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名将言行録 / 『名将言行録』島津義久 鷹をめぐる態度の差

陸奧守貴久の長子、從四位下に敍し、修理太夫に任す。後髪を削り、龍伯と號し、三位法印に敍す。日向、大隅、薩摩を領し、富隈及び、新城に住す。慶長十六年正月二十一日新城に卒、年七十九。 ○大友義鎭愛する所の鷹あり、一日放れて行く所を知らず。頓て日向宮崎の久保山治部が在所にて之を取り、義久に贈る。義鎭聞て大に怒り、久保山を捕ふ。義久之を聞き、使者を大友に遣はし、右の鷹を返し、大友屋形の御祕藏と兼ねて承はりなば、義久も留置くべからず、況や久保山も存じたらば、屋形へこそ參らすべきに、彼も知らぬが必定とこそ存候へ、彼者が罪をば、義久に免ぜられ候へと、念頃に言遣はす。義鎭益々怒て久保山を引出し、使者の前にて首を刎ねし上は、義久に兎角の返事もあらばこそ、使者は魂を消して歸りける。斯りしかば、人皆大友を疎みて島津に服せり。

新字:陸奥守貴久の長子、従四位下に叙し、修理太夫に任す。後髪を削り、竜伯と号し、三位法印に叙す。日向、大隅、薩摩を領し、富隈及び、新城に住す。慶長十六年正月二十一日新城に卒、年七十九。 ○大友義鎮愛する所の鷹あり、一日放れて行く所を知らず。頓て日向宮崎の久保山治部が在所にて之を取り、義久に贈る。義鎮聞て大に怒り、久保山を捕ふ。義久之を聞き、使者を大友に遣はし、右の鷹を返し、大友屋形の御秘蔵と兼ねて承はりなば、義久も留置くべからず、況や久保山も存じたらば、屋形へこそ参らすべきに、彼も知らぬが必定とこそ存候へ、彼者が罪をば、義久に免ぜられ候へと、念頃に言遣はす。義鎮益々怒て久保山を引出し、使者の前にて首を刎ねし上は、義久に兎角の返事もあらばこそ、使者は魂を消して帰りける。斯りしかば、人皆大友を疎みて島津に服せり。

書き下し

陸奧守貴久の長子、從四位下に敍し、修理太夫に任す。後髪を削り、龍伯と號し、三位法印に敍す。日向、大隅、薩摩を領し、富隈及び、新城に住す。慶長十六年正月二十一日新城に卒、年七十九。 ○大友義鎭愛する所の鷹あり、一日放れて行く所を知らず。頓て日向宮崎の久保山治部が在所にて之を取り、義久に贈る。義鎭聞て大に怒り、久保山を捕ふ。義久之を聞き、使者を大友に遣はし、右の鷹を返し、大友屋形の御祕藏と兼ねて承はりなば、義久も留置くべからず、況や久保山も存じたらば、屋形へこそ參らすべきに、彼も知らぬが必定とこそ存候へ、彼者が罪をば、義久に免ぜられ候へと、念頃に言遣はす。義鎭益々怒て久保山を引出し、使者の前にて首を刎ねし上は、義久に兎角の返事もあらばこそ、使者は魂を消して歸りける。斯りしかば、人皆大友を疎みて島津に服せり。

現代語訳

陸奥守貴久の長子。従四位下に叙され、修理大夫に任じられました。のちに髪を剃り、龍伯と号し、三位法印に叙されました。日向・大隅・薩摩を領し、富隈および新城に住みました。慶長十六年正月二十一日、新城で亡くなりました。享年七十九。 大友義鎮が愛する鷹があり、ある日放たれて行方が分からなくなりました。やがて日向宮崎の久保山治部の在所でこれを捕らえ、義久に贈りました。義鎮は聞いて大いに怒り、久保山を捕らえました。義久はこれを聞き、使者を大友に遣わして、右の鷹を返し、大友屋形の御秘蔵と前から承っていたならば、義久も留め置くはずがありません。まして久保山も、存じていたならば、屋形へこそ差し上げたでしょうに、彼も知らなかったに相違ないと存じます。彼の者の罪を、義久に免じてください、とねんごろに言い遣わしました。義鎮はますます怒って、久保山を引き出し、使者の前で首を刎ねたうえは、義久に何の返事もあるはずがなく、使者は魂を消して帰りました。このようなことがあったので、人は皆、大友を疎んじて島津に従いました。

解説

大友義鎮の愛鷹をめぐる、島津義久の対応と大友の対応を対比する逸話です。義久は鷹を返し、非は知らなかった者にあると穏やかに詫びを入れますが、義鎮はなおも怒って家臣を使者の前で斬り、人心を失ったと語られます。因果が単純に描かれすぎている面はありますが、小さな過失への対応が、組織の評判を作るという教訓として読めます。現代でも、取引先の些細な不手際をどう扱うかが、周囲に与える印象を左右します。ここでの処罰は、勧める調子ではなく、失う側の人心を見る話として読みたいところです。
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この章句が説くこと

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