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名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 敵を憐れみ旧友を許す

○秀吉既に岐阜より引返し、佐久間盛政備の前二里許りに押詰めたり、盛政使を以て是まで御出御苦勞のことに候、明朝戎馬の間に相見んと言ふ、秀吉使を賜はり滿足令め候、御申越の義、其意を得候との返答なり。盛政手段は、敵遠路を馳來りし故、其勢を襲はんとのことなり、秀吉笑て、先手を一里引取らせ、柴田勢と三里程隔り、一里半程の中途の野にも山にも篝を燒せたり。盛政、夜討の支度空くなりたり。戰の日、敵味方の手負死人四月二十一日の熱天、に苦みしを、秀吉憫みて、見物して居たりし者の笠を借受け、手負死人共の日覆にぞ與へけ。聞く者其德を美談せり。 ○秀吉既に盛政を打破り、明る二十二日、小姓一人相具し、府中の城に至り、門前にて大聲にて、又左、又左、秀吉是まで來りたり。對面申さんと言ければ、合戰の習ひ、運を天に任するとは申しながら、味方一戰にも及ばず敗北し、只今存寄らざる對面は、面目もなき次第なり、此上は潔く切腹せんと言ければ、秀吉聞も敢へず、餘所がまし、前田殿某とは數年の交深し、一旦の義理に依て、敵味方となること、士の常にして珍しからず、然らば秀吉に對して、何の恨も候はじ、秀吉も又今更疎意すべき言はれなし、柴田滅亡の以後とても天下の大小事偏に頼み存ずるなり、早く四海靜謐の功を立られよかしと、又餘義なく言はれければ、利家領掌し、是より秀吉の肱股腹心とは成りてけり。

新字:○秀吉既に岐阜より引返し、佐久間盛政備の前二里許りに押詰めたり、盛政使を以て是まで御出御苦労のことに候、明朝戎馬の間に相見んと言ふ、秀吉使を賜はり満足令め候、御申越の義、其意を得候との返答なり。盛政手段は、敵遠路を馳来りし故、其勢を襲はんとのことなり、秀吉笑て、先手を一里引取らせ、柴田勢と三里程隔り、一里半程の中途の野にも山にも篝を焼せたり。盛政、夜討の支度空くなりたり。戦の日、敵味方の手負死人四月二十一日の熱天、に苦みしを、秀吉憫みて、見物して居たりし者の笠を借受け、手負死人共の日覆にぞ与へけ。聞く者其徳を美談せり。 ○秀吉既に盛政を打破り、明る二十二日、小姓一人相具し、府中の城に至り、門前にて大声にて、又左、又左、秀吉是まで来りたり。対面申さんと言ければ、合戦の習ひ、運を天に任するとは申しながら、味方一戦にも及ばず敗北し、只今存寄らざる対面は、面目もなき次第なり、此上は潔く切腹せんと言ければ、秀吉聞も敢へず、余所がまし、前田殿某とは数年の交深し、一旦の義理に依て、敵味方となること、士の常にして珍しからず、然らば秀吉に対して、何の恨も候はじ、秀吉も又今更疎意すべき言はれなし、柴田滅亡の以後とても天下の大小事偏に頼み存ずるなり、早く四海静謐の功を立られよかしと、又余義なく言はれければ、利家領掌し、是より秀吉の肱股腹心とは成りてけり。

書き下し

○秀吉既に岐阜より引返し、佐久間盛政備の前二里許りに押詰めたり、盛政使を以て是まで御出御苦勞のことに候、明朝戎馬の間に相見んと言ふ、秀吉使を賜はり滿足令め候、御申越の義、其意を得候との返答なり。盛政手段は、敵遠路を馳來りし故、其勢を襲はんとのことなり、秀吉笑て、先手を一里引取らせ、柴田勢と三里程隔り、一里半程の中途の野にも山にも篝を燒せたり。盛政、夜討の支度空くなりたり。戰の日、敵味方の手負死人四月二十一日の熱天、に苦みしを、秀吉憫みて、見物して居たりし者の笠を借受け、手負死人共の日覆にぞ與へけ。聞く者其德を美談せり。 ○秀吉既に盛政を打破り、明る二十二日、小姓一人相具し、府中の城に至り、門前にて大聲にて、又左、又左、秀吉是まで來りたり。對面申さんと言ければ、合戰の習ひ、運を天に任するとは申しながら、味方一戰にも及ばず敗北し、只今存寄らざる對面は、面目もなき次第なり、此上は潔く切腹せんと言ければ、秀吉聞も敢へず、餘所がまし、前田殿某とは數年の交深し、一旦の義理に依て、敵味方となること、士の常にして珍しからず、然らば秀吉に對して、何の恨も候はじ、秀吉も又今更疎意すべき言はれなし、柴田滅亡の以後とても天下の大小事偏に頼み存ずるなり、早く四海靜謐の功を立られよかしと、又餘義なく言はれければ、利家領掌し、是より秀吉の肱股腹心とは成りてけり。

現代語訳

秀吉はすでに岐阜から引き返し、佐久間盛政の陣の前、二里ほどのところまで押し詰めた。盛政は使者を送り、ここまでのご出陣、ご苦労のこと、明朝、戦場でお目にかかりましょう、と言ってきた。秀吉は使者に対して、満足である、お申し越しの件、承知した、と返答した。盛政の手立ては、敵が遠路を駆けてきて疲れているところを襲おうというものであった。秀吉は笑って、先手を一里引き取らせ、柴田勢と三里ほど隔て、一里半ほど先の道中の野にも山にも篝火を焚かせた。盛政は夜討ちの支度が空しくなった。戦いの日、四月二十一日の暑さの中で、敵味方の手負いや死人が日に晒されて苦しんでいたのを、秀吉は憐れみ、見物していた者の笠を借り受けて、手負いや死人たちの日除けとして与えた。これを聞いた者は、その徳を美談として語った。 秀吉は盛政を破った翌二十二日、小姓ひとりだけを連れて府中の城に行き、門前で大声で、又左、又左、秀吉がここまで来た、対面したい、と呼ばわった。利家は、合戦の習いで、運を天に任せるとは言いながら、味方は一戦にも及ばず敗北し、今となって思いがけない対面は面目もないことです、この上は潔く切腹します、と言った。秀吉は聞くやいなや、他人行儀なことを言うな、前田殿と私は数年来の深い付き合いである、一時の義理によって敵味方となるのは武士の常でめずらしくない、ならば私に対して何の恨みもないはずだ、私もいまさら疎かにする理由がない、柴田が滅びた後も天下の大小のことは、ひとえに貴殿に頼みたい、早く天下太平の功を立てられよ、と重ねて言われた。利家は承知し、これより秀吉の腹心の重臣となった。

解説

秀吉が柴田勝家方の佐久間盛政を破った戦いのあと、旧友の前田利家を訪ねて許す逸話です。陣を引いて篝火を焚く用意と、倒れた者に笠で日除けを与える心配りが並びます。細部は逸話ごとに確かさが違い、伝わる話として読むのが穏当です。ここで光るのは、勝った側が敵だった相手に自分から会いに行き、咎めずに今後の協力を求める点です。社内の対立で敗れた側を排除すれば、組織は実務の力を失います。勝負が終わったら遺恨を切り離し、相手の能力を次の仕事に使う。その切り替えの速さが秀吉の強みとして描かれています。
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この章句が説くこと

秀吉前田利家敵味方度量和解腹心

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