名将言行録 / 『名将言行録』伊達政宗 猿への備えと饅頭
○秀吉、大なる猿を飼ひ、諸大名登城の時通る邊に繫ぎ置く。猿齒をむき飛掛りし時、諸人狼狽する體を、秀吉透見せられけり。政宗之を聞き、病と稱し登城せず。猿引を百方手に入れ、密に猿を借り玄關に繫ぎ置き、政宗通りければ、猿齒をむき飛掛らんとす。政宗策を以てしたゝかに打すくめたり。斯く度々しければ、彼猿後には政宗を見て屏息す。斯の如く仕込み、猿を返せり。偖登城しければ、秀吉右の事は知らず、政宗樣子如何と透見せられければ政宗玄關を上る時、猿飛び掛らんとせしに、政宗はつたと睨みければ、彼猿畏縮して退きたり。秀吉、之を見て曲せ者めが、又先へ廻りたると言て、笑はれしとぞ。 ○秀吉、嘗て舟遊に出づ。政宗にも供すべきとのことなりけるに、遲參して、舟の出たる跡へ來りけり。之に依り、馬引寄せ打乘て、只一騎舟に目を掛け、住吉の方へ乘行きけるに、秀吉見て、大方政宗なるべしと言はる。舟住吉にも着られず、又漕戻さるゝに依て、政宗も又乘返し、着船せられし所に參りければ、秀吉只今の馬は政宗にてありつるか、武者振見事なり、定めて草臥たるべしとありて饅頭の入たる折を賜はりける。政宗頂戴して折を傾け、我着物の前を廣げ、饅頭を移し、入れ包みて立退き、我内の者を呼び寄せて、上樣より拜領申たるぞ、汝等も有り難く存じ頂戴せよと言て、殘らず與へたり、何れも其厚志に感ぜり。
新字:○秀吉、大なる猿を飼ひ、諸大名登城の時通る辺に繋ぎ置く。猿歯をむき飛掛りし時、諸人狼狽する体を、秀吉透見せられけり。政宗之を聞き、病と称し登城せず。猿引を百方手に入れ、密に猿を借り玄関に繋ぎ置き、政宗通りければ、猿歯をむき飛掛らんとす。政宗策を以てしたゝかに打すくめたり。斯く度々しければ、彼猿後には政宗を見て屏息す。斯の如く仕込み、猿を返せり。偖登城しければ、秀吉右の事は知らず、政宗様子如何と透見せられければ政宗玄関を上る時、猿飛び掛らんとせしに、政宗はつたと睨みければ、彼猿畏縮して退きたり。秀吉、之を見て曲せ者めが、又先へ廻りたると言て、笑はれしとぞ。 ○秀吉、嘗て舟遊に出づ。政宗にも供すべきとのことなりけるに、遅参して、舟の出たる跡へ来りけり。之に依り、馬引寄せ打乗て、只一騎舟に目を掛け、住吉の方へ乗行きけるに、秀吉見て、大方政宗なるべしと言はる。舟住吉にも着られず、又漕戻さるゝに依て、政宗も又乗返し、着船せられし所に参りければ、秀吉只今の馬は政宗にてありつるか、武者振見事なり、定めて草臥たるべしとありて饅頭の入たる折を賜はりける。政宗頂戴して折を傾け、我着物の前を広げ、饅頭を移し、入れ包みて立退き、我内の者を呼び寄せて、上様より拝領申たるぞ、汝等も有り難く存じ頂戴せよと言て、残らず与へたり、何れも其厚志に感ぜり。
書き下し
○秀吉、大なる猿を飼ひ、諸大名登城の時通る邊に繫ぎ置く。猿齒をむき飛掛りし時、諸人狼狽する體を、秀吉透見せられけり。政宗之を聞き、病と稱し登城せず。猿引を百方手に入れ、密に猿を借り玄關に繫ぎ置き、政宗通りければ、猿齒をむき飛掛らんとす。政宗策を以てしたゝかに打すくめたり。斯く度々しければ、彼猿後には政宗を見て屏息す。斯の如く仕込み、猿を返せり。偖登城しければ、秀吉右の事は知らず、政宗樣子如何と透見せられければ政宗玄關を上る時、猿飛び掛らんとせしに、政宗はつたと睨みければ、彼猿畏縮して退きたり。秀吉、之を見て曲せ者めが、又先へ廻りたると言て、笑はれしとぞ。 ○秀吉、嘗て舟遊に出づ。政宗にも供すべきとのことなりけるに、遲參して、舟の出たる跡へ來りけり。之に依り、馬引寄せ打乘て、只一騎舟に目を掛け、住吉の方へ乘行きけるに、秀吉見て、大方政宗なるべしと言はる。舟住吉にも着られず、又漕戻さるゝに依て、政宗も又乘返し、着船せられし所に參りければ、秀吉只今の馬は政宗にてありつるか、武者振見事なり、定めて草臥たるべしとありて饅頭の入たる折を賜はりける。政宗頂戴して折を傾け、我着物の前を廣げ、饅頭を移し、入れ包みて立退き、我内の者を呼び寄せて、上樣より拜領申たるぞ、汝等も有り難く存じ頂戴せよと言て、殘らず與へたり、何れも其厚志に感ぜり。
現代語訳
秀吉は大きな猿を飼い、諸大名が登城するときに通る辺りにつないでおいた。猿が歯をむいて飛びかかるとき、人々がうろたえる様子を、秀吉は物陰から見ていた。政宗はこれを聞くと、病気と称して登城しなかった。猿回しを手を尽くして探し、ひそかに猿を借りて玄関につないでおき、政宗が通ると、猿は歯をむいて飛びかかろうとする。政宗は策をもってしたたかに打ち伏せた。こうして何度もするうちに、その猿はのちには政宗を見ておとなしくなった。このように仕込んで、猿を返した。さて登城すると、秀吉は右のことは知らず、政宗の様子はどうかとのぞき見ていると、政宗が玄関を上がるとき、猿が飛びかかろうとしたが、政宗がきっと睨みつけると、その猿は畏縮して退いた。秀吉はこれを見て「くせ者め、また先回りしたな」と言って、笑ったという。 秀吉がかつて舟遊びに出た。政宗も供をするよう言われたのに、遅参して、舟が出たあとに来た。そこで馬を引き寄せて乗り、ただ一騎で舟を目指して住吉の方へ乗って行ったところ、秀吉は見て「おそらく政宗であろう」と言った。舟は住吉にも着かず、また漕ぎ戻したので、政宗も乗り返し、着船した所へ参ったところ、秀吉は「いまの馬は政宗であったか。武者ぶりが見事だ。さぞ疲れたであろう」と言って、饅頭の入った折を賜った。政宗は頂戴して折を傾け、自分の着物の前を広げ、饅頭を移し入れ包んで立ち退き、自分の家の者を呼び寄せて「上様から拝領したぞ。おまえたちもありがたく頂戴せよ」と言って、残らず与えた。いずれもその厚意に感じ入った。
解説

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