名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 諫言への盃と雪の夜話
其方共差置かず、我等、誤りを申聞せ候へばこそ、政道にも越度少なく、國家も安泰にて、長久もすることなれ、是を遣はし候間、今一つ酒を給ひ候へとて、側の刀を但馬に與へらる。 ○或冬吉田長利が家に、管正利、津田貞俊夜話に來り、酒飲みけるが、今より殿の御前に行きて物語せばやと言ふに、長利然るべし、去れど夜も更けぬ、今宵は雪も降りたるに、家來共呼起し、銘々木履杯用意させんも、いたつかはし、跣足にて善かりなんとて、路次より出て、若し肴なき時の爲めとて、豆腐二つ笊に入れ、酒も瓢簞に入れて行く、奥口より斯くと申入れければ、長政は早や臥床に入りて居りしが、起出て能くこそ來りたれ、我も淋しく臥居たるにと喜ばれ、酒は昨日手船着きて、樽二つあり、肴こそあるまじけれ、臺所を捜して見よと言はる。人々臺所の戸棚の中より大きなる鯛の片身骨に付きたるを捜し出して參りければ、夫れ善からん燒てや善からん、杯と言ひけるが、又しばし待て、明日は二十八日にあらずや、夫は極めて料理方の者共が、明朝我等や、子供等に食はせんとて直し置きたるならん、夫を取りなば、明朝迷惑せんと言はれければ、誠に左こそ候はめ、去らば持ちて參りし豆腐のみにて宜敷候はんとて、三人の人々手づから、火を起し、酒溫め物語し、鷄鳴に及びて歸宅したりとぞ。
新字:其方共差置かず、我等、誤りを申聞せ候へばこそ、政道にも越度少なく、国家も安泰にて、長久もすることなれ、是を遣はし候間、今一つ酒を給ひ候へとて、側の刀を但馬に与へらる。 ○或冬吉田長利が家に、管正利、津田貞俊夜話に来り、酒飲みけるが、今より殿の御前に行きて物語せばやと言ふに、長利然るべし、去れど夜も更けぬ、今宵は雪も降りたるに、家来共呼起し、銘々木履杯用意させんも、いたつかはし、跣足にて善かりなんとて、路次より出て、若し肴なき時の為めとて、豆腐二つ笊に入れ、酒も瓢箪に入れて行く、奥口より斯くと申入れければ、長政は早や臥床に入りて居りしが、起出て能くこそ来りたれ、我も淋しく臥居たるにと喜ばれ、酒は昨日手船着きて、樽二つあり、肴こそあるまじけれ、台所を捜して見よと言はる。人々台所の戸棚の中より大きなる鯛の片身骨に付きたるを捜し出して参りければ、夫れ善からん焼てや善からん、杯と言ひけるが、又しばし待て、明日は二十八日にあらずや、夫は極めて料理方の者共が、明朝我等や、子供等に食はせんとて直し置きたるならん、夫を取りなば、明朝迷惑せんと言はれければ、誠に左こそ候はめ、去らば持ちて参りし豆腐のみにて宜敷候はんとて、三人の人々手づから、火を起し、酒温め物語し、鶏鳴に及びて帰宅したりとぞ。
書き下し
其方共差置かず、我等、誤りを申聞せ候へばこそ、政道にも越度少なく、國家も安泰にて、長久もすることなれ、是を遣はし候間、今一つ酒を給ひ候へとて、側の刀を但馬に與へらる。 ○或冬吉田長利が家に、管正利、津田貞俊夜話に來り、酒飲みけるが、今より殿の御前に行きて物語せばやと言ふに、長利然るべし、去れど夜も更けぬ、今宵は雪も降りたるに、家來共呼起し、銘々木履杯用意させんも、いたつかはし、跣足にて善かりなんとて、路次より出て、若し肴なき時の爲めとて、豆腐二つ笊に入れ、酒も瓢簞に入れて行く、奥口より斯くと申入れければ、長政は早や臥床に入りて居りしが、起出て能くこそ來りたれ、我も淋しく臥居たるにと喜ばれ、酒は昨日手船着きて、樽二つあり、肴こそあるまじけれ、臺所を捜して見よと言はる。人々臺所の戸棚の中より大きなる鯛の片身骨に付きたるを捜し出して參りければ、夫れ善からん燒てや善からん、杯と言ひけるが、又しばし待て、明日は二十八日にあらずや、夫は極めて料理方の者共が、明朝我等や、子供等に食はせんとて直し置きたるならん、夫を取りなば、明朝迷惑せんと言はれければ、誠に左こそ候はめ、去らば持ちて參りし豆腐のみにて宜敷候はんとて、三人の人々手づから、火を起し、酒溫め物語し、鷄鳴に及びて歸宅したりとぞ。
現代語訳
「そなたたちが差し置かず、我が誤りを申し聞かせてくれてこそ、政道にも落ち度が少なく、国家も安泰で、長久もするのである。これを遣わすので、もう一つ酒をいただきたい」と言って、そばの刀を但馬に与えられました。 ○ある冬、吉田長利の家に、管正利、津田貞俊が夜話に来て、酒を飲みましたが、「今から殿の御前へ行って物語をしたい」と言いました。長利は「よろしい。ただし夜も更け、今夜は雪も降っているので、家来たちを呼び起こし、それぞれに履物などを用意させるのも気の毒だ。裸足でよかろう」と言い、路地から出て、もし肴がないときのためにと、豆腐二つを笊に入れ、酒も瓢箪に入れて行きました。奥口から「このように参りました」と申し入れると、長政はもう寝床に入っていましたが、起き出して「よく来てくれた。我も淋しく臥していたところだ」と喜ばれ、「酒は昨日、手船が着いて樽が二つある。肴はあるまいが、台所を探してみよ」と言われました。人々が台所の戸棚の中から、大きな鯛の片身が骨に付いたままのを探し出して持ってくると、「それはよかろう、焼いてもよかろう、杯を」と言いましたが、また「しばらく待て。明日は二十八日ではないか。それは必ず、料理方の者たちが、明朝、我らや子供たちに食べさせようとして、仕立てておいたのだろう。それを取れば、明朝迷惑するだろう」と言われました。「まことに、そのとおりでございましょう。それならば、持ってきた豆腐だけで結構でしょう」と言い、三人の人々は自分たちで火を起こし、酒を温め、物語をして、鶏鳴に及んで帰宅した、ということです。
解説

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