名将言行録 / 『名将言行録』細川忠興 評・鬼の女房
あるとき、夫妻が一しよに食事してゐた。多分何か口爭ひでもして、二人とも、いら〳〵してゐたのであらう。突然、居室の屋根から人が庭上に落つこちた。多分、屋根の修繕か何かのために、登つてゐた人であらう。かう云ふときは、主人に斷るか或は、主人の不在に登るべきなのだ。忠興は、カツとすると、いきなり庭に降りて、この男を手殺した。だまつて、屋上は登つた無禮を咎めたわけなのである。そして、首を斬ると、それを持つて來て、妻の目の前の食膳に置いた。喧嘩をしてゐた妻への面當であらう。が、ガラシャは、面色自若としてゐた。忠興は、いよ〳〵怒つた。 (これを見て、色を易えないとはお前は鬼か) と云つた。すると、ガラシャは苦笑して、 (鬼神の女房には、丁度よろしうございませう) と云つたと云ふ。これで見ると、ガラシャの方が、その人間的强さに置いて、忠興以上である。
新字:あるとき、夫妻が一しよに食事してゐた。多分何か口争ひでもして、二人とも、いら〳〵してゐたのであらう。突然、居室の屋根から人が庭上に落つこちた。多分、屋根の修繕か何かのために、登つてゐた人であらう。かう云ふときは、主人に断るか或は、主人の不在に登るべきなのだ。忠興は、カツとすると、いきなり庭に降りて、この男を手殺した。だまつて、屋上は登つた無礼を咎めたわけなのである。そして、首を斬ると、それを持つて来て、妻の目の前の食膳に置いた。喧嘩をしてゐた妻への面当であらう。が、ガラシャは、面色自若としてゐた。忠興は、いよ〳〵怒つた。 (これを見て、色を易えないとはお前は鬼か) と云つた。すると、ガラシャは苦笑して、 (鬼神の女房には、丁度よろしうございませう) と云つたと云ふ。これで見ると、ガラシャの方が、その人間的強さに置いて、忠興以上である。
書き下し
あるとき、夫妻が一しよに食事してゐた。多分何か口爭ひでもして、二人とも、いら〳〵してゐたのであらう。突然、居室の屋根から人が庭上に落つこちた。多分、屋根の修繕か何かのために、登つてゐた人であらう。かう云ふときは、主人に斷るか或は、主人の不在に登るべきなのだ。忠興は、カツとすると、いきなり庭に降りて、この男を手殺した。だまつて、屋上は登つた無禮を咎めたわけなのである。そして、首を斬ると、それを持つて來て、妻の目の前の食膳に置いた。喧嘩をしてゐた妻への面當であらう。が、ガラシャは、面色自若としてゐた。忠興は、いよ〳〵怒つた。 (これを見て、色を易えないとはお前は鬼か) と云つた。すると、ガラシャは苦笑して、 (鬼神の女房には、丁度よろしうございませう) と云つたと云ふ。これで見ると、ガラシャの方が、その人間的强さに置いて、忠興以上である。
現代語訳
あるとき、夫妻がいっしょに食事をしていた。たぶん何か口争いでもして、二人とも、いらいらしていたのであろう。突然、居室の屋根から人が庭上に落っこちた。たぶん、屋根の修繕か何かのために、登っていた人であろう。こういうときは、主人に断るか、あるいは、主人の不在に登るべきなのだ。忠興は、カッとすると、いきなり庭に降りて、この男を手討ちにした。黙って、屋上に登った無礼を咎めたわけなのである。そして、首を斬ると、それを持ってきて、妻の目の前の食膳に置いた。喧嘩をしていた妻への面当てであろう。が、ガラシャは、面色自若としていた。忠興は、いよいよ怒った。 (これを見て、色を易えないとはお前は鬼か) と言った。すると、ガラシャは苦笑して、 (鬼神の女房には、ちょうどよろしゅうございましょう) と言ったという。これで見ると、ガラシャの方が、その人間的強さにおいて、忠興以上である。
解説

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