名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 但馬の直諫と涙
但馬聞て、君は聞く、臣は阿諛候へば、當家の御滅亡程有間敷候、左候はゞ、我々體も浪々仕り、終には鉢敲か袖乞の身と相成るべきと存候に付て、涕も出申候、能々御了簡成され候へ、宗雪が能きとて譽め候を、實と思召候は、甚だ愚かなる御心に候、殿は大名故、諂ひて御意に叶ひ、物を多く貰ひ、德を得んとて申ことを眞實と思召候は、御心の闇き故なり、是程の儀、此一座に居申者共存間敷候や、然らば苦々敷ことと存じ、御異見申すべき者共が、却て追從輕薄にして、面白き事なり、承はり度なりと言て、殿を誑かし候を、御辨へなく御悦喜の體に候、爰を以て御心の闇と、臣等が諫を御分別あるべし、熟々分別仕候に、御座に罷在る者共は、職隆樣、孝高樣より殿の御代までの間、一廉の働を仕り、身命を投捨て御用に立ちたる者共に候へば、未練の心は有間敷ことなれども、今天下太平にて、面々も殿の恩にて身上能くなりし故に、身構の心出來るか、左なくば、殿の輕侮を善しと思召候御心中を知て、兎にも角にも御意に叶ひ、己が一生を安樂に送らんと欲心起りて、本心を失ひ、輕薄申すと見え候、箇樣にありては、何にとて御家長久仕るべきやと申ければ、長政默然として聞居しが、つと立て奧に入る。一座の輩も皆不興せり。粟山、井上等、但馬に向ひ、其方諫一理あれども、今日に限り、中さで叶はぬと云ふ儀にもあらず、今日は祝儀とて皆の者共呼出し、祝はるゝ席にて、忠義にもせよ、一座の興を醒ますは、近頃不骨なりと、内々但馬へ異見せり。暫らく在りて、長政奧より刀を提げて立出で、但馬が前に進み寄る。各々是を見、長政日頃は隨分愼みて物柔らかなる樣なれども、元來は勇猛の人なれば、怒りて手打にせらるゝなるべしと、皆手に汗を握れり。長政は但馬が向ふに座して、はら〱と涕を流し、其方異見尤も至極なり、其方異見とは思はず如水御再生成され仰聞らるゝと思へば、一入喜び入る。
新字:但馬聞て、君は聞く、臣は阿諛候へば、当家の御滅亡程有間敷候、左候はゞ、我々体も浪々仕り、終には鉢敲か袖乞の身と相成るべきと存候に付て、涕も出申候、能々御了簡成され候へ、宗雪が能きとて誉め候を、実と思召候は、甚だ愚かなる御心に候、殿は大名故、諂ひて御意に叶ひ、物を多く貰ひ、徳を得んとて申ことを真実と思召候は、御心の闇き故なり、是程の儀、此一座に居申者共存間敷候や、然らば苦々敷ことと存じ、御異見申すべき者共が、却て追従軽薄にして、面白き事なり、承はり度なりと言て、殿を誑かし候を、御弁へなく御悦喜の体に候、爰を以て御心の闇と、臣等が諫を御分別あるべし、熟々分別仕候に、御座に罷在る者共は、職隆様、孝高様より殿の御代までの間、一廉の働を仕り、身命を投捨て御用に立ちたる者共に候へば、未練の心は有間敷ことなれども、今天下太平にて、面々も殿の恩にて身上能くなりし故に、身構の心出来るか、左なくば、殿の軽侮を善しと思召候御心中を知て、兎にも角にも御意に叶ひ、己が一生を安楽に送らんと欲心起りて、本心を失ひ、軽薄申すと見え候、箇様にありては、何にとて御家長久仕るべきやと申ければ、長政黙然として聞居しが、つと立て奥に入る。一座の輩も皆不興せり。粟山、井上等、但馬に向ひ、其方諫一理あれども、今日に限り、中さで叶はぬと云ふ儀にもあらず、今日は祝儀とて皆の者共呼出し、祝はるゝ席にて、忠義にもせよ、一座の興を醒ますは、近頃不骨なりと、内々但馬へ異見せり。暫らく在りて、長政奥より刀を提げて立出で、但馬が前に進み寄る。各々是を見、長政日頃は随分慎みて物柔らかなる様なれども、元来は勇猛の人なれば、怒りて手打にせらるゝなるべしと、皆手に汗を握れり。長政は但馬が向ふに座して、はら〱と涕を流し、其方異見尤も至極なり、其方異見とは思はず如水御再生成され仰聞らるゝと思へば、一入喜び入る。
書き下し
但馬聞て、君は聞く、臣は阿諛候へば、當家の御滅亡程有間敷候、左候はゞ、我々體も浪々仕り、終には鉢敲か袖乞の身と相成るべきと存候に付て、涕も出申候、能々御了簡成され候へ、宗雪が能きとて譽め候を、實と思召候は、甚だ愚かなる御心に候、殿は大名故、諂ひて御意に叶ひ、物を多く貰ひ、德を得んとて申ことを眞實と思召候は、御心の闇き故なり、是程の儀、此一座に居申者共存間敷候や、然らば苦々敷ことと存じ、御異見申すべき者共が、却て追從輕薄にして、面白き事なり、承はり度なりと言て、殿を誑かし候を、御辨へなく御悦喜の體に候、爰を以て御心の闇と、臣等が諫を御分別あるべし、熟々分別仕候に、御座に罷在る者共は、職隆樣、孝高樣より殿の御代までの間、一廉の働を仕り、身命を投捨て御用に立ちたる者共に候へば、未練の心は有間敷ことなれども、今天下太平にて、面々も殿の恩にて身上能くなりし故に、身構の心出來るか、左なくば、殿の輕侮を善しと思召候御心中を知て、兎にも角にも御意に叶ひ、己が一生を安樂に送らんと欲心起りて、本心を失ひ、輕薄申すと見え候、箇樣にありては、何にとて御家長久仕るべきやと申ければ、長政默然として聞居しが、つと立て奧に入る。一座の輩も皆不興せり。粟山、井上等、但馬に向ひ、其方諫一理あれども、今日に限り、中さで叶はぬと云ふ儀にもあらず、今日は祝儀とて皆の者共呼出し、祝はるゝ席にて、忠義にもせよ、一座の興を醒ますは、近頃不骨なりと、内々但馬へ異見せり。暫らく在りて、長政奧より刀を提げて立出で、但馬が前に進み寄る。各々是を見、長政日頃は隨分愼みて物柔らかなる樣なれども、元來は勇猛の人なれば、怒りて手打にせらるゝなるべしと、皆手に汗を握れり。長政は但馬が向ふに座して、はら〱と涕を流し、其方異見尤も至極なり、其方異見とは思はず如水御再生成され仰聞らるゝと思へば、一入喜び入る。
現代語訳
但馬は聞いて言いました。「君が聞き、臣が阿諛するなら、当家の御滅亡ほど有り得ないことはありません。そうなれば、我々も浪々し、ついには鉢叩きか袖乞いの身となるでしょう。それで涙も出るのです。よくよくご了簡ください。宗雪がよいと誉めたのを真に受けられるのは、はなはだ愚かな御心です。殿は大名なので、諂って御意に叶い、物を多くもらい、利益を得ようとして申すことを真実と思われるのは、御心が暗いからです。これほどのことは、この座の者たちが知らないはずはありません。そうなら、苦々しいことと思い、ご意見すべき者たちが、かえって追従軽薄にして、面白い、承りたいと言って、殿をたぶらかしているのを、おわきまえなく、お喜びのご様子です。これをもって、御心の闇と、臣らの諫めをご分別ください。つくづく考えますに、この座におります者たちは、職隆様、孝高様から殿の代までの間、ひとかどの働きをして、身命を投げ捨ててご用に立った者たちですから、未練の心はないはずです。けれども今、天下太平で、それぞれも殿の恩で身上がよくなったので、身構えの心ができたのか、そうでなければ、殿が軽んじられるのを善しとお思いになる御心中を知って、何とかして御意に叶い、自分の一生を安楽に送ろうと欲心が起こり、本心を失って、軽薄を申すと見えます。このようでは、どうして御家が長久でありましょうか」と申しました。長政は黙って聞いていましたが、さっと立って奥へ入りました。一座の者もみな不興でした。粟山、井上らは但馬に向かい、「そなたの諫めに一理はあるが、今日に限り、申さずに済まないということでもない。今日は祝儀だと言って皆の者を呼び出し、祝われる席で、忠義にせよ、一座の興を覚ますのは、近ごろ不躾だ」と、内々に但馬に意見しました。しばらくして、長政が奥から刀を提げて出て、但馬の前に進み寄りました。各々はこれを見て、長政は日ごろはずいぶん慎んで物柔らかなようだが、元来は勇猛の人だから、怒って手討ちにするのだろうと、皆、手に汗を握りました。長政は但馬の向かいに座って、はらはらと涙を流し、「そなたの意見はもっともこの上ない。そなたの意見とは思わず、如水が再生なさって仰せ聞かせられると思うと、ひとしお喜ばしい。
解説

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