名将言行録 / 『名将言行録』細川忠興 折れやすい前立物
○忠興、江戸上下には、京都、吉田に屋敷ありて、定まりて數日逗留せり。其砌に烏丸大納言光廣卿へ饗應に參りし時に、近國の大名より使者あつて、烏丸家へ、忠興の跡を追來る。是は胄を忠興注文にて仕立度とのことなり。忠興注文を書き與へける。立物は水牛の角下地の木は桐と書付る、使者見て某主人は念入りたる仁にて候、立物の下地桐の木と御座候、物に當りて折れ候所を承はり届け度く申す。忠興、氣色變はりて大立物は折れ易きが善し、働く時物に掛り外れ兼ねし時は折れたるが善しとの挨拶なり、使者又折れ候て、後日は如何と存ずと言ふ。忠興笑て、武士の職場に出るは、生きて歸らんと思はざるが法なり、立物折れて後日如何との思案あらば、二つなき命の思案如何と存ぜられ候、働て立物折れたるは、猶更見事なるべし、假令、折れたりとも、後に何にても立つべし、命が折れたらば何とせられん、二つなき命を捨て働く程は、立物の氣遣ひは無用なり、只輕きを本にして善からんと言ければ、其席に在りし人々、何れも感じあへり。 ○秀忠、一日忠興を召し、天下の政は如何して能く候はんと尋ねられる。忠興、天下の御政は角なる物に、丸き蓋をしたる樣に遊ばされ能く候はんと申す。尤ものことゝ言はれけるとぞ。
新字:○忠興、江戸上下には、京都、吉田に屋敷ありて、定まりて数日逗留せり。其砌に烏丸大納言光広卿へ饗応に参りし時に、近国の大名より使者あつて、烏丸家へ、忠興の跡を追来る。是は胄を忠興注文にて仕立度とのことなり。忠興注文を書き与へける。立物は水牛の角下地の木は桐と書付る、使者見て某主人は念入りたる仁にて候、立物の下地桐の木と御座候、物に当りて折れ候所を承はり届け度く申す。忠興、気色変はりて大立物は折れ易きが善し、働く時物に掛り外れ兼ねし時は折れたるが善しとの挨拶なり、使者又折れ候て、後日は如何と存ずと言ふ。忠興笑て、武士の職場に出るは、生きて帰らんと思はざるが法なり、立物折れて後日如何との思案あらば、二つなき命の思案如何と存ぜられ候、働て立物折れたるは、猶更見事なるべし、仮令、折れたりとも、後に何にても立つべし、命が折れたらば何とせられん、二つなき命を捨て働く程は、立物の気遣ひは無用なり、只軽きを本にして善からんと言ければ、其席に在りし人々、何れも感じあへり。 ○秀忠、一日忠興を召し、天下の政は如何して能く候はんと尋ねられる。忠興、天下の御政は角なる物に、丸き蓋をしたる様に遊ばされ能く候はんと申す。尤ものことゝ言はれけるとぞ。
書き下し
○忠興、江戸上下には、京都、吉田に屋敷ありて、定まりて數日逗留せり。其砌に烏丸大納言光廣卿へ饗應に參りし時に、近國の大名より使者あつて、烏丸家へ、忠興の跡を追來る。是は胄を忠興注文にて仕立度とのことなり。忠興注文を書き與へける。立物は水牛の角下地の木は桐と書付る、使者見て某主人は念入りたる仁にて候、立物の下地桐の木と御座候、物に當りて折れ候所を承はり届け度く申す。忠興、氣色變はりて大立物は折れ易きが善し、働く時物に掛り外れ兼ねし時は折れたるが善しとの挨拶なり、使者又折れ候て、後日は如何と存ずと言ふ。忠興笑て、武士の職場に出るは、生きて歸らんと思はざるが法なり、立物折れて後日如何との思案あらば、二つなき命の思案如何と存ぜられ候、働て立物折れたるは、猶更見事なるべし、假令、折れたりとも、後に何にても立つべし、命が折れたらば何とせられん、二つなき命を捨て働く程は、立物の氣遣ひは無用なり、只輕きを本にして善からんと言ければ、其席に在りし人々、何れも感じあへり。 ○秀忠、一日忠興を召し、天下の政は如何して能く候はんと尋ねられる。忠興、天下の御政は角なる物に、丸き蓋をしたる樣に遊ばされ能く候はんと申す。尤ものことゝ言はれけるとぞ。
現代語訳
○忠興が江戸に上り下りするときは、京都の吉田に屋敷があって、決まって数日逗留しました。その折、烏丸大納言光広卿のところへ饗応に参ったときに、近国の大名から使者があって、烏丸家へ、忠興の跡を追ってきました。これは、兜を忠興の注文で仕立てたいとのことです。忠興は注文を書き与えました。前立物は水牛の角で、下地の木は桐、と書きつけました。使者は見て、「私の主人は念入りな方で、前立物の下地が桐の木とございます。物に当たって折れた場合の様子を承りたく存じます」と申しました。忠興は顔色を変え、「大きな前立物は折れやすいのがよい。働くとき物に引っかかって外れなくなったときは、折れたほうがよいという意味だ」と答えました。使者がまた、「折れたあと、後日はどうなりましょうか」と言うと、忠興は笑って、「武士が戦場に出るときは、生きて帰ろうと思わないのが法だ。前立物が折れて、後日どうなるかと思案するなら、二つとない命のことは、どう考えるのか。働いて前立物が折れたなら、なおさら見事だ。たとえ折れたとしても、あとで何でも立てればよい。命が折れたらどうするのか。二つとない命を捨てて働くほどだから、前立物の気づかいは無用だ。ただ軽いことを基本にしてよい」と言ったので、その席にいた人々は、みな感心しました。 ○秀忠があるとき、忠興を召して、「天下の政治はどのようにしたら、うまくいくだろうか」と尋ねられました。忠興は、「天下の政は、四角い物に丸い蓋をしたようになさるのがよろしいでしょう」と申しました。秀忠は「もっともだ」と言われたということです。
解説

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