名将言行録 / 『名将言行録』竹中重治 牛の逸話と家の面目
○重治陣中に於て常に牛に騎ると曰ふ。時人評して曰く、如何なる半兵衞にてもあれ、何つも心靜に牛に騎るべき所以なし、偶々一兩度牛に騎りたることありたるをば、談話に飾りたるならんと、其沈靜なること斯の如し。 ○重治、平生足の指を動し、寒中にも手を懷にせず、甚だ寒ゆれば、手を摩して居れり。秀吉の前に侍する時も、足を動し、左右片々づゝ休めける。或人怪みて之を問ふ。重治、主人の前にて自身逸樂の爲めに、手足を自由にするは甚だ無禮なり。君用の爲めを思ひ、手足四肢の痺痿んことを思ふは忠と言ふべし、士たる者武を心に忘るべからず、餘の作用は少々違所ありても苦しからず、武道の事に於て名を汚すは士の本意にあらず、若し不處に臨みて足痿れ手凍たると言はれては、其言譯立つべからずと言はれけり。 ○重治、秀吉より賜はる所の自筆の懇書を裂き捨て、此樣なる物を殘し置きては、自分にも後になりては殊に寄りて述懷を生じ、子孫に至りても、其身の不覺悟を忘れて、父には箇樣に御懇にてありし抔とて恨を生ずることあるものなり、と言て捨たり。 ○重治、軍物語の時、子の左京未だ幼なかりしが、座を立て何方へか行き、暫らくして歸り來る。重治軍物語の半に混立つことやあると叱りければ、左京、小便に立ち候と言ふ。重治怒て小便に立度は何にとて座敷にて小便を致さぬぞ、竹中が子が武道の咄に聞入り、座敷を汚したりと言はれなば、我家の面目なりと言はれけり。
新字:○重治陣中に於て常に牛に騎ると曰ふ。時人評して曰く、如何なる半兵衛にてもあれ、何つも心静に牛に騎るべき所以なし、偶々一両度牛に騎りたることありたるをば、談話に飾りたるならんと、其沈静なること斯の如し。 ○重治、平生足の指を動し、寒中にも手を懐にせず、甚だ寒ゆれば、手を摩して居れり。秀吉の前に侍する時も、足を動し、左右片々づゝ休めける。或人怪みて之を問ふ。重治、主人の前にて自身逸楽の為めに、手足を自由にするは甚だ無礼なり。君用の為めを思ひ、手足四肢の痺痿んことを思ふは忠と言ふべし、士たる者武を心に忘るべからず、余の作用は少々違所ありても苦しからず、武道の事に於て名を汚すは士の本意にあらず、若し不処に臨みて足痿れ手凍たると言はれては、其言訳立つべからずと言はれけり。 ○重治、秀吉より賜はる所の自筆の懇書を裂き捨て、此様なる物を残し置きては、自分にも後になりては殊に寄りて述懐を生じ、子孫に至りても、其身の不覚悟を忘れて、父には箇様に御懇にてありし抔とて恨を生ずることあるものなり、と言て捨たり。 ○重治、軍物語の時、子の左京未だ幼なかりしが、座を立て何方へか行き、暫らくして帰り来る。重治軍物語の半に混立つことやあると叱りければ、左京、小便に立ち候と言ふ。重治怒て小便に立度は何にとて座敷にて小便を致さぬぞ、竹中が子が武道の咄に聞入り、座敷を汚したりと言はれなば、我家の面目なりと言はれけり。
書き下し
○重治陣中に於て常に牛に騎ると曰ふ。時人評して曰く、如何なる半兵衞にてもあれ、何つも心靜に牛に騎るべき所以なし、偶々一兩度牛に騎りたることありたるをば、談話に飾りたるならんと、其沈靜なること斯の如し。 ○重治、平生足の指を動し、寒中にも手を懷にせず、甚だ寒ゆれば、手を摩して居れり。秀吉の前に侍する時も、足を動し、左右片々づゝ休めける。或人怪みて之を問ふ。重治、主人の前にて自身逸樂の爲めに、手足を自由にするは甚だ無禮なり。君用の爲めを思ひ、手足四肢の痺痿んことを思ふは忠と言ふべし、士たる者武を心に忘るべからず、餘の作用は少々違所ありても苦しからず、武道の事に於て名を汚すは士の本意にあらず、若し不處に臨みて足痿れ手凍たると言はれては、其言譯立つべからずと言はれけり。 ○重治、秀吉より賜はる所の自筆の懇書を裂き捨て、此樣なる物を殘し置きては、自分にも後になりては殊に寄りて述懷を生じ、子孫に至りても、其身の不覺悟を忘れて、父には箇樣に御懇にてありし抔とて恨を生ずることあるものなり、と言て捨たり。 ○重治、軍物語の時、子の左京未だ幼なかりしが、座を立て何方へか行き、暫らくして歸り來る。重治軍物語の半に混立つことやあると叱りければ、左京、小便に立ち候と言ふ。重治怒て小便に立度は何にとて座敷にて小便を致さぬぞ、竹中が子が武道の咄に聞入り、座敷を汚したりと言はれなば、我家の面目なりと言はれけり。
現代語訳
重治は陣中で常に牛に乗っていたという。当時の人は評して言った。どのような半兵衛であっても、いつも静かに牛に乗っているはずがない。たまたま一、二度牛に乗ったのを、談話で飾ったのだろう、と。その沈静なことはこのようであった。 重治は平生、足の指を動かし、寒中でも手を懐に入れず、ひどく寒いときは手をこすっていた。秀吉の前に侍るときも、足を動かし、左右片方ずつ休めた。ある人が怪しんでこれを尋ねた。重治は、主人の前で自分の楽しみのために手足を自由にするのは、たいへん無礼である。君の用のために、手足四肢の痺れ萎えることを思うのは、忠というべきである。士たる者は武を心に忘れてはならない。ほかの作法は少々違っても差し支えない。武道のことで名を汚すのは士の本意ではない。もし不意に事に臨んで足が萎え、手が凍えたと言われては、その言い訳は立たない、と言った。 重治は、秀吉から賜った自筆の懇ろな書状を裂き捨て、このようなものを残しておくと、自分もあとになって何かの折に不平を生じ、子孫に至っても、自分の覚悟の足りなさを忘れて、父にはこのように丁重であったなどと言って、恨みを生ずることがあるものだ、と言って捨てた。 重治が軍物語をしているとき、子の左京はまだ幼かったが、座を立ってどこかへ行き、しばらくして帰ってきた。重治は、軍物語の半ばに立ち混ざることがあるか、と叱ったところ、左京は、小便に立ちました、と言った。重治は怒って、小便に立ちたいのならなぜ座敷で小便をしないのか、竹中の子が武道の話に聞き入り、座敷を汚したと言われれば、わが家の面目だ、と言った。
解説

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