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武士道 / 第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず

今や何等の勤勞に酬うるにも、一に金錢を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に會て行はれしこと無かりき。武士道は金を獲ず、又た價を受けずして、始めて他に盡すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤勞は、價無きに非らず、却つて價六の量るべからざるが故に、金錢を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算數的ならざる武士道の名譽の本能は、近世の經濟學に超越して、眞理の教訓を與へたるものなりと謂ひつべし。盖し賃錢俸給の如きは、勤勞任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ對して、之を拂ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤勞、即ち人の靈性の啓發(牧師の勤勞も亦た然り)に裨補する任務の如きに至りては、其量の固より瞭かならざるを以て、特り之を認むる能はざるのみならず、又た之を數ふるを得ず。

新字:今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に会て行はれしこと無かりき。武士道は金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価六の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。盖し賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発(牧師の勤労も亦た然り)に裨補する任務の如きに至りては、其量の固より瞭かならざるを以て、特り之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。

書き下し

今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。

現代語訳

今のように、どんな労働に報いるにも一律に金銭をもってするという風習は、武士道を守る者の間で行われたことがありませんでした。武士道は、金を得ず、また対価を受けずして初めて人に尽くすことができる務めがある、と信じました。すなわち僧侶であれ教師であれ、その精神上の労働は価値がないのではなく、かえって価値が測りきれないからこそ、金銭で報いることのできるものではない、としたのです。これによって見れば、算数的でない武士道の名誉の本能は、近代の経済学を越えて真理の教えを与えたものと言えるでしょう。思うに賃金や俸給というものは、労働の結果が明らかに見え、測ることのできるものに対して支払うのなら大きな差はないでしょう。しかし教育に捧げる最も美しい労働、すなわち人の霊性を啓発するのを助ける任務に至っては、その量がもともと明らかでないので、認めることができないだけでなく、数えることもできません。

解説

金を受けないことの意味が、ここで最も積極的に語られます。価値がないから払わないのではなく、測れないから払えない。教育や宗教の仕事は成果が見えず数えられないから、値をつけること自体が誤りだという主張です。すべてを金銭で計る近代経済学を越えた真理だ、と言い切る。成果を数値で測ることの限界を突いた議論として、今日の評価制度にも届きます。

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