左近何にかな御馳走申上度存ずれども、上ぐべき物も之なし、酒一つ上げ申んとて、小姓を呼寄せ、腰より銭を出し、御前へ一杯、我等一杯、又御前へ一杯、と盃の往来を算て酒買に申付くるを、正則扇を開き使ひ居たりしが、左近が手を押へ、某も多くはたべぬなり。二つたべぬれば、善き程なり、多く買候は平らに無用なりと言はれけり。
書き下し
○堀尾忠氏の老臣、松田左近は、武功名譽の士なり。忠氏、伏見へ參勤し、登城せし時、正則殿中にて、忠氏に挨拶ありて、松田左近は今度召連られず候やと尋ぬ。召連候と答ければ、正則退出より直ちに左近が旅宿に見舞たり、左近縞じて、愕々忝き仕合せと申ける。正則久々逢はぬ故、懷々敷存ずる所へ、供にて參られしと、出雲守殿に聞ける故に、直ぐに參りたりと申す。綏々と物語ありけるに、左近何にかな御馳走申上度存ずれども、上ぐべき物も之なし、酒一つ上げ申んとて、小姓を呼寄せ、腰より錢を出し、御前へ一杯、我等一杯、又御前へ一杯、と盃の往來を算て酒買に申付くるを、正則扇を開き使ひ居たりしが、左近が手を押へ、某も多くはたべぬなり。二つたべぬれば、善き程なり、多く買候は平らに無用なりと言はれけり。
現代語訳
堀尾忠氏の老臣、松田左近は、武功も名誉もある士であった。忠氏が伏見に参勤して登城したとき、正則は殿中で忠氏に挨拶をして、松田左近は今度は召し連れられなかったのか、と尋ねた。召し連れました、と答えると、正則は退出するとすぐに左近の旅宿を見舞った。左近は恐縮して、まことにありがたい仕合わせと申した。正則は、久しく会わなかったので懐かしく思っていたところ、供で参られたと出雲守殿に聞いたので、すぐに参ったのだ、と言った。ゆっくりと話をするうちに、左近は何か馳走を申し上げたいと存じますが、差し上げるものもありません、酒を一つ差し上げましょうと、小姓を呼び寄せ、腰から銭を出し、お前に一杯、我らに一杯、またお前に一杯、と盃の往来を数えて酒を買いに申しつけるのを、正則は扇を開いて使っていたが、左近の手を押さえ、私も多くは飲まない。二つ飲めばほどほどだ。多く買うのは無用だ、と言われた。
解説

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