名将言行録 / 『名将言行録』加藤嘉明 高虎との船戦の口論
○慶長二年七月、朝鮮にて藤堂高虎、夜密に唐島の番船を襲ひ二三艘を得たり。其明日大に戰ふ、嘉明は前夜、高虎に越されたるを憤りて塙團右衞門直之に手段を言含め、物見船を遣る、直之頻りに進みて歸らず、嘉明大に怒る體をして、軍法を破る、惡き者共哉、あれ制せよと聲々に呼び掛け、扇を揚げて招けども、兼ての謀なれば、直之後をも顧みず、是に於て、嘉明、自身早舸に乘て、止まれ、止まれ、と言て追て行く、嘉明の兵一同に押出し、大船餘多乘取り、其日の功名諸將に勝れけり、奉行橫目此合戰の次第を本朝に注進する時、高虎船軍の先登は我なり、誰か共に爭ふべき、只高虎群を放れたりと書記されよと申されければ、嘉明押靜づめて、我今日の戰、衆人の覩る所に候、深夜敵の熟睡したる隙を伺ひて少しく利を得られたれども、寢首を搔きたるに同じ、夜と晝と異なり、小と大と、豈に同じからんや、佐州の働き、今日に於ては梯しても我には及ばれ間敷ものを、と冷笑て居たりければ、高虎怒て佩刀を拔て斬んとす。其座に在合ふ人人高虎を押止むる、嘉明は片膝を立、柱に倚て色をも變ぜず、貌をも動かさず、大長刀の刄の脫れたるが如く、見苦敷仕形哉、人そはゑして取亂せるは、丈夫のことかと、最騷がぬ體なり、之を見る者、其器量似も似ずと嘉明を感稱せり。
新字:○慶長二年七月、朝鮮にて藤堂高虎、夜密に唐島の番船を襲ひ二三艘を得たり。其明日大に戦ふ、嘉明は前夜、高虎に越されたるを憤りて塙団右衛門直之に手段を言含め、物見船を遣る、直之頻りに進みて帰らず、嘉明大に怒る体をして、軍法を破る、悪き者共哉、あれ制せよと声々に呼び掛け、扇を揚げて招けども、兼ての謀なれば、直之後をも顧みず、是に於て、嘉明、自身早舸に乗て、止まれ、止まれ、と言て追て行く、嘉明の兵一同に押出し、大船余多乗取り、其日の功名諸将に勝れけり、奉行横目此合戦の次第を本朝に注進する時、高虎船軍の先登は我なり、誰か共に争ふべき、只高虎群を放れたりと書記されよと申されければ、嘉明押静づめて、我今日の戦、衆人の睹る所に候、深夜敵の熟睡したる隙を伺ひて少しく利を得られたれども、寝首を搔きたるに同じ、夜と昼と異なり、小と大と、豈に同じからんや、佐州の働き、今日に於ては梯しても我には及ばれ間敷ものを、と冷笑て居たりければ、高虎怒て佩刀を抜て斬んとす。其座に在合ふ人人高虎を押止むる、嘉明は片膝を立、柱に倚て色をも変ぜず、貌をも動かさず、大長刀の刄の脱れたるが如く、見苦敷仕形哉、人そはゑして取乱せるは、丈夫のことかと、最騷がぬ体なり、之を見る者、其器量似も似ずと嘉明を感称せり。
書き下し
○慶長二年七月、朝鮮にて藤堂高虎、夜密に唐島の番船を襲ひ二三艘を得たり。其明日大に戰ふ、嘉明は前夜、高虎に越されたるを憤りて塙團右衞門直之に手段を言含め、物見船を遣る、直之頻りに進みて歸らず、嘉明大に怒る體をして、軍法を破る、惡き者共哉、あれ制せよと聲々に呼び掛け、扇を揚げて招けども、兼ての謀なれば、直之後をも顧みず、是に於て、嘉明、自身早舸に乘て、止まれ、止まれ、と言て追て行く、嘉明の兵一同に押出し、大船餘多乘取り、其日の功名諸將に勝れけり、奉行橫目此合戰の次第を本朝に注進する時、高虎船軍の先登は我なり、誰か共に爭ふべき、只高虎群を放れたりと書記されよと申されければ、嘉明押靜づめて、我今日の戰、衆人の覩る所に候、深夜敵の熟睡したる隙を伺ひて少しく利を得られたれども、寢首を搔きたるに同じ、夜と晝と異なり、小と大と、豈に同じからんや、佐州の働き、今日に於ては梯しても我には及ばれ間敷ものを、と冷笑て居たりければ、高虎怒て佩刀を拔て斬んとす。其座に在合ふ人人高虎を押止むる、嘉明は片膝を立、柱に倚て色をも變ぜず、貌をも動かさず、大長刀の刄の脫れたるが如く、見苦敷仕形哉、人そはゑして取亂せるは、丈夫のことかと、最騷がぬ體なり、之を見る者、其器量似も似ずと嘉明を感稱せり。
現代語訳
慶長二年七月、朝鮮で藤堂高虎が夜ひそかに唐島の番船を襲い、二、三艘を得た。その翌日に大いに戦った。嘉明は前夜に高虎に先を越されたことを憤り、塙団右衛門直之に手立てを言い含めて物見船を遣わした。直之はしきりに進んで帰らない。嘉明は大いに怒ったふりをして、「軍法を破る悪い者どもだ、あれを止めよ」と声々に呼びかけ、扇を揚げて招いたが、かねての謀りごとだったので、直之は後ろも顧みない。そこで嘉明は自ら早舟に乗り、「止まれ、止まれ」と言って追って行った。嘉明の兵が一斉に押し出し、大船を多く乗っ取り、その日の功名は諸将に勝った。奉行や横目がこの合戦の次第を本国に注進する時、高虎は「船軍の先登は私である。誰が共に争えようか。ただ高虎は群を抜いたと書き記されよ」と言った。嘉明は押し静めて言った。「私の今日の戦は、人々の見るところである。深夜、敵の熟睡している隙をうかがい、少し利を得られたが、寝首をかいたのと同じである。夜と昼は異なり、小と大は同じではない。佐州(高虎)の働きは、今日においては梯子をかけても私には及ばれまいものを」と冷笑していた。高虎は怒って刀を抜いて斬ろうとした。その場にいた人々が高虎を押さえとめた。嘉明は片膝を立て、柱に寄りかかって、色も変えず、表情も動かさず、「大長刀の刃が抜け落ちたようで、見苦しい様だ。人に抱きとめられて取り乱すのは、立派な男のすることか」と、少しも騒がない様子だった。これを見た者は、その器量の違いを、嘉明を称賛した。
解説

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