名将言行録 / 『名将言行録』伊達政宗 大坂の陣の三つの場面
○大阪冬役、政宗馬上にて城を巡見せし時、銃丸飛來るに、覺えず、身を引きしを無念に思ひ、夫より歩行立になり、城の際へ行き堀を眺め入て銃丸繁く來る所に、暫らく居て退けり。 ○此役、和睦になりて諸大名皆閑暇なり。之に依り陣中出合咄に、何れの方にても景物の香合はせあり。其所に政宗參られければ、幸なり香御鼻あれとて勝負せり。何れも鞍泥障弓箭抔を景物に出すに、政宗は腰に付けたる瓢簞を出す。何れも笑き景物とて取る者なし。亭主の家來之を取て事濟みぬ。偖政宗歸る時、乘來りし馬飾の儘にて、瓢簞から駒が出しなりとて、瓢簞取りし者に與へられたり。初め奧州の大將の景物とて笑ひし者、此時に至り羨みとしぞ。 ○此役、政宗、奈良に於て、足輕頭を集め、烏銃を放たするに、加藤太が組下三百人計り放さず、政宗之を見て糺明あれば、道中にて火を持てば、火繩の弊あり、藥を足輕に預れば、路に溢れて、多く廢る故に、儉約を考へ、兩品共に包みて小荷駄に付て跡より來る故、不圖期に後れしと言ふ。政宗大に怒り只吝畜を本として、職分を忘るゝは士の道にあらず、以後懲惡の爲なりと言て、直ぐに斬て衆人に徇へり。
新字:○大阪冬役、政宗馬上にて城を巡見せし時、銃丸飛来るに、覚えず、身を引きしを無念に思ひ、夫より歩行立になり、城の際へ行き堀を眺め入て銃丸繁く来る所に、暫らく居て退けり。 ○此役、和睦になりて諸大名皆閑暇なり。之に依り陣中出合咄に、何れの方にても景物の香合はせあり。其所に政宗参られければ、幸なり香御鼻あれとて勝負せり。何れも鞍泥障弓箭抔を景物に出すに、政宗は腰に付けたる瓢箪を出す。何れも笑き景物とて取る者なし。亭主の家来之を取て事済みぬ。偖政宗帰る時、乗来りし馬飾の儘にて、瓢箪から駒が出しなりとて、瓢箪取りし者に与へられたり。初め奥州の大将の景物とて笑ひし者、此時に至り羨みとしぞ。 ○此役、政宗、奈良に於て、足軽頭を集め、烏銃を放たするに、加藤太が組下三百人計り放さず、政宗之を見て糺明あれば、道中にて火を持てば、火縄の弊あり、薬を足軽に預れば、路に溢れて、多く廃る故に、倹約を考へ、両品共に包みて小荷駄に付て跡より来る故、不図期に後れしと言ふ。政宗大に怒り只吝畜を本として、職分を忘るゝは士の道にあらず、以後懲悪の為なりと言て、直ぐに斬て衆人に徇へり。
書き下し
○大阪冬役、政宗馬上にて城を巡見せし時、銃丸飛來るに、覺えず、身を引きしを無念に思ひ、夫より歩行立になり、城の際へ行き堀を眺め入て銃丸繁く來る所に、暫らく居て退けり。 ○此役、和睦になりて諸大名皆閑暇なり。之に依り陣中出合咄に、何れの方にても景物の香合はせあり。其所に政宗參られければ、幸なり香御鼻あれとて勝負せり。何れも鞍泥障弓箭抔を景物に出すに、政宗は腰に付けたる瓢簞を出す。何れも笑き景物とて取る者なし。亭主の家來之を取て事濟みぬ。偖政宗歸る時、乘來りし馬飾の儘にて、瓢簞から駒が出しなりとて、瓢簞取りし者に與へられたり。初め奧州の大將の景物とて笑ひし者、此時に至り羨みとしぞ。 ○此役、政宗、奈良に於て、足輕頭を集め、烏銃を放たするに、加藤太が組下三百人計り放さず、政宗之を見て糺明あれば、道中にて火を持てば、火繩の弊あり、藥を足輕に預れば、路に溢れて、多く廢る故に、儉約を考へ、兩品共に包みて小荷駄に付て跡より來る故、不圖期に後れしと言ふ。政宗大に怒り只吝畜を本として、職分を忘るゝは士の道にあらず、以後懲惡の爲なりと言て、直ぐに斬て衆人に徇へり。
現代語訳
大坂冬の陣のとき、政宗は馬上で城を見て回っていたが、鉄砲の弾が飛んでくると思わず身を引いてしまった。これを無念に思い、それからは徒歩になり、城の際へ行って堀を眺め、鉄砲の弾が激しく飛んでくる所にしばらくいて、退いた。 この戦いで和睦になって諸大名は皆閑暇だった。そこで陣中の寄り合い話で、どこでも景品付きの香合わせがあった。そこへ政宗が来たので「ちょうどよい、香を聞かれよ」と言って勝負した。皆が鞍や泥障、弓矢などを景品に出す中、政宗は腰に付けていた瓢箪を出した。皆が笑って、つまらない景品だと取る者はいなかった。亭主の家来がこれを取って、事は済んだ。さて政宗は帰るとき、乗ってきた馬を飾りのまま「瓢箪から駒が出たぞ」と言って、瓢箪を取った者に与えた。初め奥州の大将の景品だと笑った者たちは、このとき羨んだという。 この戦いで、政宗は奈良で足軽頭を集め、鉄砲を撃たせたところ、加藤太の組下三百人ほどが撃たなかった。政宗がこれを糾明すると、「道中で火を持っていると火縄の危険があり、火薬を足軽に預けると道に散らばって多く無駄になるので、倹約を考え、両方とも包んで小荷駄に付けて後から来るため、ふとした時に間に合わなかった」と言った。政宗は大いに怒り、「ただ吝嗇をもととして職分を忘れるのは、武士の道ではない。今後の戒めのためだ」と言って、すぐに斬って人々に示した。
解説

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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『講孟余話』離婁上 第七章此の章、公孫丑上篇第七章と同一の手段、同一の議論にして、均しく恥の一字を以て人を激励す。恥の一字は孟子喫緊の語なり。故に云ふ「人は以て恥無かるべからず」、又云ふ「恥の人に於ける大なり」(並びに盡心上篇に見ゆ)。然れども恥を知らぬ人に至りては、孟子の説も亦窮すべし。斉の景公の涕出でて呉に女すを見て、一時の権道、保国の良図と思ふの族は、人間に羞恥と云ふことあるを夢にも知らず。斯の人をして路に当たらしめば、国体を失ひ国事を誤ること、豈に限りあらんや。然れども恥は人心必有の物なれば、木石に非ざるよりは恥なきことを得ず。其の恥なきと云ふ者は、真に恥なきに非ず。恥づと雖も是れを処することなき故に、強ひて恥ぢざるの容をなすのみ。其の中心益々自ら恥づるなり。是れに因りて孟子又是れを処するの法を掲示し、遂に五年・七年等の効験を挙げて是れを歓動す。是に於て誰か敢へて羞恥を棄てて効験に趨かざらんや。況んや文王を師とするは甚だ容易なることにて、即ち上章反求在身の説に過ぎず。其の政に発する者は民を養ひ且つ教ふるに過ぎず。其の兵に発する者は民を弔ひ罪を伐つに過ぎず。已に羞恥の甚しきを知り、又効験の易きを知る。誰か敢へて其の図を改めざらんや。如何ぞ今人頑然として移らざる。時に復た孟子あることなし。吾将た誰をか尤めん。悲しいかな。
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言志四録・言志晩録 第二百四十条 恥を知れば則ち恥無し人は恥無かるべからず。又悔無かるべからず。悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。
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『慎思録』巻之二人の世に在るや、恥づべき者五つ。寒餓の士、溝壑に転死する者は、与り存せず。人の子為る者、不孝にして父母に順はざる、一の恥づべきなり。人の臣為る者、其の位に居りて素餐し、且つ節に死せざる、二の恥づべきなり。民の父母為りて、其の民を養ふこと能はざる、三の恥づべきなり。学びて道を知ること能はざる、四の恥づべきなり。知りて行ふこと能はざる、五の恥づべきなり。