名将言行録 / 『名将言行録』戸次鑑連 弱い士はいない
又鑑連、常に士に弱き者はなきものなり、若し弱き者あらば、其人の惡しきにはあらで、其大將の勵さゞるの罪なり、吾士は言ふにや及ぶ、下部に至ても、度々功名なきはあらず、他の家にて後れたる士あらば、吾方に來り仕へよ、取替へて逸物にせん、四月朔日左三兵衞は若き時、初めて後れしことのありしに、何つの頃よりか、血臭きことに逢て、次第に物に慣れ、今は五六人の剛の者と世に言はるゝぞかしとて、偶々武功なき士のあれば、明き塞がりのあるは、武功のことよ、弱からざるは、我見定めたり、明日にも軍に出でんに、人にそゝのかされ、必ず拔掛して、討死し給ふな、夫は不忠なり、身を全うして、鑑連を見繼給はれ、各を打連れたればこそ、斯く年老たる身の、敵の眞中に在りてひろみたる色を見せざるぞと、最と懇に睦く言て、酒酌み替はし、其頃流行りける武具取出して與へられければ、是に勵まされて重ねて軍のあらん時、必ず人に後れじと勇めり、聊かも武者振の能く見ゆれば、呼出して、あれ人々見候へ、此鑑連が見し所に違ふべきにあらずとて、勝れたる剛の者の名を呼て、頼み候程に、能く引廻はしてよと言ふ。又人々の心を合はせらるゝこと、此鑑連は天の冥加に叶ひたることよと勇み立、若し若き士の席上にて心得違ひたることのある時は、客の前抔に呼出し打笑ひ、鑑連が士不束にこそあれ、去れども軍に臨みて火花を散らし候、鎗は此人々こそ能くすれとて、鎗押取りたる眞似して譽められしかば、人々感じ涙を流し、此人の爲めにこそ、命を捨てめと勵みけり。
新字:又鑑連、常に士に弱き者はなきものなり、若し弱き者あらば、其人の悪しきにはあらで、其大将の励さゞるの罪なり、吾士は言ふにや及ぶ、下部に至ても、度々功名なきはあらず、他の家にて後れたる士あらば、吾方に来り仕へよ、取替へて逸物にせん、四月朔日左三兵衛は若き時、初めて後れしことのありしに、何つの頃よりか、血臭きことに逢て、次第に物に慣れ、今は五六人の剛の者と世に言はるゝぞかしとて、偶々武功なき士のあれば、明き塞がりのあるは、武功のことよ、弱からざるは、我見定めたり、明日にも軍に出でんに、人にそゝのかされ、必ず抜掛して、討死し給ふな、夫は不忠なり、身を全うして、鑑連を見継給はれ、各を打連れたればこそ、斯く年老たる身の、敵の真中に在りてひろみたる色を見せざるぞと、最と懇に睦く言て、酒酌み替はし、其頃流行りける武具取出して与へられければ、是に励まされて重ねて軍のあらん時、必ず人に後れじと勇めり、聊かも武者振の能く見ゆれば、呼出して、あれ人々見候へ、此鑑連が見し所に違ふべきにあらずとて、勝れたる剛の者の名を呼て、頼み候程に、能く引廻はしてよと言ふ。又人々の心を合はせらるゝこと、此鑑連は天の冥加に叶ひたることよと勇み立、若し若き士の席上にて心得違ひたることのある時は、客の前抔に呼出し打笑ひ、鑑連が士不束にこそあれ、去れども軍に臨みて火花を散らし候、鎗は此人々こそ能くすれとて、鎗押取りたる真似して誉められしかば、人々感じ涙を流し、此人の為めにこそ、命を捨てめと励みけり。
書き下し
又鑑連、常に士に弱き者はなきものなり、若し弱き者あらば、其人の惡しきにはあらで、其大將の勵さゞるの罪なり、吾士は言ふにや及ぶ、下部に至ても、度々功名なきはあらず、他の家にて後れたる士あらば、吾方に來り仕へよ、取替へて逸物にせん、四月朔日左三兵衞は若き時、初めて後れしことのありしに、何つの頃よりか、血臭きことに逢て、次第に物に慣れ、今は五六人の剛の者と世に言はるゝぞかしとて、偶々武功なき士のあれば、明き塞がりのあるは、武功のことよ、弱からざるは、我見定めたり、明日にも軍に出でんに、人にそゝのかされ、必ず拔掛して、討死し給ふな、夫は不忠なり、身を全うして、鑑連を見繼給はれ、各を打連れたればこそ、斯く年老たる身の、敵の眞中に在りてひろみたる色を見せざるぞと、最と懇に睦く言て、酒酌み替はし、其頃流行りける武具取出して與へられければ、是に勵まされて重ねて軍のあらん時、必ず人に後れじと勇めり、聊かも武者振の能く見ゆれば、呼出して、あれ人々見候へ、此鑑連が見し所に違ふべきにあらずとて、勝れたる剛の者の名を呼て、頼み候程に、能く引廻はしてよと言ふ。又人々の心を合はせらるゝこと、此鑑連は天の冥加に叶ひたることよと勇み立、若し若き士の席上にて心得違ひたることのある時は、客の前抔に呼出し打笑ひ、鑑連が士不束にこそあれ、去れども軍に臨みて火花を散らし候、鎗は此人々こそ能くすれとて、鎗押取りたる眞似して譽められしかば、人々感じ涙を流し、此人の爲めにこそ、命を捨てめと勵みけり。
現代語訳
また鑑連は、常に「士に弱い者はいないものだ。もし弱い者がいるなら、その人が悪いのではなく、その大将が励まさない罪である。私の士は言うまでもなく、下部に至るまで、たびたび功名のない者はない。他家で遅れを取った士がいれば、私のところへ来て仕えよ。取り替えて優れた者にしよう。四月朔日左三兵衛は若いとき、初めて遅れを取ったことがあったが、いつの頃からか血なまぐさいことに出会って次第に物に慣れ、今は五、六人の剛の者と世に言われているではないか」と言って、たまたま武功のない士がいると、「あいている塞がりがあるのは武功のことだ。弱くないことは、私が見定めた。明日にも戦に出るとき、人にそそのかされて、必ず抜け駆けして討死なさるな。それは不忠である。身を全うして、鑑連を見継いでください。皆を打ち連れているからこそ、こうして年老いた身が敵のまん中にいても、ひるんだ色を見せないのだ」と、たいそう丁寧に親しく言い、酒を酌み交わし、そのころ流行っていた武具を取り出して与えました。これに励まされ、重ねて戦があるときには必ず人に遅れまいと奮い立ちました。少しでも武者ぶりがよく見えれば呼び出して、「あれ、皆の者見よ。この鑑連の見立てに違いはあるまい」と言って、すぐれた剛の者の名を呼び、「頼むぞ、よく引き回してやってくれ」と言いました。また「人々が心を合わせてくださることは、この鑑連は天の冥加にかなったことよ」と勇み立ちました。もし若い士が席上で心得違いをしたときは、客の前などに呼び出して笑い、「鑑連の士は不束者だが、戦に臨んで火花を散らして槍を使うのは、この人たちこそよくする」と、槍を押し取った真似をしてほめたので、人々は感じ入って涙を流し、「この人のためにこそ命を捨てよう」と励みました。
解説

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