名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 人を和ませる器量
○土屋檢校曰く、甲州者申すは、信玄長命ならば、天下を取り給はんとなり、其節吾等も左思ひしが、只今存ずるに、左にはあらず、仔細は佐野天德寺、信玄、謙信へ目見に出しに、兩人ながら急度致したる挨拶なり、天德寺、顏を擧げ對せんと思ひけれども、威强くして能はず、後又天德寺、秀吉に目見に出でし時に、披露すると均く、天德寺參られたるかとて、傍へ寄られ、さても久しくこそ參られたると、膝を叩き、殊の御念比にてありしなり。故に染々と大切に存奉りしと言へり。是を以て考ふるに、箇樣の器量にてこそ人も和し、下も自から掌握に入らめ、信玄、謙信抔とは違ひたりと。 ○秀吉の家臣、暇を願ふ者あれば、暇乞として是へ出づべしと、呼て手づから茶を立てもてなし、其上にて脇差抔引き與へ、何方へ行ても思は敷なくば、又歸り來るべし、何つにても抱へ得さすべしと、最と懇に言はれて、其者に暇を賜はりけり。偖外へ在付兼ねし者、再び立歸れば、本地を與へ、元の如くにして召使はれけり。
新字:○土屋検校曰く、甲州者申すは、信玄長命ならば、天下を取り給はんとなり、其節吾等も左思ひしが、只今存ずるに、左にはあらず、仔細は佐野天徳寺、信玄、謙信へ目見に出しに、両人ながら急度致したる挨拶なり、天徳寺、顔を挙げ対せんと思ひけれども、威強くして能はず、後又天徳寺、秀吉に目見に出でし時に、披露すると均く、天徳寺参られたるかとて、傍へ寄られ、さても久しくこそ参られたると、膝を叩き、殊の御念比にてありしなり。故に染々と大切に存奉りしと言へり。是を以て考ふるに、箇様の器量にてこそ人も和し、下も自から掌握に入らめ、信玄、謙信抔とは違ひたりと。 ○秀吉の家臣、暇を願ふ者あれば、暇乞として是へ出づべしと、呼て手づから茶を立てもてなし、其上にて脇差抔引き与へ、何方へ行ても思は敷なくば、又帰り来るべし、何つにても抱へ得さすべしと、最と懇に言はれて、其者に暇を賜はりけり。偖外へ在付兼ねし者、再び立帰れば、本地を与へ、元の如くにして召使はれけり。
書き下し
○土屋檢校曰く、甲州者申すは、信玄長命ならば、天下を取り給はんとなり、其節吾等も左思ひしが、只今存ずるに、左にはあらず、仔細は佐野天德寺、信玄、謙信へ目見に出しに、兩人ながら急度致したる挨拶なり、天德寺、顏を擧げ對せんと思ひけれども、威强くして能はず、後又天德寺、秀吉に目見に出でし時に、披露すると均く、天德寺參られたるかとて、傍へ寄られ、さても久しくこそ參られたると、膝を叩き、殊の御念比にてありしなり。故に染々と大切に存奉りしと言へり。是を以て考ふるに、箇樣の器量にてこそ人も和し、下も自から掌握に入らめ、信玄、謙信抔とは違ひたりと。 ○秀吉の家臣、暇を願ふ者あれば、暇乞として是へ出づべしと、呼て手づから茶を立てもてなし、其上にて脇差抔引き與へ、何方へ行ても思は敷なくば、又歸り來るべし、何つにても抱へ得さすべしと、最と懇に言はれて、其者に暇を賜はりけり。偖外へ在付兼ねし者、再び立歸れば、本地を與へ、元の如くにして召使はれけり。
現代語訳
土屋検校が言うには、甲州の者は、信玄が長生きしていたら天下を取っただろうと言うし、自分もその頃はそう思っていたが、今になって考えるとそうではない、理由は、佐野天徳寺が信玄、謙信に目通りに出た時、二人とも堅苦しい挨拶をしたので、天徳寺は顔を上げて向かい合おうと思ったが、威厳が強くてできなかった、後に天徳寺が秀吉に目通りに出た時、取り次ぎが告げるとすぐ、天徳寺が来たかと言って傍らへ寄り、よく久しぶりに来られたと膝を叩き、大変に懇ろな扱いをされた、そのため、しみじみ大切に思い申し上げた、と語ったということです。これによって考えると、このような器量であるからこそ、人も和み、下の者も自然と手の内に入るのだろう、信玄、謙信などとは違っていた、と。 秀吉の家臣で暇を願う者があれば、暇乞いのために、ここへ出なさいと呼んで、自分で茶を点ててもてなし、そのうえ脇差などを与え、どこへ行っても気が合わなければ、また帰ってくるがよい、いつでも召し抱えようと、とても丁寧に言って、暇を与えました。そして外で落ち着けなかった者が再び帰ってくれば、元の知行を与えて、前のように召し使いました。
解説

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