名将言行録 / 『名将言行録』蒲生氏郷 石高の配り方と袴
○氏郷會津百二十萬石賜はりし時、老臣共家中に、地行配當せんと言ければ、氏郷之を聞き、自身配當すべしとて、一萬石と思ふ者には、二萬石、三萬石と配り、其の次第に依て配當せし故、百二十萬石の地不足になりぬ。老臣共過分に地行を下し賜はらんこと有り難きことなれども、侍共へ配り足り申さず、況や御藏入は少しも之なく、箇樣にては御軍役成間敷と申ければ氏郷去らば、不足なるか、汝等配り直せと言はれける。家臣等之を聞き、一萬石の約束の者に二萬石三萬石と配當せられし主人の志を忝く存じ、御藏入だに不足せずば、必ず三萬石賜はるべしと思ひつる故、別て有り難がりしとぞ。 ○氏郷、會津へ行く時、秀吉袴を脱ぎ氏郷に著せられ、自ら氏郷の袴を著らる。偖氏郷奥州へ行くことを如何存居りしやと尋ねられければ近臣殊の外迷惑がり候と申す。秀吉聞て、如何にも左あるべし、こちらに置きては怖ろしき奴なり、故に奥州に遣はすとぞ言はれけり。
新字:○氏郷会津百二十万石賜はりし時、老臣共家中に、地行配当せんと言ければ、氏郷之を聞き、自身配当すべしとて、一万石と思ふ者には、二万石、三万石と配り、其の次第に依て配当せし故、百二十万石の地不足になりぬ。老臣共過分に地行を下し賜はらんこと有り難きことなれども、侍共へ配り足り申さず、況や御蔵入は少しも之なく、箇様にては御軍役成間敷と申ければ氏郷去らば、不足なるか、汝等配り直せと言はれける。家臣等之を聞き、一万石の約束の者に二万石三万石と配当せられし主人の志を忝く存じ、御蔵入だに不足せずば、必ず三万石賜はるべしと思ひつる故、別て有り難がりしとぞ。 ○氏郷、会津へ行く時、秀吉袴を脱ぎ氏郷に著せられ、自ら氏郷の袴を著らる。偖氏郷奥州へ行くことを如何存居りしやと尋ねられければ近臣殊の外迷惑がり候と申す。秀吉聞て、如何にも左あるべし、こちらに置きては怖ろしき奴なり、故に奥州に遣はすとぞ言はれけり。
書き下し
○氏郷會津百二十萬石賜はりし時、老臣共家中に、地行配當せんと言ければ、氏郷之を聞き、自身配當すべしとて、一萬石と思ふ者には、二萬石、三萬石と配り、其の次第に依て配當せし故、百二十萬石の地不足になりぬ。老臣共過分に地行を下し賜はらんこと有り難きことなれども、侍共へ配り足り申さず、況や御藏入は少しも之なく、箇樣にては御軍役成間敷と申ければ氏郷去らば、不足なるか、汝等配り直せと言はれける。家臣等之を聞き、一萬石の約束の者に二萬石三萬石と配當せられし主人の志を忝く存じ、御藏入だに不足せずば、必ず三萬石賜はるべしと思ひつる故、別て有り難がりしとぞ。 ○氏郷、會津へ行く時、秀吉袴を脱ぎ氏郷に著せられ、自ら氏郷の袴を著らる。偖氏郷奥州へ行くことを如何存居りしやと尋ねられければ近臣殊の外迷惑がり候と申す。秀吉聞て、如何にも左あるべし、こちらに置きては怖ろしき奴なり、故に奥州に遣はすとぞ言はれけり。
現代語訳
氏郷が会津百二十万石を賜ったとき、老臣たちが、家中に知行を配当しましょうと言ったところ、氏郷はこれを聞いて、自分が配当しよう、と言って、一万石と思う者には二万石、三万石と配り、その働きの順に応じて配当したので、百二十万石の地は足りなくなった。老臣たちは、過分に知行をお与えになるのはありがたいことですが、侍たちに配りきれず、まして御蔵入の地は少しもなく、これでは軍役が務まりますまい、と申し上げると、氏郷は、それなら不足なのか、お前たちで配り直せ、と言った。家臣たちはこれを聞いて、一万石の約束の者に二万石、三万石を配られた主人の志をありがたく思い、御蔵入さえ不足しなければ、必ず三万石は賜れると思っていたので、とくにありがたがった、という。 氏郷が会津へ行くとき、秀吉は自分の袴を脱いで氏郷に着せ、自ら氏郷の袴を着た。そして、氏郷が奥州へ行くことをどう思っているか、と尋ねたところ、近臣はことのほか迷惑がっております、と答えた。秀吉はこれを聞いて、いかにもそうであろう、こちらに置いては恐ろしい奴だ、だから奥州にやるのだ、と言った。
解説

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