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名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 小早川の裏切りを待つ陣

○此役、諸手の接戰最中に方り、長政家人大久保猪之助は兼ねてより小早川秀秋の陣に至りしが、平岡頼勝が側へ近付き、草摺をむずと取て言ひけるは、戰既に始まりて勝負又取り〳〵なるに、裏切の下知なきは不審なり、若し甲斐守を欺き給ふに於ては、弓矢八幡刺違へ申さんとて脇差の柄に手を掛くる、頼勝更に驚かず、先手を進むる汐合は我等に任せ置かるべしとて、爰彼所の戰を目放しもせず守り居たり。 ○此折節五字の指物さしたる武者一騎、長政が陣所に馳せ來たり、甲州々々、筑前中納言が裏切に相違はなきかと高聲に言て馳せ近づく、是は德川の使番山上郷右衞門なり、長政聞きも敢へず、中納言が裏切に相違あるなしは、我等も其方と同樣に知るべき樣なし。彼假令人質を捨て、我を欺き、宇喜田、石田が方人して、内府へ楯を突きたりとも、何程の事かあるべき、差向ひたる石田が旗本を卽時に切崩し、其後秀秋、秀家を打果さんに、手間は取るべからず、今に至りて我等が分別は鑓先に在りと、あらげなく答へしに、山上兎角を言はず馳歸り、返答の趣を有の儘に言ひければ、家康、甲斐守は常に其氣分あるなりとて、思の外に悦喜あり、長政は山上が歸りて後ち、獨言に、内府の仰と言はゞ馬より下りて返答申す品もあるべきを、己が心得の樣に言成し、其上軍中と云へど、禮儀は勿論の事なるに、馬上より甲州々々と呼びかけたるは、身の分限を知らぬ無禮者なり、と甚だ不興せしとかや。

新字:○此役、諸手の接戦最中に方り、長政家人大久保猪之助は兼ねてより小早川秀秋の陣に至りしが、平岡頼勝が側へ近付き、草摺をむずと取て言ひけるは、戦既に始まりて勝負又取り〳〵なるに、裏切の下知なきは不審なり、若し甲斐守を欺き給ふに於ては、弓矢八幡刺違へ申さんとて脇差の柄に手を掛くる、頼勝更に驚かず、先手を進むる汐合は我等に任せ置かるべしとて、爰彼所の戦を目放しもせず守り居たり。 ○此折節五字の指物さしたる武者一騎、長政が陣所に馳せ来たり、甲州々々、筑前中納言が裏切に相違はなきかと高声に言て馳せ近づく、是は徳川の使番山上郷右衛門なり、長政聞きも敢へず、中納言が裏切に相違あるなしは、我等も其方と同様に知るべき様なし。彼仮令人質を捨て、我を欺き、宇喜田、石田が方人して、内府へ楯を突きたりとも、何程の事かあるべき、差向ひたる石田が旗本を即時に切崩し、其後秀秋、秀家を打果さんに、手間は取るべからず、今に至りて我等が分別は鑓先に在りと、あらげなく答へしに、山上兎角を言はず馳帰り、返答の趣を有の儘に言ひければ、家康、甲斐守は常に其気分あるなりとて、思の外に悦喜あり、長政は山上が帰りて後ち、独言に、内府の仰と言はゞ馬より下りて返答申す品もあるべきを、己が心得の様に言成し、其上軍中と云へど、礼儀は勿論の事なるに、馬上より甲州々々と呼びかけたるは、身の分限を知らぬ無礼者なり、と甚だ不興せしとかや。

書き下し

○此役、諸手の接戰最中に方り、長政家人大久保猪之助は兼ねてより小早川秀秋の陣に至りしが、平岡頼勝が側へ近付き、草摺をむずと取て言ひけるは、戰既に始まりて勝負又取り〳〵なるに、裏切の下知なきは不審なり、若し甲斐守を欺き給ふに於ては、弓矢八幡刺違へ申さんとて脇差の柄に手を掛くる、頼勝更に驚かず、先手を進むる汐合は我等に任せ置かるべしとて、爰彼所の戰を目放しもせず守り居たり。 ○此折節五字の指物さしたる武者一騎、長政が陣所に馳せ來たり、甲州々々、筑前中納言が裏切に相違はなきかと高聲に言て馳せ近づく、是は德川の使番山上郷右衞門なり、長政聞きも敢へず、中納言が裏切に相違あるなしは、我等も其方と同樣に知るべき樣なし。彼假令人質を捨て、我を欺き、宇喜田、石田が方人して、内府へ楯を突きたりとも、何程の事かあるべき、差向ひたる石田が旗本を卽時に切崩し、其後秀秋、秀家を打果さんに、手間は取るべからず、今に至りて我等が分別は鑓先に在りと、あらげなく答へしに、山上兎角を言はず馳歸り、返答の趣を有の儘に言ひければ、家康、甲斐守は常に其氣分あるなりとて、思の外に悦喜あり、長政は山上が歸りて後ち、獨言に、内府の仰と言はゞ馬より下りて返答申す品もあるべきを、己が心得の樣に言成し、其上軍中と云へど、禮儀は勿論の事なるに、馬上より甲州々々と呼びかけたるは、身の分限を知らぬ無禮者なり、と甚だ不興せしとかや。

現代語訳

この戦いで、各部隊が接戦のさなかに、長政の家人の大久保猪之助は、かねてから小早川秀秋の陣に出入りしていましたが、平岡頼勝のそばに近づき、草摺をむずとつかんで言いました。「戦いはすでに始まり、勝負はまだどちらとも決まらないのに、裏切りの下知がないのは不審である。もし甲斐守(長政)を欺かれるなら、弓矢八幡に誓って刺し違える」と、脇差の柄に手を掛けました。頼勝は少しも驚かず、「先手を進める汐合いは我らにお任せください」と言い、あちこちの戦いから目を離さず見守っていました。 ○このとき、五字の指物をさした武者が一騎、長政の陣所に馳せ来て、「甲州、甲州、筑前中納言(小早川秀秋)の裏切りに相違はないか」と高声で言いながら近づきました。これは徳川家の使番、山上郷右衛門でした。長政は聞くや否や、「中納言が裏切るかどうかは、我らもそなたと同様に知るはずもない。たとえ彼が人質を捨て、我を欺き、宇喜多、石田の味方をして、内府に楯を突いたとしても、何ほどのことがあろう。差し向かいの石田の旗本を即座に切り崩し、その後に秀秋、秀家を討ち果たすのに、手間はかからない。今に至って我らの分別は鑓先にある」と、荒々しく答えました。山上は何も言わず馳せ帰り、返答の趣旨をありのままに言うと、家康は「甲斐守は常にそういう気風だ」と、思いのほか喜びました。長政は山上が帰った後、独り言に、「内府の仰せと言えば馬から下りて返答するものを、自分の考えのように言い、そのうえ軍中でも礼儀は当然なのに、馬上から甲州、甲州と呼びかけたのは、身の分限を知らぬ無礼者だ」と、甚だ不興だったということです。

解説

関ケ原での小早川秀秋の寝返りをめぐる、長政の逸話です。前半は、家人が小早川方の重臣に迫り、裏切りの実行を迫る場面です。後半は、家康の使番に対し、長政が他人の動向に頼らず自軍の働きで勝つ覚悟を答えます。家康はその答えを喜んだとされますが、長政は使番の無礼を不快に思います。他人の動きを待つのではなく、自分の持ち場でやり切る覚悟と、礼儀を重んじる姿勢が同居しています。これらは逸話であり、細部の確かさは慎重に見る必要があります。不確実な状況で他者に依存せず備える姿勢は、現代の事業判断にも通じます。
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この章句が説くこと

長政関ケ原小早川秀秋使番覚悟礼儀

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