名将言行録 / 『名将言行録』戸次鑑連 脱走への厳罰と寛容
○鑑連、筑前川原崎にて、蒲池と對陣の時、越年の刻、鑑連、家來密に年取りに、立花へ歸りたる者、三十五人之ありしを聞て、即ち討手三十五人申付け、右の在所へ歸りたる者、親之ある者は親子共に成敗すべしと申付けたり。家老共、親まで御成敗は如何と申ければ、鑑連否々、戰場を逃げて歸る悴共に對面致したる上は、親も同罪なりとて、親子共に成敗せしとぞ。 ○鑑連、側に使ふ女に、心を通はする者ありけるを、知らぬ體にてぞありける。是を知る者ありて、或夜物語の時申けるは、東國の大將に誰とは知らず候、寵愛の女に、竊に情を通はす者の候ひしを誅せられき、とあらぬことを態と言て鑑連の答を試みけり。鑑連打笑ひ、若き者の色に迷ひたるは必しも誅せずともありなん、人の上に居て、君と仰がれんには、假初の事に、人を殺せば、人背く基よ、國の大法を犯したるには異なりとぞ言はれける。彼者傳聞て、心に慙ぢ、又鑑連の仁愛に感ず。其後島津の兵、鐘ヶ嶽の城を攻る時、鑑連城を出て戰ひしに、大軍押掛り危かりしに、彼者大音揚げ、亂れる味方を恥しめて、散々に戰ひける。其隙に鑑連城近く引取たるに、敵猶嚴く進み來り、城門をたてあへず計りなりければ、彼者又取て返し、武士の討死すべき所は爰にあり、各是にて討死せば、城をば敵に奪はれじ、返せや人々と言ふ儘に鎗を横たへ、折敷ければ、返し合はする者三人あり、面も振らず戰つて討死しける間に、城門を閉ぢたりける。
新字:○鑑連、筑前川原崎にて、蒲池と対陣の時、越年の刻、鑑連、家来密に年取りに、立花へ帰りたる者、三十五人之ありしを聞て、即ち討手三十五人申付け、右の在所へ帰りたる者、親之ある者は親子共に成敗すべしと申付けたり。家老共、親まで御成敗は如何と申ければ、鑑連否々、戦場を逃げて帰る悴共に対面致したる上は、親も同罪なりとて、親子共に成敗せしとぞ。 ○鑑連、側に使ふ女に、心を通はする者ありけるを、知らぬ体にてぞありける。是を知る者ありて、或夜物語の時申けるは、東国の大将に誰とは知らず候、寵愛の女に、窃に情を通はす者の候ひしを誅せられき、とあらぬことを態と言て鑑連の答を試みけり。鑑連打笑ひ、若き者の色に迷ひたるは必しも誅せずともありなん、人の上に居て、君と仰がれんには、仮初の事に、人を殺せば、人背く基よ、国の大法を犯したるには異なりとぞ言はれける。彼者伝聞て、心に慚ぢ、又鑑連の仁愛に感ず。其後島津の兵、鐘ヶ嶽の城を攻る時、鑑連城を出て戦ひしに、大軍押掛り危かりしに、彼者大音揚げ、乱れる味方を恥しめて、散々に戦ひける。其隙に鑑連城近く引取たるに、敵猶厳く進み来り、城門をたてあへず計りなりければ、彼者又取て返し、武士の討死すべき所は爰にあり、各是にて討死せば、城をば敵に奪はれじ、返せや人々と言ふ儘に鎗を横たへ、折敷ければ、返し合はする者三人あり、面も振らず戦つて討死しける間に、城門を閉ぢたりける。
書き下し
○鑑連、筑前川原崎にて、蒲池と對陣の時、越年の刻、鑑連、家來密に年取りに、立花へ歸りたる者、三十五人之ありしを聞て、即ち討手三十五人申付け、右の在所へ歸りたる者、親之ある者は親子共に成敗すべしと申付けたり。家老共、親まで御成敗は如何と申ければ、鑑連否々、戰場を逃げて歸る悴共に對面致したる上は、親も同罪なりとて、親子共に成敗せしとぞ。 ○鑑連、側に使ふ女に、心を通はする者ありけるを、知らぬ體にてぞありける。是を知る者ありて、或夜物語の時申けるは、東國の大將に誰とは知らず候、寵愛の女に、竊に情を通はす者の候ひしを誅せられき、とあらぬことを態と言て鑑連の答を試みけり。鑑連打笑ひ、若き者の色に迷ひたるは必しも誅せずともありなん、人の上に居て、君と仰がれんには、假初の事に、人を殺せば、人背く基よ、國の大法を犯したるには異なりとぞ言はれける。彼者傳聞て、心に慙ぢ、又鑑連の仁愛に感ず。其後島津の兵、鐘ヶ嶽の城を攻る時、鑑連城を出て戰ひしに、大軍押掛り危かりしに、彼者大音揚げ、亂れる味方を恥しめて、散々に戰ひける。其隙に鑑連城近く引取たるに、敵猶嚴く進み來り、城門をたてあへず計りなりければ、彼者又取て返し、武士の討死すべき所は爰にあり、各是にて討死せば、城をば敵に奪はれじ、返せや人々と言ふ儘に鎗を横たへ、折敷ければ、返し合はする者三人あり、面も振らず戰つて討死しける間に、城門を閉ぢたりける。
現代語訳
鑑連が筑前の川原崎で蒲池と対陣していたとき、年越しの折に、家来のうち密かに正月を迎えに立花へ帰った者が三十五人いると聞きました。すぐに討手三十五人に申し付け、右の在所へ帰った者は、親がいる者は親子ともに成敗せよと命じました。家老たちが「親まで御成敗とは、いかがでしょうか」と言うと、鑑連は「いやいや、戦場を逃げて帰った息子たちに対面した以上、親も同罪だ」と言って、親子ともに成敗したということです。 鑑連は、側に使っている女と心を通わせている者がいるのを、知らぬふりをしていました。これを知る者があり、ある夜の物語のとき、「東国の大将に、誰とは知りませんが、寵愛の女にひそかに情を通じた者を誅した方がいたそうです」と、あえてありもしないことを言って鑑連の答えを試しました。鑑連は笑って、「若い者が色に迷ったのは、必ずしも誅しなくてもよいだろう。人の上に立ち、君と仰がれるのに、ほんの些細なことで人を殺せば、人が背く基になる。国の大法を犯した場合とは異なる」と言いました。その者は伝え聞いて、心に恥じ、また鑑連の仁愛に感じ入りました。その後、島津の兵が鐘ヶ嶽の城を攻めたとき、鑑連が城を出て戦いましたが、大軍が押し掛けて危うくなりました。その者は大声を上げ、乱れる味方を叱って恥じ入らせ、散々に戦いました。その隙に鑑連が城近くに引き取ると、敵はなお厳しく進み来て、城門を閉めきれないほどでした。その者はまた取って返し、「武士が討死すべき所はここにある。皆がここで討死すれば、城を敵に奪われずにすむ。返せ、人々よ」と言うままに槍を横たえ、膝を折り敷いて構えました。返し合わせる者が三人あり、顔も振らず戦って討死する間に、城門を閉じたのでした。
解説

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史記 張釈之馮唐列伝臣愚かにして、以為へらく陛下の法太だ明らかにして、賞太だ軽く、罰太だ重しと。且つ雲中の守魏尚は、上功の首虜六級を差(たが)へしに坐して、陛下之を吏に下し、其の爵を削り、之を罰作す。此れに由りて之を言へば、陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり。臣誠に愚かにして、忌諱に触る。死罪死罪」と。文帝説(よろこ)ぶ。是の日馮唐をして節を持して魏尚を赦さしめ、復た以て雲中の守と為し、而して唐を拝して車騎都尉と為し、中尉及び郡国の車士を主らしむ。七年、景帝立ち、唐を以て楚の相と為し、免ぜらる。武帝立ち、賢良を求め、馮唐を挙ぐ。唐時に年九十余、復た官を為すこと能はず。乃ち唐の子馮遂を以て郎と為す。遂は字は王孫、亦奇士にして、余と善し。太史公曰く、張季の長者を言ふ、法を守りて意に阿(おもね)らず。馮公の将率を論ずる、味有るかな、味有るかな。語に曰く「其の人を知らずんば、其の友を視よ」と。二君の称誦する所は、廊廟に著すべし。書に曰く「偏せず党せず、王道蕩蕩たり。党せず偏せず、王道便便たり」と。張季・馮公之に近し。
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『韓非子』心度第五十四刑勝てば民静かに、賞繁ければ姦生ず。故に民を治むる者は、刑勝つは、治の首なり、賞の繁きは、亂の本なり。
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『韓非子』飾邪第十九故に先王は賞を明らかにして以て之を勧め、刑を厳にして以て之を威す。賞刑明らかなれば、則ち民死を尽くす。民死を尽くせば、則ち兵強く主尊し。刑賞察らかならざれば、則ち民功無くして得んことを求め、罪有りて幸ひに免れんとす。則ち兵弱く主卑し。故に先王賢佐は力を尽くし智を竭くす。故に曰く、公私は明らかにせざるべからず、法禁は審らかにせざるべからずと。先王之を知れり。
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『韓非子』主道第五疏賤も必ず賞し、近愛も必ず誅すれば、則ち疏賤の者も怠らずして、近愛の者も驕らざるなり。
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