名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 家臣を恐れさせぬ心配り
○島左近友之は日本第一の勇猛と呼ばれし者なるが、嘗て甲胄を帶して床机に掛り、妻を呼びしに、次の間より見て、恐れ振ひ頭を擧げ得ざりしかば、友之打笑ひ、偖も汝は臆病なる者哉、若し黒田甲州の物具せらるゝを見ば、魂を失ひ絶え入るべしと言ひしとぞ。斯りければ、家臣等長政を恐るゝこと甚だしく、伺ふべき用事も控へめにして申出すことを憚るを察知し、萬事家人に物言ふこと、如何にも柔和に致し、烈しく物言ふことなく、近習の者共、次にて笑ひ戯れ狂へども、聞かぬ振して咎むることなし、役人共を呼びて用事抔申付る時、遠慮なく若者共次にて狂ひ、餘り騷げば、用事あるぞ今少し靜にせよと計り言ひて、更に叱ることなし、隨分愼みて家人等と親しみしは、物言ひ能き樣にと思ひしが故なり。 ○
新字:○島左近友之は日本第一の勇猛と呼ばれし者なるが、嘗て甲胄を帯して床机に掛り、妻を呼びしに、次の間より見て、恐れ振ひ頭を挙げ得ざりしかば、友之打笑ひ、偖も汝は臆病なる者哉、若し黒田甲州の物具せらるゝを見ば、魂を失ひ絶え入るべしと言ひしとぞ。斯りければ、家臣等長政を恐るゝこと甚だしく、伺ふべき用事も控へめにして申出すことを憚るを察知し、万事家人に物言ふこと、如何にも柔和に致し、烈しく物言ふことなく、近習の者共、次にて笑ひ戯れ狂へども、聞かぬ振して咎むることなし、役人共を呼びて用事抔申付る時、遠慮なく若者共次にて狂ひ、余り騷げば、用事あるぞ今少し静にせよと計り言ひて、更に叱ることなし、随分慎みて家人等と親しみしは、物言ひ能き様にと思ひしが故なり。 ○
書き下し
○島左近友之は日本第一の勇猛と呼ばれし者なるが、嘗て甲胄を帶して床机に掛り、妻を呼びしに、次の間より見て、恐れ振ひ頭を擧げ得ざりしかば、友之打笑ひ、偖も汝は臆病なる者哉、若し黒田甲州の物具せらるゝを見ば、魂を失ひ絶え入るべしと言ひしとぞ。斯りければ、家臣等長政を恐るゝこと甚だしく、伺ふべき用事も控へめにして申出すことを憚るを察知し、萬事家人に物言ふこと、如何にも柔和に致し、烈しく物言ふことなく、近習の者共、次にて笑ひ戯れ狂へども、聞かぬ振して咎むることなし、役人共を呼びて用事抔申付る時、遠慮なく若者共次にて狂ひ、餘り騷げば、用事あるぞ今少し靜にせよと計り言ひて、更に叱ることなし、隨分愼みて家人等と親しみしは、物言ひ能き樣にと思ひしが故なり。 ○
現代語訳
島左近友之は日本第一の勇猛と呼ばれた者ですが、かつて甲冑を着けて床几に掛かり、妻を呼んだところ、次の間から見て恐れ震え、頭を上げることができませんでした。友之は打ち笑い、「いやはや、お前は臆病な者だ。もし黒田甲州の物の具を着けられたのを見たら、魂を失って絶え入るだろう」と言ったということです。このように、家臣たちが長政を恐れることはなはだしく、うかがうべき用事も控えめにして、申し出ることをはばかるのを察知し、万事、家人にものを言うことを、いかにも柔和にして、激しい物言いをせず、近習の者たちが次の間で笑い戯れ騒いでも、聞かぬふりをして咎めることはありませんでした。役人たちを呼んで用事などを申し付けるとき、遠慮なく若者たちが次の間で騒ぎ、あまりに騒ぐと、「用事がある、もう少し静かにせよ」とだけ言い、決して叱ることはありませんでした。ずいぶん慎んで家人たちと親しんだのは、ものを言いやすいようにと思ったからでした。 ○
解説

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