名将言行録 / 『名将言行録』蒲生氏郷 刺客の少年と庄林理助
○政宗、氏鄕の威に壓せらる丶を、深く憤り、氏鄕を殺すべきことを工夫して、累代家に仕へし者の子に清十郎と曰ふ十六歲になりける者、容貌勝れて艶なりしに、密に巧むる事の由を語り聞かせ、田丸中務少輔直政が小姓に出して、奉公させけり。直政は、氏鄕と姻家の親みあれば、來られし時を伺て、刺殺せとのことなり。清十郎が父の方へ遣はしける書を、關所にて改め見しより、事起りて、其謀泄れたりけり。之に依り清十郎を召捕へ、獄に入れ此事を秀吉に告ぐると雖も、秀吉遠く慮りて、强て政宗と和平させられけり。氏鄕、清十郎を呼出し、吾過て罪なき義士を獄に入れ、辱を與へたり。其君の爲めに命を捨て、忠を致す條、稱するに餘りあり、疾く〱伊達家に歸るべしと言て、禮義正くもてなして歸されけり。 ○古田兵部少輔重勝の臣、庄林理助、故ありて氏鄕の臣、西村佐助を斬り、德川の臣、久世三四郞廣宣方に騙込む。氏鄕理助を渡すべしと庶々言遣りけれども、竟に渡さず、事旣に破れんとせしかども、扱ふ者ありて、事平ぎぬ。後理助、德川家に仕ふ。程歷て氏鄕、家康の招請に預りし時、理助、廣間に在りけるが、氏鄕通る時兩刀を執り、二三間後の方へ投げ出し、前へ還出で申しけるは、庄林理助に御座候、初て御目見仕候と申ければ、氏鄕立止り、愔々感入たろ人哉、眞以て存念なしとて家康に斷はられて、其座席へ呼出し、盃を賜はりける。人皆氏鄕の偉度に服せり。
新字:○政宗、氏郷の威に圧せらる丶を、深く憤り、氏郷を殺すべきことを工夫して、累代家に仕へし者の子に清十郎と曰ふ十六歳になりける者、容貌勝れて艶なりしに、密に巧むる事の由を語り聞かせ、田丸中務少輔直政が小姓に出して、奉公させけり。直政は、氏郷と姻家の親みあれば、来られし時を伺て、刺殺せとのことなり。清十郎が父の方へ遣はしける書を、関所にて改め見しより、事起りて、其謀泄れたりけり。之に依り清十郎を召捕へ、獄に入れ此事を秀吉に告ぐると雖も、秀吉遠く慮りて、強て政宗と和平させられけり。氏郷、清十郎を呼出し、吾過て罪なき義士を獄に入れ、辱を与へたり。其君の為めに命を捨て、忠を致す条、称するに余りあり、疾く〱伊達家に帰るべしと言て、礼義正くもてなして帰されけり。 ○古田兵部少輔重勝の臣、庄林理助、故ありて氏郷の臣、西村佐助を斬り、徳川の臣、久世三四郎広宣方に騙込む。氏郷理助を渡すべしと庶々言遣りけれども、竟に渡さず、事既に破れんとせしかども、扱ふ者ありて、事平ぎぬ。後理助、徳川家に仕ふ。程歴て氏郷、家康の招請に預りし時、理助、広間に在りけるが、氏郷通る時両刀を執り、二三間後の方へ投げ出し、前へ還出で申しけるは、庄林理助に御座候、初て御目見仕候と申ければ、氏郷立止り、愔々感入たろ人哉、真以て存念なしとて家康に断はられて、其座席へ呼出し、盃を賜はりける。人皆氏郷の偉度に服せり。
書き下し
○政宗、氏鄕の威に壓せらる丶を、深く憤り、氏鄕を殺すべきことを工夫して、累代家に仕へし者の子に清十郎と曰ふ十六歲になりける者、容貌勝れて艶なりしに、密に巧むる事の由を語り聞かせ、田丸中務少輔直政が小姓に出して、奉公させけり。直政は、氏鄕と姻家の親みあれば、來られし時を伺て、刺殺せとのことなり。清十郎が父の方へ遣はしける書を、關所にて改め見しより、事起りて、其謀泄れたりけり。之に依り清十郎を召捕へ、獄に入れ此事を秀吉に告ぐると雖も、秀吉遠く慮りて、强て政宗と和平させられけり。氏鄕、清十郎を呼出し、吾過て罪なき義士を獄に入れ、辱を與へたり。其君の爲めに命を捨て、忠を致す條、稱するに餘りあり、疾く〱伊達家に歸るべしと言て、禮義正くもてなして歸されけり。 ○古田兵部少輔重勝の臣、庄林理助、故ありて氏鄕の臣、西村佐助を斬り、德川の臣、久世三四郞廣宣方に騙込む。氏鄕理助を渡すべしと庶々言遣りけれども、竟に渡さず、事旣に破れんとせしかども、扱ふ者ありて、事平ぎぬ。後理助、德川家に仕ふ。程歷て氏鄕、家康の招請に預りし時、理助、廣間に在りけるが、氏鄕通る時兩刀を執り、二三間後の方へ投げ出し、前へ還出で申しけるは、庄林理助に御座候、初て御目見仕候と申ければ、氏鄕立止り、愔々感入たろ人哉、眞以て存念なしとて家康に斷はられて、其座席へ呼出し、盃を賜はりける。人皆氏鄕の偉度に服せり。
現代語訳
政宗は氏郷の威に圧されることを深く憤り、氏郷を殺す方法を工夫して、累代家に仕えた者の子で清十郎という十六歳になる者、容貌がすぐれ艶やかだったのを、ひそかに計略の趣を語り聞かせ、田丸中務少輔直政の小姓に出して奉公させた。直政は氏郷と姻戚で親しいので、氏郷が来たとき機会をうかがって刺し殺せ、ということだった。清十郎が父のもとへ送った書状を、関所で改め見たことから事が起こり、その謀りごとが漏れた。これにより清十郎を召し捕らえて牢に入れ、この事を秀吉に告げたが、秀吉は遠く思慮して、あえて政宗と和平させた。氏郷は清十郎を呼び出し、私は誤って罪のない義士を牢に入れ、恥を与えた。主君のために命を捨て、忠義を尽くしたことは、称えて余りある。すぐに伊達家に帰りなさい、と言って、礼儀正しくもてなして帰した。 古田兵部少輔重勝の臣、庄林理助が、故あって氏郷の臣、西村佐助を斬り、徳川の臣、久世三四郎広宣のもとに駆け込んだ。氏郷は理助を渡せとしきりに言い遣ったが、ついに渡さず、事はすでに破れようとしたが、取りなす者があって、事は収まった。のち理助は徳川家に仕えた。しばらくして氏郷が家康の招きに預かったとき、理助は広間にいたが、氏郷が通るとき、両刀を取って二、三間後ろへ投げ出し、前へ出て、庄林理助でございます、初めてお目にかかります、と申した。氏郷は立ち止まり、見事に感じ入った人だ、まことに恨みはない、と言って、家康に断って、その席へ呼び出し、杯を与えた。人は皆、氏郷の大きな度量に感服した。
解説

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