名将言行録 / 『名将言行録』島津義久 宇土行興を降した連歌法師
○天正八年、肥後の宇土伯耆守行興、義久に降れり。其頃宇土が方に、何方より來るともなく、連歌法師あり、萬の事に疎からず、弓箭の道さへ手馴れぬ者とは見えず。行興近習に召使ひ、斜めならず愛しける。去る年月、島津、宇土、矛盾の間、宇土が方より種々の謀をすれども、敵一度も術に入らず、却て宇土を惱ましければ、宇土迷惑し、終に幕下と爲る。斯くて兩家和睦の後、右の法師を尋ぬれば、島津譜第の士なり。此間宇土方の手段を島津方に密通しけるとは、後にぞ思ひ知られける、其上右の法師、常々行興に語て曰く、我熟々考ふるに、九州の諸士大友を背くは宜べなり、何にとなれば、大友は政道理に背き、家の舊式を取り失ひ、弓箭の道に違ふ、家運將に盡んとすればなり、又龍造寺隆信は匹夫より興り、強く弓箭を取り、謀を以て數度敵を瞞かすと雖も、猥りに人を侮り慈仁の心なき將なれば、驕のみ長ずと見えたり、末頼母敷からず、其外の郡主、城主何れが九州の惣司とも成りぬべき目立つべくもあらず、爰に島津は、やんごとなき武家なり、弓箭の家を立つて代々久し、俗姓も去る大將の後と聞く、近頃まで小身なりしが何つとなく向ふ所順ひ懐て薩、隅の二州及び日向諸縣を治め、剰へ日向耳川に於て、大友の大軍を破り、勇名九州に溢れ、幾內までも其名を稱すと聞ゆ。去年日向の内をも侵略し、今肥後にも働きあり、餘所ながら其家風を窺ふに、政法正しく、軍法嚴重なり、賞罰理に當れば、擧止に就て人の恨みもなく、慈愛深きに依て、士、恩の下に命を輕んず、哀れ島津は筑紫の管領とも成りなんとこそ存ずれ、是に敵對する人、其鉾に對すまじ、與力の士は末頼母敷からん抔、折々に言沙汰しければ、行興、初めは思ひもよらざりけるが度々の戰には利を失ひつ、彼が詞も道理ありと思ひ、心服して終に降りけるとぞ。
新字:○天正八年、肥後の宇土伯耆守行興、義久に降れり。其頃宇土が方に、何方より来るともなく、連歌法師あり、万の事に疎からず、弓箭の道さへ手馴れぬ者とは見えず。行興近習に召使ひ、斜めならず愛しける。去る年月、島津、宇土、矛盾の間、宇土が方より種々の謀をすれども、敵一度も術に入らず、却て宇土を悩ましければ、宇土迷惑し、終に幕下と為る。斯くて両家和睦の後、右の法師を尋ぬれば、島津譜第の士なり。此間宇土方の手段を島津方に密通しけるとは、後にぞ思ひ知られける、其上右の法師、常々行興に語て曰く、我熟々考ふるに、九州の諸士大友を背くは宜べなり、何にとなれば、大友は政道理に背き、家の旧式を取り失ひ、弓箭の道に違ふ、家運将に尽んとすればなり、又竜造寺隆信は匹夫より興り、強く弓箭を取り、謀を以て数度敵を瞞かすと雖も、猥りに人を侮り慈仁の心なき将なれば、驕のみ長ずと見えたり、末頼母敷からず、其外の郡主、城主何れが九州の惣司とも成りぬべき目立つべくもあらず、爰に島津は、やんごとなき武家なり、弓箭の家を立つて代々久し、俗姓も去る大将の後と聞く、近頃まで小身なりしが何つとなく向ふ所順ひ懐て薩、隅の二州及び日向諸県を治め、剰へ日向耳川に於て、大友の大軍を破り、勇名九州に溢れ、幾内までも其名を称すと聞ゆ。去年日向の内をも侵略し、今肥後にも働きあり、余所ながら其家風を窺ふに、政法正しく、軍法厳重なり、賞罰理に当れば、挙止に就て人の恨みもなく、慈愛深きに依て、士、恩の下に命を軽んず、哀れ島津は筑紫の管領とも成りなんとこそ存ずれ、是に敵対する人、其鉾に対すまじ、与力の士は末頼母敷からん抔、折々に言沙汰しければ、行興、初めは思ひもよらざりけるが度々の戦には利を失ひつ、彼が詞も道理ありと思ひ、心服して終に降りけるとぞ。
書き下し
○天正八年、肥後の宇土伯耆守行興、義久に降れり。其頃宇土が方に、何方より來るともなく、連歌法師あり、萬の事に疎からず、弓箭の道さへ手馴れぬ者とは見えず。行興近習に召使ひ、斜めならず愛しける。去る年月、島津、宇土、矛盾の間、宇土が方より種々の謀をすれども、敵一度も術に入らず、却て宇土を惱ましければ、宇土迷惑し、終に幕下と爲る。斯くて兩家和睦の後、右の法師を尋ぬれば、島津譜第の士なり。此間宇土方の手段を島津方に密通しけるとは、後にぞ思ひ知られける、其上右の法師、常々行興に語て曰く、我熟々考ふるに、九州の諸士大友を背くは宜べなり、何にとなれば、大友は政道理に背き、家の舊式を取り失ひ、弓箭の道に違ふ、家運將に盡んとすればなり、又龍造寺隆信は匹夫より興り、強く弓箭を取り、謀を以て數度敵を瞞かすと雖も、猥りに人を侮り慈仁の心なき將なれば、驕のみ長ずと見えたり、末頼母敷からず、其外の郡主、城主何れが九州の惣司とも成りぬべき目立つべくもあらず、爰に島津は、やんごとなき武家なり、弓箭の家を立つて代々久し、俗姓も去る大將の後と聞く、近頃まで小身なりしが何つとなく向ふ所順ひ懐て薩、隅の二州及び日向諸縣を治め、剰へ日向耳川に於て、大友の大軍を破り、勇名九州に溢れ、幾內までも其名を稱すと聞ゆ。去年日向の内をも侵略し、今肥後にも働きあり、餘所ながら其家風を窺ふに、政法正しく、軍法嚴重なり、賞罰理に當れば、擧止に就て人の恨みもなく、慈愛深きに依て、士、恩の下に命を輕んず、哀れ島津は筑紫の管領とも成りなんとこそ存ずれ、是に敵對する人、其鉾に對すまじ、與力の士は末頼母敷からん抔、折々に言沙汰しければ、行興、初めは思ひもよらざりけるが度々の戰には利を失ひつ、彼が詞も道理ありと思ひ、心服して終に降りけるとぞ。
現代語訳
天正八年、肥後の宇土伯耆守行興が義久に降りました。そのころ、宇土のもとに、どこからともなく来た連歌法師がいて、万事に通じ、弓矢の道にも手慣れた者とは見えました。行興は近習に召し使い、斜めならず愛しました。さきの年月、島津と宇土が敵対していた間、宇土の側からさまざまの謀をしましたが、敵は一度も術にかからず、かえって宇土を悩ませたので、宇土は迷惑し、ついに幕下となりました。こうして両家が和睦したのち、その法師を尋ねてみると、島津の譜代の士でした。この間の宇土方の手段を、島津方に密通していたとは、あとになって思い知られたのでした。そのうえ、右の法師は、常々行興に語って言いました。私がつくづく考えるに、九州の諸士が大友に背くのはもっともです。なぜなら、大友は政道が道理に背き、家の旧式を取り失い、弓矢の道に違い、家運がまさに尽きようとしているからです。また龍造寺隆信は、匹夫から興り、強く弓矢を取り、謀をもって数度敵をだましたとはいえ、みだりに人を侮り、慈しみの心がない将ですから、おごりばかりが育つと見えます。末は頼もしくありません。そのほかの郡主・城主で、いずれが九州の惣司ともなりそうだと目立つ者はありません。ここに島津は、やんごとない武家です。弓矢の家を立てて代々久しく、俗姓もさる大将の後と聞きます。近ごろまで小身でしたが、いつとなく向かうところが従い懐いて、薩摩・大隅の二州と日向の諸県を治め、そのうえ日向の耳川で、大友の大軍を破り、勇名が九州に溢れ、畿内までもその名を称すると聞こえます。去年は日向の内をも侵略し、今は肥後にも働きがあり、よそながらその家風をうかがうに、政法は正しく、軍法は厳重です。賞罰が理に当たるので、挙動についても人の恨みがなく、慈愛が深いので、士は恩のもとに命を軽んじます。ああ、島津は筑紫の管領ともなるだろうと存じます。これに敵対する人は、その鉾に対することはできまい、与力の士は末が頼もしくないだろう、などと折々言い沙汰しましたので、行興は、初めは思いもよらなかったのですが、たびたびの戦に利を失い、彼の言葉も道理があると思い、心服して、ついに降ったということです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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