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名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 病を装うと疑われた大坂留守

○十六年三月、秀賴、家康と對顏の時、正則國より上るとて、八幡より煩ひ出し、半井忠菴藥にて存命覺束なしと馳廻し、廣島より、多く家臣を呼寄せたり。正則兵一萬餘。秀賴の兵八千にて太阪に留守せり。世人福島は何つも箇樣の時は、作病すと言て、嘲弄せり。家康聞かれ福島今度の病は二條への供を遁るべき爲めにあらず、萬一予秀賴を殺すか擒にするに於ては、加藤清正、淺野幸長二人は、秀賴の爲めに戰死して以て名を末代に殘すべし、又大阪に秀賴の母公あり、之を人手に掛るも口惜と、幸ひ正則は秀賴の縁ある者なれば、母公を手に掛け城を火にし、腹搔切て失せなんこと、何の疑あるべからず。三人申合はせ、兩人は秀賴の供し、一人は病と稱して大阪に留まりたりと覺ゆ、箇樣のこと淺く思ふべきにあらず、太閤能く人を見知り、取立られたるも、尤もなりと言はれけり。

新字:○十六年三月、秀頼、家康と対顔の時、正則国より上るとて、八幡より煩ひ出し、半井忠菴薬にて存命覚束なしと馳廻し、広島より、多く家臣を呼寄せたり。正則兵一万余。秀頼の兵八千にて太阪に留守せり。世人福島は何つも箇様の時は、作病すと言て、嘲弄せり。家康聞かれ福島今度の病は二条への供を遁るべき為めにあらず、万一予秀頼を殺すか擒にするに於ては、加藤清正、浅野幸長二人は、秀頼の為めに戦死して以て名を末代に残すべし、又大阪に秀頼の母公あり、之を人手に掛るも口惜と、幸ひ正則は秀頼の縁ある者なれば、母公を手に掛け城を火にし、腹搔切て失せなんこと、何の疑あるべからず。三人申合はせ、両人は秀頼の供し、一人は病と称して大阪に留まりたりと覚ゆ、箇様のこと浅く思ふべきにあらず、太閤能く人を見知り、取立られたるも、尤もなりと言はれけり。

書き下し

○十六年三月、秀賴、家康と對顏の時、正則國より上るとて、八幡より煩ひ出し、半井忠菴藥にて存命覺束なしと馳廻し、廣島より、多く家臣を呼寄せたり。正則兵一萬餘。秀賴の兵八千にて太阪に留守せり。世人福島は何つも箇樣の時は、作病すと言て、嘲弄せり。家康聞かれ福島今度の病は二條への供を遁るべき爲めにあらず、萬一予秀賴を殺すか擒にするに於ては、加藤清正、淺野幸長二人は、秀賴の爲めに戰死して以て名を末代に殘すべし、又大阪に秀賴の母公あり、之を人手に掛るも口惜と、幸ひ正則は秀賴の縁ある者なれば、母公を手に掛け城を火にし、腹搔切て失せなんこと、何の疑あるべからず。三人申合はせ、兩人は秀賴の供し、一人は病と稱して大阪に留まりたりと覺ゆ、箇樣のこと淺く思ふべきにあらず、太閤能く人を見知り、取立られたるも、尤もなりと言はれけり。

現代語訳

十六年三月、秀頼が家康と対面したとき、正則は国から上る途中、八幡から病み出し、半井忠庵の薬でも命がおぼつかないと言って駆け回り、広島から多くの家臣を呼び寄せた。正則の兵は一万余。秀頼の兵八千とともに大坂に留守をしていた。世間の人は、福島はいつもこのような時には仮病を使うと言って嘲弄した。家康はこれを聞いて言われた。福島の今度の病は、二条への供を免れるためではない。万一、私が秀頼を殺すか捕らえるかするなら、加藤清正と浅野幸長の二人は、秀頼のために戦死して名を末代に残すだろう。また大坂には秀頼の母公がいる。これを人手にかけるのも口惜しい。幸い正則は秀頼の縁者であるから、母公を手にかけて城に火をかけ、腹をかき切って果てるであろうことに、何の疑いがあろう。三人が申し合わせ、両人は秀頼の供をし、一人は病と称して大坂に留まったのだと思う。このようなことは浅く思ってはいけない。太閤がよく人を見知って取り立てられたのも、もっともだ、と言われた。

解説

慶長十六年に秀頼が上洛して家康と対面した際、正則は病を理由に大坂に残ったとされます。世間の嘲りとは別に、家康が「三人が申し合わせた役割分担」と読み解いたという逸話です。事実かどうかは確かめがたい話ですが、同じ行動でも、見る人の立場で評価が変わることをよく示します。現代でも、一人が表に出ず裏に回る配置は、全体の保険として働くことがあります。見える行動だけで人を判断せず、役割の全体像から見る視点が学べます。
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この章句が説くこと

福島正則秀頼家康仮病役割分担大坂留守

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