名将言行録 / 『名将言行録』蒲生氏郷 一揆鎮圧と信義
○木村伊勢守秀俊が領內、葛西大崎に、一揆蜂起す。氏鄕之を聞き、兵を率ゐ雪中に出陣し、佐沼に至り、風說を聞くに、伊達政宗の所爲と言ふ。氏鄕少しも臆せず、所々の一揆を討つ。時に政宗に屬せし永沼城主新國上總、氏鄕に對面し、今度國人蜂起の根元は政宗が所爲なり、雪中にて通路も不自由なり、殊に御不案內なれば旁々以て御勝利見えず候間、願くは是より御歸陣あれかしと言ふ。氏鄕聞て、貴殿の申さる丶こと的然なれども、曩に殿下是地まで至り給ひ、當國の仕置仰付らる丶時、秀俊と我等とを左右に並べ給ひ、忝くも兩人の肩を撫で秀俊は氏鄕を兄と思ひ、氏鄕は秀俊を弟と思ひ、當國の事互に談合すべしと、重き命を受けり、去れば今我假令途中に於て死すと雖も、秀俊を見捨てゝは信義に於て闕る所あり、信義を失ひては、何の面目ありて天下の人に逢はんやと言て、益々進み討て竟に之を平げり。 ○此役政宗賊と通じ、屢々氏鄕を擊んとす。氏鄕之を知り、守備を嚴にす。政宗發すること能はず。後漸く政宗の隱謀顯はれければ、政宗、家の大事と思ひ、種々二心なき由斷はりありければ、氏鄕返事に何樣の事も、我等には苦しからず、唯天下の爲めを專一に思召れよと言遣はせり。 ○氏鄕、九戶より歸陣の時衣川に至る。賦役の人夫川の鮭魚上るを見て、『昨日たち、今日きて見れば、衣川、裾の綻、さけ上るらん』と口占みけり。氏鄕聞て大に感じ、賦役を免じて、歸されけり。
新字:○木村伊勢守秀俊が領内、葛西大崎に、一揆蜂起す。氏郷之を聞き、兵を率ゐ雪中に出陣し、佐沼に至り、風説を聞くに、伊達政宗の所為と言ふ。氏郷少しも臆せず、所々の一揆を討つ。時に政宗に属せし永沼城主新国上総、氏郷に対面し、今度国人蜂起の根元は政宗が所為なり、雪中にて通路も不自由なり、殊に御不案内なれば旁々以て御勝利見えず候間、願くは是より御帰陣あれかしと言ふ。氏郷聞て、貴殿の申さる丶こと的然なれども、曩に殿下是地まで至り給ひ、当国の仕置仰付らる丶時、秀俊と我等とを左右に並べ給ひ、忝くも両人の肩を撫で秀俊は氏郷を兄と思ひ、氏郷は秀俊を弟と思ひ、当国の事互に談合すべしと、重き命を受けり、去れば今我仮令途中に於て死すと雖も、秀俊を見捨てゝは信義に於て闕る所あり、信義を失ひては、何の面目ありて天下の人に逢はんやと言て、益々進み討て竟に之を平げり。 ○此役政宗賊と通じ、屡々氏郷を撃んとす。氏郷之を知り、守備を厳にす。政宗発すること能はず。後漸く政宗の隠謀顕はれければ、政宗、家の大事と思ひ、種々二心なき由断はりありければ、氏郷返事に何様の事も、我等には苦しからず、唯天下の為めを専一に思召れよと言遣はせり。 ○氏郷、九戸より帰陣の時衣川に至る。賦役の人夫川の鮭魚上るを見て、『昨日たち、今日きて見れば、衣川、裾の綻、さけ上るらん』と口占みけり。氏郷聞て大に感じ、賦役を免じて、帰されけり。
書き下し
○木村伊勢守秀俊が領內、葛西大崎に、一揆蜂起す。氏鄕之を聞き、兵を率ゐ雪中に出陣し、佐沼に至り、風說を聞くに、伊達政宗の所爲と言ふ。氏鄕少しも臆せず、所々の一揆を討つ。時に政宗に屬せし永沼城主新國上總、氏鄕に對面し、今度國人蜂起の根元は政宗が所爲なり、雪中にて通路も不自由なり、殊に御不案內なれば旁々以て御勝利見えず候間、願くは是より御歸陣あれかしと言ふ。氏鄕聞て、貴殿の申さる丶こと的然なれども、曩に殿下是地まで至り給ひ、當國の仕置仰付らる丶時、秀俊と我等とを左右に並べ給ひ、忝くも兩人の肩を撫で秀俊は氏鄕を兄と思ひ、氏鄕は秀俊を弟と思ひ、當國の事互に談合すべしと、重き命を受けり、去れば今我假令途中に於て死すと雖も、秀俊を見捨てゝは信義に於て闕る所あり、信義を失ひては、何の面目ありて天下の人に逢はんやと言て、益々進み討て竟に之を平げり。 ○此役政宗賊と通じ、屢々氏鄕を擊んとす。氏鄕之を知り、守備を嚴にす。政宗發すること能はず。後漸く政宗の隱謀顯はれければ、政宗、家の大事と思ひ、種々二心なき由斷はりありければ、氏鄕返事に何樣の事も、我等には苦しからず、唯天下の爲めを專一に思召れよと言遣はせり。 ○氏鄕、九戶より歸陣の時衣川に至る。賦役の人夫川の鮭魚上るを見て、『昨日たち、今日きて見れば、衣川、裾の綻、さけ上るらん』と口占みけり。氏鄕聞て大に感じ、賦役を免じて、歸されけり。
現代語訳
木村伊勢守秀俊の領内、葛西・大崎で一揆が起こった。氏郷はこれを聞き、兵を率いて雪の中を出陣し、佐沼に至り、風説を聞くと、伊達政宗の仕業だと言う。氏郷は少しも臆せず、所々の一揆を討った。そのとき政宗に属する永沼城主、新国上総が氏郷に対面して言った。このたび国人が蜂起した根本は政宗の仕業です。雪の中で道も不自由で、ことに不案内でいらっしゃるので、どちらから見ても御勝利は見えません。どうかここから御帰陣なさい。氏郷は聞いて、貴殿の言われることは的確だが、先に殿下がこの地まで来られ、当国の仕置きを仰せつけられたとき、秀俊と我らを左右に並べ、もったいなくも両人の肩を撫で、秀俊は氏郷を兄と思い、氏郷は秀俊を弟と思い、当国のことは互いに相談せよ、という重い命を受けた。だから今、たとえ途中で死んでも、秀俊を見捨てては信義に欠けるところがある。信義を失っては、何の面目があって天下の人に会えよう、と言って、ますます進んで討ち、ついにこれを平らげた。 この戦で政宗は賊と通じ、たびたび氏郷を討とうとした。氏郷はこれを知って守備を厳しくした。政宗は動くことができなかった。のちにようやく政宗の隠れた謀りごとが顕れたので、政宗は家の大事と思い、いろいろ二心のない旨の弁明をした。氏郷は返事に、どのようなことも我らには差し支えない、ただ天下のためを第一にお考えなされ、と言い送った。 氏郷が九戸から帰陣のとき衣川に至った。賦役の人夫が川を鮭が上るのを見て、「昨日たち、今日きて見れば、衣川、裾の綻、さけ上るらん」と口ずさんだ。氏郷はこれを聞いて大いに感心し、賦役を免じて帰した。
解説

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