名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 引きを知る良将
○關ヶ原の役、西軍悉く敗れ、皆伊吹山の方に退きけるに、島津義弘一人は引返し、手勢を引具し、勝に乘ぜし東軍數萬の眞中を切拔けんと、無二無三に驅たりけり。此時東軍の手先、何にとなく色めきたり、時に正則、只一騎島津に打て掛らんと、頻りに馬を進ませけるに、前後の從兵鞍馬に取付き、樣々に止むれども、正則更に聽入れず、汝等は知らずや、士の墓所は戰場にあるなりと、猶も勇みて驅出すを、我々如何で臆し申さん、驅くべき所を驅け、引くべき所を引き、進退變に應ずるを良將とこそ承はれ、是程勝たる合戰に、死武者に渡り合ひ、命を捨ゝ何の益か候と、大勢馬に取付て、無體に後へ引戻す。正則是非に及ばず、齒噛みを爲して引戻され、猶も敵に後は見せじと言ふ儘に、馬上には拗直り後ろ向に乘て引退しとぞ。
新字:○関ヶ原の役、西軍悉く敗れ、皆伊吹山の方に退きけるに、島津義弘一人は引返し、手勢を引具し、勝に乗ぜし東軍数万の真中を切抜けんと、無二無三に駆たりけり。此時東軍の手先、何にとなく色めきたり、時に正則、只一騎島津に打て掛らんと、頻りに馬を進ませけるに、前後の従兵鞍馬に取付き、様々に止むれども、正則更に聴入れず、汝等は知らずや、士の墓所は戦場にあるなりと、猶も勇みて駆出すを、我々如何で臆し申さん、駆くべき所を駆け、引くべき所を引き、進退変に応ずるを良将とこそ承はれ、是程勝たる合戦に、死武者に渡り合ひ、命を捨ゝ何の益か候と、大勢馬に取付て、無体に後へ引戻す。正則是非に及ばず、歯噛みを為して引戻され、猶も敵に後は見せじと言ふ儘に、馬上には拗直り後ろ向に乗て引退しとぞ。
書き下し
○關ヶ原の役、西軍悉く敗れ、皆伊吹山の方に退きけるに、島津義弘一人は引返し、手勢を引具し、勝に乘ぜし東軍數萬の眞中を切拔けんと、無二無三に驅たりけり。此時東軍の手先、何にとなく色めきたり、時に正則、只一騎島津に打て掛らんと、頻りに馬を進ませけるに、前後の從兵鞍馬に取付き、樣々に止むれども、正則更に聽入れず、汝等は知らずや、士の墓所は戰場にあるなりと、猶も勇みて驅出すを、我々如何で臆し申さん、驅くべき所を驅け、引くべき所を引き、進退變に應ずるを良將とこそ承はれ、是程勝たる合戰に、死武者に渡り合ひ、命を捨ゝ何の益か候と、大勢馬に取付て、無體に後へ引戻す。正則是非に及ばず、齒噛みを爲して引戻され、猶も敵に後は見せじと言ふ儘に、馬上には拗直り後ろ向に乘て引退しとぞ。
現代語訳
関ヶ原の役で、西軍がすべて敗れ、みな伊吹山の方へ退いたなか、島津義弘ひとりは引き返し、手勢を引き連れて、勝ちに乗じた東軍数万の真ん中を切り抜けようと、無二無三に駆けた。このとき東軍の先手は、なにとなく色めきたった。そのとき正則はただ一騎、島津に打ちかかろうと、しきりに馬を進めたが、前後の従兵が鞍や馬に取りつき、さまざまに止めても、正則は少しも聞き入れなかった。おまえたちは知らないのか、武士の墓所は戦場にあるのだ、とさらに勇んで駆け出すのを、我々がどうして臆しましょうか。駆けるべきところは駆け、引くべきところは引き、進退が変に応じるのを良将と承ります。これほど勝った合戦で、死に物狂いの武者と渡り合い、命を捨てて何の益がありましょうか、と大勢が馬に取りつき、無理にうしろへ引き戻した。正則はやむを得ず、歯噛みして引き戻され、それでも敵に後ろは見せまいと言うままに、馬上で向きを変え、後ろ向きに乗って退いたという。
解説

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