韓非子 / 外儲說左下第三十三
說在文子之直言,武子之用杖;子産忠諫,子國譙怒;梁車用法而成侯收璽;管仲以公而國人謗怨。一。孔子相衛,弟子子臯爲獄吏,刖人足,所跀者守門。人有惡孔子於衛君者,曰:「尼欲作亂。」衛君欲執孔子。孔子走,弟子皆逃。子臯從出門,跀危引之而逃之門下室中,吏追不得。夜半,子臯問跀危曰:「吾不能虧主之法令而親跀子之足,是子報仇之時也,而子何故乃肯逃我?我何以得此於子?」跀危曰:「吾斷足也,固吾罪當之,不可奈何。
新字:説在文子之直言,武子之用杖;子産忠諫,子国譙怒;梁車用法而成侯収璽;管仲以公而国人謗怨。一。孔子相衛,弟子子皋為獄吏,刖人足,所跀者守門。人有悪孔子於衛君者,曰:「尼欲作乱。」衛君欲執孔子。孔子走,弟子皆逃。子皋従出門,跀危引之而逃之門下室中,吏追不得。夜半,子皋問跀危曰:「吾不能虧主之法令而親跀子之足,是子報仇之時也,而子何故乃肯逃我?我何以得此於子?」跀危曰:「吾断足也,固吾罪当之,不可奈何。
書き下し
説は文子の直言、武子の杖を用ふると、子産の忠諫、子国の譙怒すると、梁車法を用ひて成侯璽を収むると、管仲公を以てして国人謗怨するとに在り。一。孔子衛に相たり、弟子子皐獄吏と為り、人の足を刖る、跀せらるる所の者門を守る。人に孔子を衛君に悪む者有り、曰く、「尼乱を作さんと欲す。」衛君孔子を執へんと欲す。孔子走り、弟子皆逃ぐ。子皐従ひて門を出づ、跀危之を引きて之を門下の室中に逃がす、吏追ふも得ず。夜半、子皐跀危に問ひて曰く、「吾主の法令を虧くこと能はずして親ら子の足を跀る、是れ子の仇に報ゆるの時なり、而るに子何の故に乃ち肯へて我を逃がす。我何を以て此を子に得たる。」跀危曰く、「吾が足を断たるるや、固より吾が罪之に当る、奈何ともすべからず。
現代語訳
(公室が衰え私行がはびこることの)説明は、晋の范文子が直言して父の范武子に杖で打たれた話、鄭の子産が忠実に諫めて父の子国に叱られた話、梁車が法を守ったために趙の成侯に官印を取り上げられた話、管仲が公正に振る舞ったために斉の国人に恨まれた話にある。一。孔子が衛の宰相であったとき、弟子の子皐が裁判官となり、ある人の足を切る刑を科した。足を切られた者は門番になった。孔子のことを衛君に悪く言う者がいて、「孔子は反乱を起こそうとしています」と言った。衛君は孔子を捕らえようとした。孔子は逃げ、弟子たちもみな逃げた。子皐も後に続いて門を出ようとすると、足を切られた門番が子皐を導いて門の下の部屋にかくまったので、役人は追っても捕まえられなかった。夜中に、子皐は門番に尋ねた。「私は主君の法令を曲げることができず、自らあなたの足を切った。今こそあなたが仇に報いる時なのに、どうして私を逃がしてくれたのか。私はどうしてあなたからこのような恩を受けられたのか。」門番は言った。「私が足を切られたのは、もともと私の罪がそれに当たったからで、どうしようもないことです。
解説
関連する章句
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説苑・至公子羔衛の政を為し、人の足を刖る。衛の君臣亂れ、子羔郭門に走る、郭門閉ず、刖者門を守りて曰く、「彼に缺有り」と。子羔曰く、「君子は踰えず」と。曰く、「彼に竇有り」と。子羔曰く、「君子は遂げず」と。曰く、「此に室有り」と。子羔入る、追う者罷む。子羔將に去らんとし、刖者に謂いて曰く、「吾主の法令を虧損して親ら子の足を刖る能わず、吾難中に在り、此れ乃ち子の怨に報ゆる時なり、何故ぞ我を逃がすや」と。刖者曰く、「足を斷たるるは固より我が罪なり、奈何ともする無し。君の臣を治むるや、法令を傾側し、臣を先後するに法を以てし、臣をして法を免れしめんと欲す、臣之を知る。獄決し罪定まり、刑を論ずるに臨みて、君愀然として樂しまず、顏色に見る、臣又之を知る。君豈に臣を私せんや。天生仁人の心、其れ固に然り。此れ臣の君を脫せしむる所以なり」と。孔子之を聞きて曰く、「善く吏為る者は德を樹え、善からずして吏為る者は怨を樹う。公行の之なり、其れ子羔の謂か」と。
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『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
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『韓非子』外儲說左下第三十三孔子曰く、「善く吏為る者は徳を樹て、吏為ること能はざる者は怨みを樹つ。槩は、量を平らかにする者なり。吏は、法を平らかにする者なり。国を治むる者は、平を失ふべからざるなり。」田子方斉より魏に之く、翟黄の軒に乗り騎駕して出づるを望み、方以て文侯と為すや、車を移し路を異にして之を避く、則ち徒だ翟黄なり。方問ひて曰く、「子奚ぞ是の車に乗るや。」曰く、「君謀りて中山を伐たんと欲す、臣翟角を薦めて謀果を得たり。且に之を伐たんとす、臣楽羊を薦めて中山抜く。中山を得て、之を治めんことを憂ふ、臣李克を薦めて中山治まる、是を以て君此の車を賜ふ。」方曰く、「寵の功に称ふこと尚ほ薄し。」秦・韓魏を攻む、昭卯西に説きて秦・韓罷む。斉・荊魏を攻む、卯東に説きて斉・荊罷む。魏の襄王之を養ふに五乗を以てす。卯曰く、「伯夷将軍を以て首陽山の下に葬らる、而して天下曰く、夫の伯夷の賢と其の仁を称せらるるとを以て、而も将軍を以て葬らるるは、是れ手足掩はれざるなり、と。今臣四国の兵を罷め、而して王乃ち臣に五乗を与ふ、此れ其の功に称ふこと、猶ほ嬴勝して蹻を履むがごとし。」
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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孔子家語・致思季羔衛の士師と為り、人の足を刖る。俄かにして衛に蒯聵の乱有り、季羔之を逃れ、郭門に走る。刖者門を守り、季羔に謂いて曰わく、「彼に缺有り。」 季羔曰わく、「君子は踰えず。」 又曰わく、「彼に竇有り。」 季羔曰わく、「君子は隧せず。」 又曰わく、「此に室有り。」 季羔乃ち入る。既にして追う者罷み、季羔将に去らんとし、刖者に謂いて曰わく、「吾主の法を虧く能わず、而して親ら子の足を刖れり。今吾難に在り、此れ正に子の怨に報ゆるの時なるに、我を逃がす者三たびす。何の故ぞや。」 刖者曰わく、「足を断つは固より我が罪なり、奈何ともする無し。曩に君臣を治むるに法令を以てし、人を先にし臣を後にせしは、臣の免れんことを欲すればなり。臣獄決し罪定まり、刑を論ずるに当るを知るや、君愀然として楽しまず、君の顔色を見て、臣又之を知る。君豈に臣に私するか。天君子を生ずるや、其の道固より然り、此れ臣の君を悦ぶ所以なり。」 孔子之を聞きて曰わく、「善いかな、吏為るや、其の法を用うること一なり。仁恕を思えば則ち徳を樹て、厳暴を加うれば則ち怨を樹つ。公以て之を行う、其れ子羔か。」
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『韓非子』外儲說左下第三十三封人因りて竊かに仲に謂ひて曰く、「適ま幸ひにして、斉に及びて死せずして斉に用ひられば、将に何を以て我に報いんとする。」曰く、「子の言の如くんば、我且に賢を之れ用ひ、能を之れ使ひ、労を之れ論ぜんとす。我何を以て子に報いん。」封人之を怨む。