名将言行録 / 『名将言行録』黑田孝高 鯛の中落ちの吸物
○此役、日根野織部正高吉、孝高と懇意に付、出陣の用意の爲めに、銀子貳百枚の恩借を乞ひけり、易きことなりとて用立けり。其後歸朝し、禮謝として百枚相加へ持參し、孝高の許に來り、日頃の厚禮を述べける時、孝高近習の者を呼びて、申付けるは、先刻到來せし鯛を三枚におろし、身は味噌に漬けさせ置き、中落を吸物に致し、織部殿に參らせ我等へも出せよと差圖せり。高吉默して聞き居しが、去りとは心得ぬ申付哉と思ひけれども、斯くとも申難く、對話の序に銀子を取出して、恩借の禮を述べければ、孝高大に不興し、是は御念の入りたる事なれども、其儀に及ばざるなり、出陣に入用の事なれば、返濟を望む心更になし、此事承引なくば再び面會を致すべからずと言ければ、高吉も、言はん詞なく、銀子を其儘に持歸りけり。孝高、其跡にて、近臣を呼び、先刻味噌に渡し置けと申しゝ魚は、其方共へ遣はすなり、偖此日根野のことは、益々奢侈の心見ゆる儘、其心を制せん爲めに、中落の吸物を申付たるとぞ言はれけり。
新字:○此役、日根野織部正高吉、孝高と懇意に付、出陣の用意の為めに、銀子貳百枚の恩借を乞ひけり、易きことなりとて用立けり。其後帰朝し、礼謝として百枚相加へ持参し、孝高の許に来り、日頃の厚礼を述べける時、孝高近習の者を呼びて、申付けるは、先刻到来せし鯛を三枚におろし、身は味噌に漬けさせ置き、中落を吸物に致し、織部殿に参らせ我等へも出せよと差図せり。高吉黙して聞き居しが、去りとは心得ぬ申付哉と思ひけれども、斯くとも申難く、対話の序に銀子を取出して、恩借の礼を述べければ、孝高大に不興し、是は御念の入りたる事なれども、其儀に及ばざるなり、出陣に入用の事なれば、返済を望む心更になし、此事承引なくば再び面会を致すべからずと言ければ、高吉も、言はん詞なく、銀子を其儘に持帰りけり。孝高、其跡にて、近臣を呼び、先刻味噌に渡し置けと申しゝ魚は、其方共へ遣はすなり、偖此日根野のことは、益々奢侈の心見ゆる儘、其心を制せん為めに、中落の吸物を申付たるとぞ言はれけり。
書き下し
○此役、日根野織部正高吉、孝高と懇意に付、出陣の用意の爲めに、銀子貳百枚の恩借を乞ひけり、易きことなりとて用立けり。其後歸朝し、禮謝として百枚相加へ持參し、孝高の許に來り、日頃の厚禮を述べける時、孝高近習の者を呼びて、申付けるは、先刻到來せし鯛を三枚におろし、身は味噌に漬けさせ置き、中落を吸物に致し、織部殿に參らせ我等へも出せよと差圖せり。高吉默して聞き居しが、去りとは心得ぬ申付哉と思ひけれども、斯くとも申難く、對話の序に銀子を取出して、恩借の禮を述べければ、孝高大に不興し、是は御念の入りたる事なれども、其儀に及ばざるなり、出陣に入用の事なれば、返濟を望む心更になし、此事承引なくば再び面會を致すべからずと言ければ、高吉も、言はん詞なく、銀子を其儘に持歸りけり。孝高、其跡にて、近臣を呼び、先刻味噌に渡し置けと申しゝ魚は、其方共へ遣はすなり、偖此日根野のことは、益々奢侈の心見ゆる儘、其心を制せん爲めに、中落の吸物を申付たるとぞ言はれけり。
現代語訳
この役のとき、日根野織部正高吉は、孝高と懇意であったため、出陣の準備のために銀子二百枚の借用を願いました。孝高はたやすいことだと言って用立てました。その後、高吉は帰国し、お礼として百枚を加えて持参し、孝高のもとを訪れ、日ごろの厚い心遣いを述べました。そのとき、孝高は近習の者を呼んで言いつけました。先ほど届いた鯛を三枚におろし、身は味噌に漬けておき、中落ちを吸物にして織部殿に差し上げ、我らにも出せ、と指図しました。高吉は黙って聞いていましたが、これは思いがけない言いつけだと思ったものの、そうとも言いにくく、対話のついでに銀子を取り出して、借用のお礼を述べると、孝高は大いに不機嫌になり、これはご丁寧なことだが、その必要はない、出陣に入り用のことであったから、返済を望む心は少しもない、この件を承知されなければ、再び会わないだろうと言いました。高吉は言う言葉もなく、銀子をそのまま持ち帰りました。孝高はその後、近臣を呼び、先ほど味噌に漬けておけと言った魚は、おまえたちに遣わす、ところで、この日根野のことは、ますます奢侈の心が見えるので、その心を抑えるために、中落ちの吸物を言いつけたのだと言ったということです。
解説

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