名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 陣中の遊びと堤普請
○秀吉、或陣に馬廻共の陣小屋を見廻るに、擊皷謠聲のする所あり、立寄りて垣の陰より見るに、内に武者三人あり、一人は具足櫃に腰掛て皷を撃ち、一人は扇を持て謠ふ、今一人は盃を控へたり、各皆甲冑を帶したり。秀吉之を見ば氣色や惡かりなん、と供の人々不審く思ひしに、左はなくてあれを見よや、退屈せぬ奴原哉とて笑を含み、夫々あの奴原に酒取らせよ、左のみ食ひ醉泝せぬ樣に言へと言はれて、打過られけり。又或陣に同じく陣小屋を見廻るに、少し明地に、如何にも青々と菜の芽みたる所あり之を見て、長陣と見たるな、退屈せぬ爲め哉とて白米を賜はりけり。 ○一年、淀川洪水にて堤切れし時、秀吉巡見に出て、捨置かば、山城、攝津水海の如くなるべきを察し、自ら土俵を運ばんとて、宮部繼潤の家臣、友田左近右衞門を多くの中より撰み出し、相肩にし、土を運びたり。去ればにや、供の大小名を始め、僧俗男女を言はず、我も〱と出ければ、忽ちに堤成就して、大水を堰止めたり。時人友田を太政大臣と相肩せし奇特者よと言ひしとぞ。
新字:○秀吉、或陣に馬廻共の陣小屋を見廻るに、撃鼓謡声のする所あり、立寄りて垣の陰より見るに、内に武者三人あり、一人は具足櫃に腰掛て鼓を撃ち、一人は扇を持て謡ふ、今一人は盃を控へたり、各皆甲冑を帯したり。秀吉之を見ば気色や悪かりなん、と供の人々不審く思ひしに、左はなくてあれを見よや、退屈せぬ奴原哉とて笑を含み、夫々あの奴原に酒取らせよ、左のみ食ひ酔泝せぬ様に言へと言はれて、打過られけり。又或陣に同じく陣小屋を見廻るに、少し明地に、如何にも青々と菜の芽みたる所あり之を見て、長陣と見たるな、退屈せぬ為め哉とて白米を賜はりけり。 ○一年、淀川洪水にて堤切れし時、秀吉巡見に出て、捨置かば、山城、摂津水海の如くなるべきを察し、自ら土俵を運ばんとて、宮部継潤の家臣、友田左近右衛門を多くの中より撰み出し、相肩にし、土を運びたり。去ればにや、供の大小名を始め、僧俗男女を言はず、我も〱と出ければ、忽ちに堤成就して、大水を堰止めたり。時人友田を太政大臣と相肩せし奇特者よと言ひしとぞ。
書き下し
○秀吉、或陣に馬廻共の陣小屋を見廻るに、擊皷謠聲のする所あり、立寄りて垣の陰より見るに、内に武者三人あり、一人は具足櫃に腰掛て皷を撃ち、一人は扇を持て謠ふ、今一人は盃を控へたり、各皆甲冑を帶したり。秀吉之を見ば氣色や惡かりなん、と供の人々不審く思ひしに、左はなくてあれを見よや、退屈せぬ奴原哉とて笑を含み、夫々あの奴原に酒取らせよ、左のみ食ひ醉泝せぬ樣に言へと言はれて、打過られけり。又或陣に同じく陣小屋を見廻るに、少し明地に、如何にも青々と菜の芽みたる所あり之を見て、長陣と見たるな、退屈せぬ爲め哉とて白米を賜はりけり。 ○一年、淀川洪水にて堤切れし時、秀吉巡見に出て、捨置かば、山城、攝津水海の如くなるべきを察し、自ら土俵を運ばんとて、宮部繼潤の家臣、友田左近右衞門を多くの中より撰み出し、相肩にし、土を運びたり。去ればにや、供の大小名を始め、僧俗男女を言はず、我も〱と出ければ、忽ちに堤成就して、大水を堰止めたり。時人友田を太政大臣と相肩せし奇特者よと言ひしとぞ。
現代語訳
秀吉があるとき陣中で、馬廻りの者たちの陣小屋を見回ると、鼓を打ち、謡をうたう声がする所がありました。立ち寄って垣根の陰から見ると、中に武者が三人いて、一人は具足櫃に腰かけて鼓を打ち、一人は扇を持って謡い、もう一人は盃を控えていました。皆、甲冑を身につけていました。供の人々は、秀吉がこれを見たら機嫌を損ねるのではないかと不安に思いましたが、秀吉は、そうではない、あれを見よ、退屈しない奴らだと笑い、それならあの者たちに酒を与えよ、ただし深く酔わないように言え、と言って通り過ぎました。また、ある陣で陣小屋を見回ったとき、少し空き地になっている所に青々と菜の芽が出ているのを見て、長陣と見えるな、退屈しないためだろうと言い、白米を与えました。 ある年、淀川が洪水で堤が切れたとき、秀吉は見回りに出て、放っておけば山城と摂津が湖のようになってしまうと察し、自ら土俵を運ぼうと、宮部継潤の家臣・友田左近右衛門を大勢の中から選び出し、肩を並べて土を運びました。それで、供の大小の大名をはじめ、僧も俗人も男女も区別なく、我も我もと出てきたので、たちまち堤は完成し、大水を堰き止めました。当時の人は、友田は太政大臣と肩を並べて土を運んだ珍しい者だと言ったということです。
解説

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『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。