名将言行録 / 『名将言行録』細川忠興 蛸壺と将棋の駒の人材論
又或時老中列座の時、人は如何樣なるを能き人とは言ふべきと尋られければ、明石の浦の蛸壺の樣なるを、能き人とは申候はんと申す。如何にも尤ものことと言はれけり。其後老中に、此程越中が挨拶は如何心得たるぞ、面々が顏色は其意を得ざる樣に見えたり、と尋ありければ、何れも上意の通り御前には早速尤もと仰せられ候へ共、拙者共如何のことゝ存じ候と申ければ、秀忠明石の浦は、天下第一の荒海と言へり、其浦の蛸殻は、波にもまれすべよくと言へり、其如く人も苦勞致し、人にもまれたる者こそ、能き人柄にはなるべけれと言はれけるとぞ。 ○忠興、子息に謂て曰く、家中の者共は、將棊の駒と思ふべし、駒はそれ〳〵の働あり、桂馬の頭に歩を付くるに取ることも遁るゝこともならぬ駒なれども、一枚隔て筋違飛の働は、飛車も角も及ばぬきあり、人も右の如く、一役不調法にても、外ことに又勤むることあり、周公旦子の伯禽に一人に備はらんことを求むること勿れと言はれしと同じ、何にもかも、只一人に埼明く樣なる者は、百人の内にもなきものよ、下に全人なしと昔より申すことなり、主君たるべき人は誰も此心得あるべきことなりと。 ○忠興、永井日向守と友とし善し。一日日向守曰く、御家來の作法、何つも、殊の外能く調法に之あり、何にとして箇樣に能く候やと尋ねありければ、忠興聞て家來共に二度までは教へ申候、三度目には、切り申候故か、行儀能く候と挨拶せりとぞ。
新字:又或時老中列座の時、人は如何様なるを能き人とは言ふべきと尋られければ、明石の浦の蛸壺の様なるを、能き人とは申候はんと申す。如何にも尤ものことと言はれけり。其後老中に、此程越中が挨拶は如何心得たるぞ、面々が顔色は其意を得ざる様に見えたり、と尋ありければ、何れも上意の通り御前には早速尤もと仰せられ候へ共、拙者共如何のことゝ存じ候と申ければ、秀忠明石の浦は、天下第一の荒海と言へり、其浦の蛸殻は、波にもまれすべよくと言へり、其如く人も苦労致し、人にもまれたる者こそ、能き人柄にはなるべけれと言はれけるとぞ。 ○忠興、子息に謂て曰く、家中の者共は、将棋の駒と思ふべし、駒はそれ〳〵の働あり、桂馬の頭に歩を付くるに取ることも遁るゝこともならぬ駒なれども、一枚隔て筋違飛の働は、飛車も角も及ばぬきあり、人も右の如く、一役不調法にても、外ことに又勤むることあり、周公旦子の伯禽に一人に備はらんことを求むること勿れと言はれしと同じ、何にもかも、只一人に埼明く様なる者は、百人の内にもなきものよ、下に全人なしと昔より申すことなり、主君たるべき人は誰も此心得あるべきことなりと。 ○忠興、永井日向守と友とし善し。一日日向守曰く、御家来の作法、何つも、殊の外能く調法に之あり、何にとして箇様に能く候やと尋ねありければ、忠興聞て家来共に二度までは教へ申候、三度目には、切り申候故か、行儀能く候と挨拶せりとぞ。
書き下し
又或時老中列座の時、人は如何樣なるを能き人とは言ふべきと尋られければ、明石の浦の蛸壺の樣なるを、能き人とは申候はんと申す。如何にも尤ものことと言はれけり。其後老中に、此程越中が挨拶は如何心得たるぞ、面々が顏色は其意を得ざる樣に見えたり、と尋ありければ、何れも上意の通り御前には早速尤もと仰せられ候へ共、拙者共如何のことゝ存じ候と申ければ、秀忠明石の浦は、天下第一の荒海と言へり、其浦の蛸殻は、波にもまれすべよくと言へり、其如く人も苦勞致し、人にもまれたる者こそ、能き人柄にはなるべけれと言はれけるとぞ。 ○忠興、子息に謂て曰く、家中の者共は、將棊の駒と思ふべし、駒はそれ〳〵の働あり、桂馬の頭に歩を付くるに取ることも遁るゝこともならぬ駒なれども、一枚隔て筋違飛の働は、飛車も角も及ばぬきあり、人も右の如く、一役不調法にても、外ことに又勤むることあり、周公旦子の伯禽に一人に備はらんことを求むること勿れと言はれしと同じ、何にもかも、只一人に埼明く樣なる者は、百人の内にもなきものよ、下に全人なしと昔より申すことなり、主君たるべき人は誰も此心得あるべきことなりと。 ○忠興、永井日向守と友とし善し。一日日向守曰く、御家來の作法、何つも、殊の外能く調法に之あり、何にとして箇樣に能く候やと尋ねありければ、忠興聞て家來共に二度までは教へ申候、三度目には、切り申候故か、行儀能く候と挨拶せりとぞ。
現代語訳
また、あるとき老中が居並んでいたとき、「人はどのような者をよい人と言うべきか」と尋ねられたところ、忠興は、「明石の浦の蛸壺のような者を、よい人と申しましょう」と答えました。「いかにももっともだ」と言われました。その後、老中に、「このあいだ越中(忠興)の挨拶はどう心得たか。そなたたちの顔色は、その意味を得ていないように見えたが」と尋ねられたので、老中たちは、「上意のとおり、御前では早速、ごもっともと申しましたが、私たちはどうかと存じております」と申しました。秀忠は、「明石の浦は天下第一の荒海と言う。その浦の蛸壺は、波にもまれて滑らかによくなると言う。そのように人も、苦労し、人にもまれた者こそ、よい人柄になるのだ」と言われたということです。 ○忠興は、子息に言いました。「家中の者どもは、将棋の駒と思いなさい。駒はそれぞれ働きがある。桂馬の頭に歩を付けると、取ることも逃れることもできない駒だが、一枚隔てて筋違いに飛ぶ働きは、飛車も角も及ばないところがある。人も右のように、一つの役目では不調法でも、他のことでまた勤めることがある。周公旦が子の伯禽に『一人に備わることを求めるな』と言われたのと同じだ。何もかも、ただ一人でそつなくこなせるような者は、百人のうちにもいない。下に全人なしと昔から言う。主君たるべき人は、誰もこの心得があるべきである」と。 ○忠興は永井日向守と友として親しくしていました。ある日、日向守が、「ご家来衆の作法が、いつも、ことのほか行き届いていますが、どのようにしてこのようによくなるのですか」と尋ねられたところ、忠興は聞いて、「家来どもには二度までは教え申します。三度目には、切り申します。そのためか行儀がよいのでしょう」と挨拶したということです。
解説

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