名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 剣の名人に挑んだ若者
○家臣林田左門は劒術の名人にて、西國に隱れなき者なり、或時同家中の者五六人寄合し時、信田大和も來り咄しけるに、兵法のこと申出し、其中に若年なる者力量も強くして、己が血氣に任せて、諸事強き事をのみ好める者、兵法は武士の勤むべき道とは雖も、あながち之を習はざれば武道ならずと言ふにはもあるまじ、一心さへ動かずば、假令兵法は知らずと雖も、高名を遂ぐべし抔と、居丈高に成て申す。左門聞て、如何にも其方申さるゝこと一理は聞えたり、去りながら、心剛なる上に、兵法勝れなば、鬼に鐵棒なるべしと言ふ。彼の士血氣なれば、否々一心さへ動かずば、假令木刀仕合なりとも無下に劣るべしとは覺えず、些と仕合して見度ものなりと言ふ。左門聞て夫は能き志なり、いざ參らうと言へば、心得たりとて早や座を立て庭へ飛下り邊りを見るに、庭木の副木に結付けし長さ一間許りの小丸太ありしを、是にて仕らんとて引抜き土の付きたるを拭ひ、二つ三つ打振り見て持ちたり。左門も座敷を立ちて椽を見れば、小太刀のありしを押取りて、提げ、庭に下り立て申すは、隨分心の及ぶ丈け精を出し、何卒太刀を入れて見られよと言ふ。言ふまでもなしとて、彼の丸太を打揮て掛る左門も、小太刀を提げ、徐々と寄りけるに、太刀の間屆く程になると見えしが、若者一打にと打けるを、左門引外して、飛違ひさまに、太刀の先にて彼者の額を少し打て參つたりと聲を掛けしかば、若者如何にも太刀當りて覺えたり、思ひしよりも、太刀早きことなり、中々成間敷と言て、丸太を投捨てたり。其時左門殘り多くば、今一と仕合參るべしと言へば、否々成間敷ことゝて、止みける、雙方座に歸りて、左門向後は我を折られ候へと言へば、成程心得たりと答へしが、一座の人々も笑ひける。
新字:○家臣林田左門は劒術の名人にて、西国に隠れなき者なり、或時同家中の者五六人寄合し時、信田大和も来り咄しけるに、兵法のこと申出し、其中に若年なる者力量も強くして、己が血気に任せて、諸事強き事をのみ好める者、兵法は武士の勤むべき道とは雖も、あながち之を習はざれば武道ならずと言ふにはもあるまじ、一心さへ動かずば、仮令兵法は知らずと雖も、高名を遂ぐべし抔と、居丈高に成て申す。左門聞て、如何にも其方申さるゝこと一理は聞えたり、去りながら、心剛なる上に、兵法勝れなば、鬼に鉄棒なるべしと言ふ。彼の士血気なれば、否々一心さへ動かずば、仮令木刀仕合なりとも無下に劣るべしとは覚えず、些と仕合して見度ものなりと言ふ。左門聞て夫は能き志なり、いざ参らうと言へば、心得たりとて早や座を立て庭へ飛下り辺りを見るに、庭木の副木に結付けし長さ一間許りの小丸太ありしを、是にて仕らんとて引抜き土の付きたるを拭ひ、二つ三つ打振り見て持ちたり。左門も座敷を立ちて椽を見れば、小太刀のありしを押取りて、提げ、庭に下り立て申すは、随分心の及ぶ丈け精を出し、何卒太刀を入れて見られよと言ふ。言ふまでもなしとて、彼の丸太を打揮て掛る左門も、小太刀を提げ、徐々と寄りけるに、太刀の間届く程になると見えしが、若者一打にと打けるを、左門引外して、飛違ひさまに、太刀の先にて彼者の額を少し打て参つたりと声を掛けしかば、若者如何にも太刀当りて覚えたり、思ひしよりも、太刀早きことなり、中々成間敷と言て、丸太を投捨てたり。其時左門残り多くば、今一と仕合参るべしと言へば、否々成間敷ことゝて、止みける、双方座に帰りて、左門向後は我を折られ候へと言へば、成程心得たりと答へしが、一座の人々も笑ひける。
書き下し
○家臣林田左門は劒術の名人にて、西國に隱れなき者なり、或時同家中の者五六人寄合し時、信田大和も來り咄しけるに、兵法のこと申出し、其中に若年なる者力量も強くして、己が血氣に任せて、諸事強き事をのみ好める者、兵法は武士の勤むべき道とは雖も、あながち之を習はざれば武道ならずと言ふにはもあるまじ、一心さへ動かずば、假令兵法は知らずと雖も、高名を遂ぐべし抔と、居丈高に成て申す。左門聞て、如何にも其方申さるゝこと一理は聞えたり、去りながら、心剛なる上に、兵法勝れなば、鬼に鐵棒なるべしと言ふ。彼の士血氣なれば、否々一心さへ動かずば、假令木刀仕合なりとも無下に劣るべしとは覺えず、些と仕合して見度ものなりと言ふ。左門聞て夫は能き志なり、いざ參らうと言へば、心得たりとて早や座を立て庭へ飛下り邊りを見るに、庭木の副木に結付けし長さ一間許りの小丸太ありしを、是にて仕らんとて引抜き土の付きたるを拭ひ、二つ三つ打振り見て持ちたり。左門も座敷を立ちて椽を見れば、小太刀のありしを押取りて、提げ、庭に下り立て申すは、隨分心の及ぶ丈け精を出し、何卒太刀を入れて見られよと言ふ。言ふまでもなしとて、彼の丸太を打揮て掛る左門も、小太刀を提げ、徐々と寄りけるに、太刀の間屆く程になると見えしが、若者一打にと打けるを、左門引外して、飛違ひさまに、太刀の先にて彼者の額を少し打て參つたりと聲を掛けしかば、若者如何にも太刀當りて覺えたり、思ひしよりも、太刀早きことなり、中々成間敷と言て、丸太を投捨てたり。其時左門殘り多くば、今一と仕合參るべしと言へば、否々成間敷ことゝて、止みける、雙方座に歸りて、左門向後は我を折られ候へと言へば、成程心得たりと答へしが、一座の人々も笑ひける。
現代語訳
家臣の林田左門は剣術の名人で、西国に隠れなき者でした。あるとき、同じ家中の者が五、六人寄り合ったところへ、信田大和も来て話していましたが、兵法のことを言い出しました。その中の若い者で、力量も強く、自分の血気に任せて何事も強いことばかり好む者が、「兵法は武士の勤めるべき道とはいえ、必ずしもこれを習わなければ武道ではないというものでもあるまい。一心さえ動かなければ、たとえ兵法を知らなくても、高名を遂げられるだろう」などと、居丈高に言いました。左門は聞いて、「いかにも、そなたの申されることには一理が聞こえる。しかしながら、心が剛い上に、兵法が優れていれば、鬼に鉄棒でしょう」と言いました。その士は血気盛んなので、「いやいや、一心さえ動かなければ、たとえ木刀の仕合でも、むやみに劣るとは思わぬ。ちょっと仕合してみたいものだ」と言います。左門は聞いて「それはよい志です。さあ参りましょう」と言うと、「心得た」と、早くも座を立って庭へ飛び降り、辺りを見ると、庭木の添え木に結び付けてあった長さ一間ばかりの小丸太があったので、「これで仕合おう」と引き抜き、土の付いたのを拭い、二、三度打ち振って構えました。左門も座敷を立ち、縁を見ると小太刀があったので、それを取って提げ、庭に下り立って、「ずいぶん心の及ぶ限り精を出し、どうか太刀を入れてごらんなさい」と言います。「言うまでもない」と、その丸太を打ち振って掛かりました。左門も小太刀を提げ、ゆるゆると寄ると、太刀の間が届くほどになると見えたとき、若者が一打ちに打ちましたが、左門は引き外して、飛び違いざまに、太刀の先でその者の額を少し打って、「参った」と声を掛けました。若者は「いかにも太刀が当たったと覚える。思ったよりも、太刀が早いことだ。とても勝てない」と言って、丸太を投げ捨てました。そのとき左門が「物足りなければ、もう一仕合参りましょう」と言うと、「いやいや、できない」と言って止みました。双方が座に帰り、左門が「今後は、私に我を折られなさい」と言うと、「なるほど承知した」と答えましたが、一座の人々も笑った、ということです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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名将言行録・『名将言行録』黒田長政 借りた鑓と父不在の先陣○孝高、糟屋助右衞門武則を呼びて、貴殿は年も若からず、先年の大功もあれば、悴長政に萬事心付を頼入る由申す。武則不肖の某に、過分至極の仰なり、但し賤ヶ嶽の武功は天下の知る所なれば、今更謙退する儀にてもなしと言て、其時の持鑓を進ずべしとて、則ち取寄せ長政に渡しければ、長政心底は、父の命なれども、糟屋が七本鑓程のことは、我必ず爲すべしと思ひ、鑓を手に取らざる前に、昔より鑓を仕るに、師範を取て功を成すを聞かずと言ひければ、武則此一言にては、鑓も早や成りたり大功の程知れ候と感じけり。 ○長政、後藤又兵衞基次とは主從にてありながら、常に武勇を爭ひ、直先掛けて進みける故に、從士等歸陣して後に、始めて生きたる心地すると言ふ。粟山備後守、井上周防守、黒田美作守等之を諫む。長政聞て、父のおはさぬ時は、悴忠之を先手へ出し、我大將の威を立て、重々敷旗本に控ゆべし、今父おはせし故に、旗本に氣遣ひなし、我先手へ出、戰死するとも、父のおはせば、少しも氣遣ふべからずと言はれけり。