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名将言行録 / 『名将言行録』高橋鎭種 籠城を決めた理由

鎭種曰く、宗茂の申所尤もなり、去ながら退いて案ずるに、節を守り義に死するは勇士の本意なり。時を知り運を計るは智者の慮にあらずや、寶滿は要害と雖も、地利不如人和と云へば、假令彼城に籠りたりとも、人の心調はずば久しき謀にあらず、大友義統とは、鎭種親類の上に緣者なり、旁々見離すべきにあらねば、年頃大友に荷擔して、毎度戰に勝つと雖も、大伴家末に成り、當家も運の迫りぬるにや、逆徒は年々月々に蜂起し、味方に與する者は一人もなし、時去り時來り、物皆始終ある習なれば、當家亡ぶべき時至りぬと覺ゆるなり、高橋は筑紫の三撿斷職の其一なり、去れども仁木、一色は既に絶て年久し、今まで名字の殘れるのは、當家計りなり、九州の豪英菊池少貳、千葉宗像既に其後なし、然らば當家も絶すべき時來れるとこそ覺ゆれ、若し運盡きずば當城に在りとても、如何なる大軍をも防ぎ課すべし、寶滿に籠るとも圍を出づることもあるまじ、とても遁る間敷くば多年の居城を枕として死んこそ本意なれ、居城を捨て逃げたりと言はれんは、無下に口惜かるべし、此儘爰にありて秀吉公の援兵を相待つべしと思ふ、中國、四國の勢近々渡海すと承はれども、海路を隔てたる大軍なれば、彼に障り爰に滯りて延引すべきなり。

新字:鎮種曰く、宗茂の申所尤もなり、去ながら退いて案ずるに、節を守り義に死するは勇士の本意なり。時を知り運を計るは智者の慮にあらずや、宝満は要害と雖も、地利不如人和と云へば、仮令彼城に籠りたりとも、人の心調はずば久しき謀にあらず、大友義統とは、鎮種親類の上に縁者なり、旁々見離すべきにあらねば、年頃大友に荷担して、毎度戦に勝つと雖も、大伴家末に成り、当家も運の迫りぬるにや、逆徒は年々月々に蜂起し、味方に与する者は一人もなし、時去り時来り、物皆始終ある習なれば、当家亡ぶべき時至りぬと覚ゆるなり、高橋は筑紫の三撿断職の其一なり、去れども仁木、一色は既に絶て年久し、今まで名字の残れるのは、当家計りなり、九州の豪英菊池少貳、千葉宗像既に其後なし、然らば当家も絶すべき時来れるとこそ覚ゆれ、若し運尽きずば当城に在りとても、如何なる大軍をも防ぎ課すべし、宝満に籠るとも囲を出づることもあるまじ、とても遁る間敷くば多年の居城を枕として死んこそ本意なれ、居城を捨て逃げたりと言はれんは、無下に口惜かるべし、此儘爰にありて秀吉公の援兵を相待つべしと思ふ、中国、四国の勢近々渡海すと承はれども、海路を隔てたる大軍なれば、彼に障り爰に滞りて延引すべきなり。

書き下し

鎭種曰く、宗茂の申所尤もなり、去ながら退いて案ずるに、節を守り義に死するは勇士の本意なり。時を知り運を計るは智者の慮にあらずや、寶滿は要害と雖も、地利不如人和と云へば、假令彼城に籠りたりとも、人の心調はずば久しき謀にあらず、大友義統とは、鎭種親類の上に緣者なり、旁々見離すべきにあらねば、年頃大友に荷擔して、毎度戰に勝つと雖も、大伴家末に成り、當家も運の迫りぬるにや、逆徒は年々月々に蜂起し、味方に與する者は一人もなし、時去り時來り、物皆始終ある習なれば、當家亡ぶべき時至りぬと覺ゆるなり、高橋は筑紫の三撿斷職の其一なり、去れども仁木、一色は既に絶て年久し、今まで名字の殘れるのは、當家計りなり、九州の豪英菊池少貳、千葉宗像既に其後なし、然らば當家も絶すべき時來れるとこそ覺ゆれ、若し運盡きずば當城に在りとても、如何なる大軍をも防ぎ課すべし、寶滿に籠るとも圍を出づることもあるまじ、とても遁る間敷くば多年の居城を枕として死んこそ本意なれ、居城を捨て逃げたりと言はれんは、無下に口惜かるべし、此儘爰にありて秀吉公の援兵を相待つべしと思ふ、中國、四國の勢近々渡海すと承はれども、海路を隔てたる大軍なれば、彼に障り爰に滯りて延引すべきなり。

現代語訳

鎭種は言いました。「宗茂の申すことはもっともである。しかし退いて考えてみると、節を守り義に死ぬのは勇士の本意である。時を知り運を計るのは、智者の思慮ではなかろうか。宝満は要害とはいえ、地の利は人の和に及ばないと言うから、たとえあの城に籠もったとしても、人の心がそろわなければ長く持つ策ではない。大友義統とは、鎭種は親類のうえ縁者でもあり、あれこれ見放すべきではないので、長年大友に味方して、毎度戦に勝ってきたが、大友家は末になり、当家も運が迫ったのであろうか。逆徒は年々月々に蜂起し、味方に与する者は一人もない。時が去り時が来て、物はみな始めがあれば終わりがあるのが習いであるから、当家の亡びる時が至ったと思われる。高橋は筑紫の三検断職の一つであるが、仁木、一色はすでに絶えて年久しい。今まで名字が残っているのは当家だけである。九州の豪英では、菊池、少弐、千葉、宗像にもすでにその後がない。そうであるなら、当家も絶えるべき時が来たと思われる。もし運が尽きていなければ、当城にいても、どんな大軍をも防ぎ止めよう。宝満に籠もっても、囲みを出られることはあるまい。どうせ逃れられないなら、多年の居城を枕に死ぬことこそ本意である。居城を捨てて逃げたと言われるのは、何とも口惜しい。このままここにいて、秀吉公の援兵を待とうと思う。中国、四国の勢が近々渡海すると承っているが、海路を隔てた大軍であるから、障りがあってここで滞り、遅れることもあるだろう。

解説

死を覚悟して岩屋城に残ると決めた鎭種が、その理由を語る場面の前半です。勇士の節義と智者の見通し、人の和は地の利にまさる、時の流れの中で当家が絶える時が来たかもしれない、という三つの観点から、居城に留まる判断を説明しています。感情ではなく、自分の置かれた状況を整理して、退路のない選択を引き受ける思考の筋道が読み取れます。続く場面で、この判断が具体的な段取りとして語られます。
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この章句が説くこと

高橋鎮種籠城節義時と運人の和覚悟

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