名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 能の最中の兵糧令
○同時、秀吉自身能をして大小名に見せらる。既に能半ばなりけるに、不圖謠を先づ待てと言はるゝ故に、謠を止めければ、秀吉蒙りたる面を天窓の上へ押上げ、早々賄の者召せとて呼ばる。賄の者舞臺へ伺候す。そこにて、秀吉、今度朝鮮へ軍勢遣はし候、其兵糧積り足り申間敷と存ずる間、急に一倍用意致し候樣にと命ぜらる。即ち舞臺へ祐筆を召し、書出し、朱印までを認め、其後又本の如く面を顏に下ろし、能を終られたり。 ○文祿元年四月、秀吉安藝に至り、嚴島の祠に謁し、百錢を投ち祝して曰く、吾にして明に勝んには、錢の面多かれと言はれて、則ち投ぜらる、然る處錢皆面せり、衆大に喜べり、是は豫め兩錢を糊合せしなり。 ○秀吉、鶴を好み、飼置きたり、監者過て之を逃がせり。依て、次第を申述て罪を請ふ。秀吉、此鶴化外の國に至るやと問ふ。飼島なれば遠飛することは成り申さずと言ふ。秀吉笑て、吾化の及ぶ所は均しく一樊なり、我樊之を失せば、乃ち復た之を得んと言つて、監者を罪せず。 ○秀吉常に近臣に向ひ、天下我に反く者あるとも、我に克つ者はなしと言はれけり。 他の書に、(天下我に反く者はあるまじ我よりよき主人なければなり)とある。
新字:○同時、秀吉自身能をして大小名に見せらる。既に能半ばなりけるに、不図謡を先づ待てと言はるゝ故に、謡を止めければ、秀吉蒙りたる面を天窓の上へ押上げ、早々賄の者召せとて呼ばる。賄の者舞台へ伺候す。そこにて、秀吉、今度朝鮮へ軍勢遣はし候、其兵糧積り足り申間敷と存ずる間、急に一倍用意致し候様にと命ぜらる。即ち舞台へ祐筆を召し、書出し、朱印までを認め、其後又本の如く面を顔に下ろし、能を終られたり。 ○文禄元年四月、秀吉安芸に至り、厳島の祠に謁し、百銭を投ち祝して曰く、吾にして明に勝んには、銭の面多かれと言はれて、則ち投ぜらる、然る処銭皆面せり、衆大に喜べり、是は予め両銭を糊合せしなり。 ○秀吉、鶴を好み、飼置きたり、監者過て之を逃がせり。依て、次第を申述て罪を請ふ。秀吉、此鶴化外の国に至るやと問ふ。飼島なれば遠飛することは成り申さずと言ふ。秀吉笑て、吾化の及ぶ所は均しく一樊なり、我樊之を失せば、乃ち復た之を得んと言つて、監者を罪せず。 ○秀吉常に近臣に向ひ、天下我に反く者あるとも、我に克つ者はなしと言はれけり。 他の書に、(天下我に反く者はあるまじ我よりよき主人なければなり)とある。
書き下し
○同時、秀吉自身能をして大小名に見せらる。既に能半ばなりけるに、不圖謠を先づ待てと言はるゝ故に、謠を止めければ、秀吉蒙りたる面を天窓の上へ押上げ、早々賄の者召せとて呼ばる。賄の者舞臺へ伺候す。そこにて、秀吉、今度朝鮮へ軍勢遣はし候、其兵糧積り足り申間敷と存ずる間、急に一倍用意致し候樣にと命ぜらる。即ち舞臺へ祐筆を召し、書出し、朱印までを認め、其後又本の如く面を顏に下ろし、能を終られたり。 ○文祿元年四月、秀吉安藝に至り、嚴島の祠に謁し、百錢を投ち祝して曰く、吾にして明に勝んには、錢の面多かれと言はれて、則ち投ぜらる、然る處錢皆面せり、衆大に喜べり、是は豫め兩錢を糊合せしなり。 ○秀吉、鶴を好み、飼置きたり、監者過て之を逃がせり。依て、次第を申述て罪を請ふ。秀吉、此鶴化外の國に至るやと問ふ。飼島なれば遠飛することは成り申さずと言ふ。秀吉笑て、吾化の及ぶ所は均しく一樊なり、我樊之を失せば、乃ち復た之を得んと言つて、監者を罪せず。 ○秀吉常に近臣に向ひ、天下我に反く者あるとも、我に克つ者はなしと言はれけり。 他の書に、(天下我に反く者はあるまじ我よりよき主人なければなり)とある。
現代語訳
同じ頃、秀吉は自ら能を演じて大名たちに見せました。能が半ばに差しかかったとき、突然、謡を先に待てと言い、謡を止めさせました。秀吉は被っていた面を額の上へ押し上げ、すぐに賄方の者を呼べと命じました。賄方の者が舞台に控えると、秀吉は、このたび朝鮮へ軍勢を送るが、兵糧の見積もりでは足りないと思うので、急いで倍の量を用意せよと言いつけました。すぐに舞台へ祐筆を呼び、書き出しを作らせ、朱印まで押させ、それが済むとまた元のように面を顔に下ろして能を終えました。 文禄元年四月、秀吉は安芸に行き、厳島の社に参詣して百銭を投げ、祈って言いました。自分が明に勝つのなら、銭の表が多く出てほしいと。投げると、銭はすべて表を向き、人々は大いに喜びました。これは、あらかじめ二枚の銭を糊で貼り合わせておいたものでした。 秀吉は鶴を好んで飼っていましたが、世話役が誤って逃がしてしまいました。世話役が事情を述べて罰を請うと、秀吉は、この鶴は教化の及ばない外の国へ行くだろうかと問いました。飼われていた島なので遠くへは飛べませんと答えると、秀吉は笑って、私の徳の及ぶところは、どこも同じ一つの鳥かごのようなものだ、私の鳥かごから失っても、またそこで得られると言い、世話役を罰しませんでした。 秀吉はいつも近臣に、天下に私に背く者がいても、私に勝つ者はいないと言っていました。 他の書には、天下に私に背く者はあるまい、私よりよい主人はいないからだ、とあります。
解説

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