名将言行録 / 『名将言行録』竹中重治 問う要領と馬の買い方
○重治曰く、人皆合戰の事を問ふに、其問ふべき要領を問はず、問はで濟むべき事を多く尋ぬる故、重ねての功に成らざるなり、答ふるも亦然り、去れば良話も用に立ざること甚だ多し、彼地に於ては、誰が手柄を爲して功を立てし抔と言ふ。一本鎗匹夫の手柄話にて事終れば、人の習に成ることなし、其事の締り治り心の付所を肝要にするにありと。 ○又曰く、分に過ぎたる價を以て馬を買べからず。其馬に乘りたる、時能き敵と見掛け追詰めて飛び下りんと思ふか、或は又鎗を合はせんと下り立つ時、馬副の人の續かざれば、此馬、人の物になるべし、又斯る馬は得難きと思ふ心出て、期を延ばすこともあり、是良き馬故に、却て名を失ふこともあるべし、依て金十兩にて馬を買んとするに五兩にて求むべし、吝氣もなく飛び下り、乘放ちて能き時は捨てもすべし、價五兩の金にて、又馬を求むべし、馬に限らず此心得あるべきなり、身をも義に依て捨るぞかし、況て財寶をや、塵芥とも思はぬ心掛、常にあるべきこそ本意なれと。
新字:○重治曰く、人皆合戦の事を問ふに、其問ふべき要領を問はず、問はで済むべき事を多く尋ぬる故、重ねての功に成らざるなり、答ふるも亦然り、去れば良話も用に立ざること甚だ多し、彼地に於ては、誰が手柄を為して功を立てし抔と言ふ。一本鎗匹夫の手柄話にて事終れば、人の習に成ることなし、其事の締り治り心の付所を肝要にするにありと。 ○又曰く、分に過ぎたる価を以て馬を買べからず。其馬に乗りたる、時能き敵と見掛け追詰めて飛び下りんと思ふか、或は又鎗を合はせんと下り立つ時、馬副の人の続かざれば、此馬、人の物になるべし、又斯る馬は得難きと思ふ心出て、期を延ばすこともあり、是良き馬故に、却て名を失ふこともあるべし、依て金十両にて馬を買んとするに五両にて求むべし、吝気もなく飛び下り、乗放ちて能き時は捨てもすべし、価五両の金にて、又馬を求むべし、馬に限らず此心得あるべきなり、身をも義に依て捨るぞかし、況て財宝をや、塵芥とも思はぬ心掛、常にあるべきこそ本意なれと。
書き下し
○重治曰く、人皆合戰の事を問ふに、其問ふべき要領を問はず、問はで濟むべき事を多く尋ぬる故、重ねての功に成らざるなり、答ふるも亦然り、去れば良話も用に立ざること甚だ多し、彼地に於ては、誰が手柄を爲して功を立てし抔と言ふ。一本鎗匹夫の手柄話にて事終れば、人の習に成ることなし、其事の締り治り心の付所を肝要にするにありと。 ○又曰く、分に過ぎたる價を以て馬を買べからず。其馬に乘りたる、時能き敵と見掛け追詰めて飛び下りんと思ふか、或は又鎗を合はせんと下り立つ時、馬副の人の續かざれば、此馬、人の物になるべし、又斯る馬は得難きと思ふ心出て、期を延ばすこともあり、是良き馬故に、却て名を失ふこともあるべし、依て金十兩にて馬を買んとするに五兩にて求むべし、吝氣もなく飛び下り、乘放ちて能き時は捨てもすべし、價五兩の金にて、又馬を求むべし、馬に限らず此心得あるべきなり、身をも義に依て捨るぞかし、況て財寶をや、塵芥とも思はぬ心掛、常にあるべきこそ本意なれと。
現代語訳
重治は言った。人は皆、合戦のことを問うが、問うべき要領を問わず、問わなくて済むことを多く尋ねるので、後の功にならないのだ。答えるのもまた同じである。そのため、良い話も役に立たないことが非常に多い。あの土地では、誰が手柄を立てて功をあげた、などと言う。一本槍の匹夫の手柄話で終われば、人の習いにはならない。その事の締まり、収まりと心の付けどころを肝要とすべきなのだ、と。 また言った。分に過ぎた値段で馬を買ってはならない。その馬に乗ったとき、良い敵と見て追い詰めて飛び下りようと思うか、あるいは槍を合わせようと下り立つとき、馬副の人が続かなければ、この馬は他人のものになるだろう。また、このような馬は得がたいと思う心が出て、時期を延ばすこともあり、これは良い馬のゆえに、かえって名を失うこともあるだろう。よって、金十両で馬を買おうとするなら、五両で求めるべきである。惜しげもなく飛び下り、乗り捨てて良いときは捨てることもできる。値が五両の金でまた馬を求めればよい。馬に限らずこの心得があるべきである。身をも義のために捨てるのだから、まして財宝はなおさらである。塵芥とも思わぬ心がけを、常に持つのが本意であろう、と。
解説

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