名将言行録 / 『名将言行録』竹中重治 誓文を破り黒田孝高を励ます
○又曰く、刀を常に帶して座敷に就くこと、古より然り。近頃は刀を脱て別所に置き、或は多くの刀と共に一つに置くことになれり。志あらん輩、其心得あるべきことなり、同所に刀多くあれば、急なる時に取違ることあるものなれば、人の刀は横に致さば、我刀は立掛け置き、又は人の刀と振違て置き、人の刀のあらん所を除きて、別所に置くことと心得べし、大勢の入込に刀を置かずして叶はざる時は、我刀のまた知れる樣に心得べしと。 ○黑田孝高、秀吉と交り深し、秀吉嘗て誓文を以て、他日知行を與んとの約あり。後ち秀吉次第に出身せしかども、其言を踏まず、孝高毎に其不足を鳴らせり。重治、孝高と友とし善し、一日孝高を尋ねければ、孝高誓文の事を言出して、不平を述ぶ。重治夫は如何樣の誓文ぞと尋ねければ、爾々なりと言て出だす。重治之を見終て、何とも言はず引裂き、火中に投棄す。孝高大に驚きければ、重治此誓文あればこそ、不足も起り不勸にもなりぬ。結句身の爲めにならずと言ければ、孝高も致し方なく、勉勵せしかば、夫より次第に出身せしとぞ。 ○重治、常に諸士に語て曰く、己が屋敷の雨落を出る時、早や敵ありて、我を窺ふと心得べし、迂濶々々と雨落を越すは甚だ粗略なりと。 ○重治、斬首捕虜の功はなかりしかども、秀吉を助け軍務を參畫し、敵を制すること神の如し。秀吉以て腹心と爲し、毎時諮詢せり。重治益々心を傾け結納す。秀吉多くの軍功を顯はし信長の股肱となりしは、重治羽翼の功許多なり。
新字:○又曰く、刀を常に帯して座敷に就くこと、古より然り。近頃は刀を脱て別所に置き、或は多くの刀と共に一つに置くことになれり。志あらん輩、其心得あるべきことなり、同所に刀多くあれば、急なる時に取違ることあるものなれば、人の刀は横に致さば、我刀は立掛け置き、又は人の刀と振違て置き、人の刀のあらん所を除きて、別所に置くことと心得べし、大勢の入込に刀を置かずして叶はざる時は、我刀のまた知れる様に心得べしと。 ○黒田孝高、秀吉と交り深し、秀吉嘗て誓文を以て、他日知行を与んとの約あり。後ち秀吉次第に出身せしかども、其言を踏まず、孝高毎に其不足を鳴らせり。重治、孝高と友とし善し、一日孝高を尋ねければ、孝高誓文の事を言出して、不平を述ぶ。重治夫は如何様の誓文ぞと尋ねければ、爾々なりと言て出だす。重治之を見終て、何とも言はず引裂き、火中に投棄す。孝高大に驚きければ、重治此誓文あればこそ、不足も起り不勧にもなりぬ。結句身の為めにならずと言ければ、孝高も致し方なく、勉励せしかば、夫より次第に出身せしとぞ。 ○重治、常に諸士に語て曰く、己が屋敷の雨落を出る時、早や敵ありて、我を窺ふと心得べし、迂濶々々と雨落を越すは甚だ粗略なりと。 ○重治、斬首捕虜の功はなかりしかども、秀吉を助け軍務を参画し、敵を制すること神の如し。秀吉以て腹心と為し、毎時諮詢せり。重治益々心を傾け結納す。秀吉多くの軍功を顕はし信長の股肱となりしは、重治羽翼の功許多なり。
書き下し
○又曰く、刀を常に帶して座敷に就くこと、古より然り。近頃は刀を脱て別所に置き、或は多くの刀と共に一つに置くことになれり。志あらん輩、其心得あるべきことなり、同所に刀多くあれば、急なる時に取違ることあるものなれば、人の刀は横に致さば、我刀は立掛け置き、又は人の刀と振違て置き、人の刀のあらん所を除きて、別所に置くことと心得べし、大勢の入込に刀を置かずして叶はざる時は、我刀のまた知れる樣に心得べしと。 ○黑田孝高、秀吉と交り深し、秀吉嘗て誓文を以て、他日知行を與んとの約あり。後ち秀吉次第に出身せしかども、其言を踏まず、孝高毎に其不足を鳴らせり。重治、孝高と友とし善し、一日孝高を尋ねければ、孝高誓文の事を言出して、不平を述ぶ。重治夫は如何樣の誓文ぞと尋ねければ、爾々なりと言て出だす。重治之を見終て、何とも言はず引裂き、火中に投棄す。孝高大に驚きければ、重治此誓文あればこそ、不足も起り不勸にもなりぬ。結句身の爲めにならずと言ければ、孝高も致し方なく、勉勵せしかば、夫より次第に出身せしとぞ。 ○重治、常に諸士に語て曰く、己が屋敷の雨落を出る時、早や敵ありて、我を窺ふと心得べし、迂濶々々と雨落を越すは甚だ粗略なりと。 ○重治、斬首捕虜の功はなかりしかども、秀吉を助け軍務を參畫し、敵を制すること神の如し。秀吉以て腹心と爲し、毎時諮詢せり。重治益々心を傾け結納す。秀吉多くの軍功を顯はし信長の股肱となりしは、重治羽翼の功許多なり。
現代語訳
重治はまた言った。刀を常に帯びて座敷に就くことは、古くからそうしてきた。近頃は刀を脱いで別の所に置いたり、多くの刀と一緒に置いたりするようになった。志のある者は、その心得があるべきである。同じ所に刀が多くあれば、急なときに取り違えることがあるので、人の刀が横になっていたなら、自分の刀は立てかけておき、あるいは人の刀と向きを違えて置き、人の刀がある所を避けて、別の所に置くことと心得よ。大勢の入り込みで刀を置かねばならないときは、自分の刀のありかがはっきり分かるように心得よ、と。 黒田孝高は、秀吉と交わりが深かった。秀吉はかつて誓文をもって、他日知行を与えるという約束をした。のち秀吉は次第に出世したけれども、その言葉を実行せず、孝高はそのたびにその不足を鳴らした。重治は孝高と親しい友であった。ある日孝高を訪ねたところ、孝高は誓文のことを言い出して、不平を述べた。重治は、それはどのような誓文か、と尋ね、これこれだと言って出した。重治はこれを見終わって、何も言わず引き裂いて火中に投げ捨てた。孝高は大いに驚いたが、重治は、この誓文があるからこそ不満も起こり、不勤にもなったのだ。結局、身のためにならない、と言ったので、孝高もどうしようもなく、勉励したところ、それより次第に出世したという。 重治は常に諸士に語って言った。自分の屋敷の雨落ちを出るとき、早くも敵があって、我を窺っていると心得よ。うかうかと雨落ちを越すのはたいへん粗略なことだ、と。 重治は、首を斬ったり捕虜を取ったりする功はなかったけれども、秀吉を助け、軍務に参画し、敵を制することは神のようであった。秀吉は腹心とし、そのたびに諮問した。重治はますます心を傾けて親しく結んだ。秀吉が多くの軍功をあらわして、信長の股肱となったのは、重治の羽翼の功が多い。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
-
『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
-
『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
-
『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
-
『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。