名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 大力の士にも礼を求める
○此役、秀吉、沼津に宿陣す。時に小早川隆景の從兵、河田八助、楢崎十兵衞とて、大力の名を顯はしたる者あり。八助は大指物、十兵衞は十八端の母衣を掛けて通る。秀吉遙に見て、使番を以て其姓名を問はせける、命を受て乘付け、馬上より主將の仰なり、各姓名を申されよと言ふ。二士顧みて、返答なし、力及ばず馳歸つて斯くと申せば、秀吉、偖は汝下馬なくて名乘れと言たるならん、御敎書拜帶するか、兩陣勝負に掛る時か、其折には佛神の前にても下馬せぬ作法なり、左なくば何ぞ人に勝れたる大指物を指し、普通に超ゆる母衣を掛けたる士に下馬なきは無禮なり、返答せぬこそ理はりなれとて、餘人を以て下して、問はせければ、二士も又下馬して、各其姓名を名乘れり。 ○此役、秀吉、打越の銃丸、頭を擦る程に通ると大に驚きたり。夫を無念に思ひ、一人城方へ近く寄り、鐵砲の烈敷處にて、小便をせり。近臣竹束を持來り、勿體なきとて、矢表に立つ。秀吉運の者じやと言はれしとぞ。
新字:○此役、秀吉、沼津に宿陣す。時に小早川隆景の従兵、河田八助、楢崎十兵衛とて、大力の名を顕はしたる者あり。八助は大指物、十兵衛は十八端の母衣を掛けて通る。秀吉遥に見て、使番を以て其姓名を問はせける、命を受て乗付け、馬上より主将の仰なり、各姓名を申されよと言ふ。二士顧みて、返答なし、力及ばず馳帰つて斯くと申せば、秀吉、偖は汝下馬なくて名乗れと言たるならん、御教書拝帯するか、両陣勝負に掛る時か、其折には仏神の前にても下馬せぬ作法なり、左なくば何ぞ人に勝れたる大指物を指し、普通に超ゆる母衣を掛けたる士に下馬なきは無礼なり、返答せぬこそ理はりなれとて、余人を以て下して、問はせければ、二士も又下馬して、各其姓名を名乗れり。 ○此役、秀吉、打越の銃丸、頭を擦る程に通ると大に驚きたり。夫を無念に思ひ、一人城方へ近く寄り、鉄砲の烈敷処にて、小便をせり。近臣竹束を持来り、勿体なきとて、矢表に立つ。秀吉運の者じやと言はれしとぞ。
書き下し
○此役、秀吉、沼津に宿陣す。時に小早川隆景の從兵、河田八助、楢崎十兵衞とて、大力の名を顯はしたる者あり。八助は大指物、十兵衞は十八端の母衣を掛けて通る。秀吉遙に見て、使番を以て其姓名を問はせける、命を受て乘付け、馬上より主將の仰なり、各姓名を申されよと言ふ。二士顧みて、返答なし、力及ばず馳歸つて斯くと申せば、秀吉、偖は汝下馬なくて名乘れと言たるならん、御敎書拜帶するか、兩陣勝負に掛る時か、其折には佛神の前にても下馬せぬ作法なり、左なくば何ぞ人に勝れたる大指物を指し、普通に超ゆる母衣を掛けたる士に下馬なきは無禮なり、返答せぬこそ理はりなれとて、餘人を以て下して、問はせければ、二士も又下馬して、各其姓名を名乘れり。 ○此役、秀吉、打越の銃丸、頭を擦る程に通ると大に驚きたり。夫を無念に思ひ、一人城方へ近く寄り、鐵砲の烈敷處にて、小便をせり。近臣竹束を持來り、勿體なきとて、矢表に立つ。秀吉運の者じやと言はれしとぞ。
現代語訳
この戦いで、秀吉は沼津に宿陣した。そのとき小早川隆景の従兵に、河田八助、楢崎十兵衛という大力で名を知られた者がいた。八助は大きな指物、十兵衛は十八反の母衣を掛けて通った。秀吉は遠くから見て、使い番を遣わしてその姓名を問わせた。命を受けた使い番は、馬で乗り付けて馬上から、大将の仰せである、各々姓名を名乗られよ、と言った。二人は顧みて返答しなかった。使い番はどうにもならず、駆け帰ってこのことを申し上げると、秀吉は、それでは、お前は下馬せずに名乗れと言ったのだろう、天皇の教書を拝帯するか、両軍が勝負を懸けるときならば、仏神の前でも下馬しないという作法だが、そうでなければ、なぜ人に勝れた大指物を指し、並外れた母衣を掛けた士に、下馬しないでいてよいのか、無礼である、返答しないのももっともだ、と言って、別の者を遣わして下馬して問わせたところ、二人も下馬して、それぞれ姓名を名乗った。 この戦いで、秀吉は、頭をかすめるほどに鉄砲の弾が通ったので、大いに驚いた。それを無念に思い、一人で城の近くに寄り、鉄砲が激しく飛ぶところで小便をした。近臣が竹束を持ってきて、もったいないと言って、矢面に立てた。秀吉は、運の強い者じゃ、と言われたという。
解説

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『武家家訓集』北条早雲廿一箇条「第13条」一宿老の方々御縁に祗候の時、腰を少々折て手をつき通るべし、はゞからぬ體にて、あたりをふみならし通る事、以の外の虛外也、諸侍いづれも慇懃にいたすべき也、
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