名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 政宗の偽書と家康の評
○秀吉、蒲生氏鄕を會津に封じて曰く、此所は奥羽の鎭壓なれば、能く守護すべし、家中の侍の義は、假令秀吉に敵を爲し、又勘當の者なりとも、文武を得たる侍ならば扶持せられよ、只文臣武臣を持つこと肝要たるべし、其外法度の條々は、追て書付を以て申渡すべしと。後、氏鄕會津を賜はりし禮に出ければ、秀吉外のことは何にも言はずして、汝手を能く書けり、謠本を一番書て吳れよとて、料紙硯を取寄せ出されたり。 ○小田原平ぎし後、葛西、大崎一揆起る時に、伊達政宗之に通ぜしかども、蒲生氏鄕の威に歴せられて發すること能はず、賊平ぎて後、秀吉、政宗を召す。其明年、政宗、氏鄕と共に上京す。秀吉、賊に通ずるの書を以て、詰問せられければ、政宗、臣實に賊に通ぜず、然るを通ぜりと申は讒言なり、其故は鶺鴒の判形に何つも瞳を付けしが、此判には瞳なく候、全く謀書なりと言ふ。秀吉、大小名より政宗の書狀を取集め見らるゝに、政宗の言の如し。依て政宗を赦されけり。井伊直政之を聞き、家康に告て曰く、某去冬奥州へ下り見聞するに、政宗の異心歷然たり、然るに太閤敕免せらるゝこと、紕明の足らざるにあらずやと。家康曰く、太閤實に政宗の異心を知らざるにあらず、太閤の性質を以て考ふるに、政宗此時速に上京すること大勇なり、是一ッ。次には自書の檄文を反て、僞書なりと言ふ不敵の心、即ち器量ある將なり、是二ッ。夫のみならず鶺鴒の花押に、前年より心を用ひ、諸家の贈答の書簡にも、一同ならざる遠慮、是大將の器なり。三條、尋常人の及ぶべきにもあらず、依て太閤之を感ぜられて罪を赦されたり。太閤の大器、政宗に百倍すと言はれて感ぜらる。後秀吉那古耶に在りし時、施藥院、側に侍し、頻りに政宗の功を稱す。秀吉色を作して曰く、去年奥州賊に通ぜしこと我之を熟知せり、去れども今方に三韓に事あり、之をして力を行間に效さしむるに如かず、且つ毛利輝元、島津義弘の如き、初め跳梁すと雖も、終に能く屈服せり。故に政宗の罪を赦して、以て反側の心を安ぜり。汝何ぞ之を譽るの大過なる、此必ず政宗の爲めに遊説するならんと。時人其大量に服せり。
新字:○秀吉、蒲生氏郷を会津に封じて曰く、此所は奥羽の鎮圧なれば、能く守護すべし、家中の侍の義は、仮令秀吉に敵を為し、又勘当の者なりとも、文武を得たる侍ならば扶持せられよ、只文臣武臣を持つこと肝要たるべし、其外法度の条々は、追て書付を以て申渡すべしと。後、氏郷会津を賜はりし礼に出ければ、秀吉外のことは何にも言はずして、汝手を能く書けり、謡本を一番書て呉れよとて、料紙硯を取寄せ出されたり。 ○小田原平ぎし後、葛西、大崎一揆起る時に、伊達政宗之に通ぜしかども、蒲生氏郷の威に歴せられて発すること能はず、賊平ぎて後、秀吉、政宗を召す。其明年、政宗、氏郷と共に上京す。秀吉、賊に通ずるの書を以て、詰問せられければ、政宗、臣実に賊に通ぜず、然るを通ぜりと申は讒言なり、其故は鶺鴒の判形に何つも瞳を付けしが、此判には瞳なく候、全く謀書なりと言ふ。秀吉、大小名より政宗の書状を取集め見らるゝに、政宗の言の如し。依て政宗を赦されけり。井伊直政之を聞き、家康に告て曰く、某去冬奥州へ下り見聞するに、政宗の異心歴然たり、然るに太閤勅免せらるゝこと、紕明の足らざるにあらずやと。家康曰く、太閤実に政宗の異心を知らざるにあらず、太閤の性質を以て考ふるに、政宗此時速に上京すること大勇なり、是一ッ。次には自書の檄文を反て、偽書なりと言ふ不敵の心、即ち器量ある将なり、是二ッ。夫のみならず鶺鴒の花押に、前年より心を用ひ、諸家の贈答の書簡にも、一同ならざる遠慮、是大将の器なり。三条、尋常人の及ぶべきにもあらず、依て太閤之を感ぜられて罪を赦されたり。太閤の大器、政宗に百倍すと言はれて感ぜらる。後秀吉那古耶に在りし時、施薬院、側に侍し、頻りに政宗の功を称す。秀吉色を作して曰く、去年奥州賊に通ぜしこと我之を熟知せり、去れども今方に三韓に事あり、之をして力を行間に効さしむるに如かず、且つ毛利輝元、島津義弘の如き、初め跳梁すと雖も、終に能く屈服せり。故に政宗の罪を赦して、以て反側の心を安ぜり。汝何ぞ之を誉るの大過なる、此必ず政宗の為めに遊説するならんと。時人其大量に服せり。
書き下し
○秀吉、蒲生氏鄕を會津に封じて曰く、此所は奥羽の鎭壓なれば、能く守護すべし、家中の侍の義は、假令秀吉に敵を爲し、又勘當の者なりとも、文武を得たる侍ならば扶持せられよ、只文臣武臣を持つこと肝要たるべし、其外法度の條々は、追て書付を以て申渡すべしと。後、氏鄕會津を賜はりし禮に出ければ、秀吉外のことは何にも言はずして、汝手を能く書けり、謠本を一番書て吳れよとて、料紙硯を取寄せ出されたり。 ○小田原平ぎし後、葛西、大崎一揆起る時に、伊達政宗之に通ぜしかども、蒲生氏鄕の威に歴せられて發すること能はず、賊平ぎて後、秀吉、政宗を召す。其明年、政宗、氏鄕と共に上京す。秀吉、賊に通ずるの書を以て、詰問せられければ、政宗、臣實に賊に通ぜず、然るを通ぜりと申は讒言なり、其故は鶺鴒の判形に何つも瞳を付けしが、此判には瞳なく候、全く謀書なりと言ふ。秀吉、大小名より政宗の書狀を取集め見らるゝに、政宗の言の如し。依て政宗を赦されけり。井伊直政之を聞き、家康に告て曰く、某去冬奥州へ下り見聞するに、政宗の異心歷然たり、然るに太閤敕免せらるゝこと、紕明の足らざるにあらずやと。家康曰く、太閤實に政宗の異心を知らざるにあらず、太閤の性質を以て考ふるに、政宗此時速に上京すること大勇なり、是一ッ。次には自書の檄文を反て、僞書なりと言ふ不敵の心、即ち器量ある將なり、是二ッ。夫のみならず鶺鴒の花押に、前年より心を用ひ、諸家の贈答の書簡にも、一同ならざる遠慮、是大將の器なり。三條、尋常人の及ぶべきにもあらず、依て太閤之を感ぜられて罪を赦されたり。太閤の大器、政宗に百倍すと言はれて感ぜらる。後秀吉那古耶に在りし時、施藥院、側に侍し、頻りに政宗の功を稱す。秀吉色を作して曰く、去年奥州賊に通ぜしこと我之を熟知せり、去れども今方に三韓に事あり、之をして力を行間に效さしむるに如かず、且つ毛利輝元、島津義弘の如き、初め跳梁すと雖も、終に能く屈服せり。故に政宗の罪を赦して、以て反側の心を安ぜり。汝何ぞ之を譽るの大過なる、此必ず政宗の爲めに遊説するならんと。時人其大量に服せり。
現代語訳
秀吉は、蒲生氏郷を会津に封じて言った。この所は奥羽を鎮める要であるから、よく守護せよ、家中の侍のことは、たとえ私に敵対した者や勘当の者であっても、文武を備えた侍ならば扶持せよ、ただ文臣と武臣を持つことが肝要である、そのほかの法度の条々は、追って書付で申し渡す、と。後に氏郷が会津を賜わった礼に出たところ、秀吉は他のことは何も言わず、お前は筆跡がよい、謡本を一番書いてくれ、と言って、料紙と硯を取り寄せて出された。 小田原が平定された後、葛西、大崎の一揆が起こったとき、伊達政宗はこれに通じていたけれども、蒲生氏郷の威にはばまれて、事を起こすことができず、賊が平定された後、秀吉は政宗を召した。その翌年、政宗は氏郷とともに上京した。秀吉は賊に通じた書状をもって詰問されたところ、政宗は、私は実際には賊に通じておりません、それを通じたと申すのは讒言です、そのわけは、鶺鴒の判形には、いつも瞳を付けておりますが、この判には瞳がございません、まったくの偽書です、と言った。秀吉は大小名から政宗の書状を取り集めて見ると、政宗の言うとおりであった。よって政宗を赦された。井伊直政はこれを聞いて、家康に告げて言った。私が昨冬に奥州へ下り見聞したところでは、政宗の異心は明らかです、それなのに太閤が赦免されたのは、見極めが足りないのではありませんか、と。家康は言った。太閤が政宗の異心を知らないわけではない、太閤の性質から考えるに、政宗がこの時すみやかに上京したことが大勇である、これが一つ。次に、自書の檄文を反駁して偽書だと言う不敵な心は、すなわち器量のある将である、これが二つ。それだけでなく、鶺鴒の花押に、前年から心を用い、諸家への贈答の書簡にも、同一でない配慮をしている、これは大将の器である。三つ、尋常の人の及ぶところではない、よって太閤はこれに感じて罪を赦されたのである、太閤の大器は、政宗の百倍であると言われて、感服された。のち秀吉が名護屋にいたとき、施薬院が側に侍って、しきりに政宗の功を称えた。秀吉は顔色を変えて言った。去年奥州の賊に通じたことを私は熟知している、しかしながら今まさに三韓に事がある、これに力を行間に尽くさせるに越したことはない、かつ毛利輝元、島津義弘のような者も、初めは跳梁したが、ついには屈服した。そのため政宗の罪を赦して、反側の心を安んじたのである。お前がこれを誉めること大過である、これはきっと政宗のために遊説するのであろう、と。時の人は、その大量に感服した。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『重職心得箇条』第十一条胸中を豁大(かつだい)寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狹迫なる振る舞いあるべからず。仮令(たとえ)才ありてお其の用を果たさず。人を容るる気象と物を蓄うる器量こそ、誠に大臣の体と云ふべし。
-
『十善法語』巻第六・不惡口戒秦ノ始皇カ古書ヲ燔キ。儒者ヲ坑ニシ。阿房宮ヲ造営セシ。晋ノ武帝カ羊車ニ乗テ後宮ニ遊ヒシ類。心ノ憍慢ヨリ起ル。実ヲ剋シテ云ハ。ミナ小器量ニ摂ス。若万民ヲ以テ子トセハ。儒者モ邪魔ニハナラヌ。天下ヲ以テ家トセハ。阿房宮ハ狭小ナル造営シヤ。天地陰陽ノ和合ヲ楽ハ。別ニ多人ヲ後宮ニ閉置ニハ及ヌシヤ。誠ノ大丈夫ハ此ニ異ナル所有ヘキシヤ。
-
言志四録・言志晩録 第二百四十九条 小才は人を禦ぎ大才は物を容る小才は人を禦ぎ、大才は物を容る。小智は一事に耀き、大智は後図に明らかなり。
-
『酔古堂剣掃』集峭・人に短有るは長を見はす所以作用有る者は、器宇定めて是れ凡ならず、受用有る者は、才情決然として露はれず。夫れ人に短有り、長を見はす所以なり。
-
『政談』諸役人器量の選別なる事御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを当職とす、法式になれすしては叶はさることなり、当時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること当職なるへし、左れは寺社の古実も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に悪人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も当時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め悪しきときはたれも悪事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も変り有ることなるに、当時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勲階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相応に撰む筋失行たり、
-
『政談』諸役人器量の選別なる事諸役に各々その掌りありて、人の器量もその役儀に随ひて撰ひ別なるへし、老中なとは政務の本締なれは国政の全体に通達し、依怙贔負なく人の善きを育てゝをとなしき人にあらすんはその職に叶ひかたし、其の中に老中は遠大の智恵あらは瑣細なる働なくとも然るへし、若老中は仮令遠大成る智恵のかたは少くとも才智の筋を専らにすへし、両役ともに人を知り人を見出すことを職分の第一となすへし、右に云たる如くにつかさどりのすずを分けは、その筋々に随ひて器量の撰ひ人別なるへし、