二宮翁夜話 / 巻之五
翁山林に入りて材木を検す、挽き割りたる材木の真の曲りたるを指して、諭して曰、此の木の真は、則ち所謂天性なり、天性此の如く曲れりといへ共、曲りたる内の方へは肉多く付き、外へは肉少く付きて、長育するに随ひて大凡直木となれり、是れ空気に押さるるが故なり、人間世法に押されて、生れ付を顕さぬに同じ、故に材木を取るには、木の真を出さぬ様に墨を掛くるなり、真を出す時は、必ず反り曲る物なり、故に上手の木挽の、材木を取るが如く、能く人の性を顕さぬ様にせば、世の中の人、皆用立つべし、真を顕さぬ様にするとは、佞人も佞を顕さず、奸人も奸を顕さぬ様に、真を包みて、其の直なるをば柱とし、曲れるをば梁とし、太きは土台とし、細きは桁とし、美なるをば造作の料に用ひて残す事なし、人を用ふる、又此の如くせば棟梁の器と云ふべし、又山林を仕立つるには、苗を多く植ゑ付くべし、苗木茂れば、供育ちにて生育早し、育つに随ひ木の善悪を見て抜伐りすれば、山中皆良材となる物なり、此の抜伐りに心得あり、衆木に抜んでて長育せしと、衆木に後れて育たぬとを伐り取るなり、世の人育たぬ木を伐る事を知りて、衆木に勝れて育つ木を伐る事を知らず、縦令知るといへ共、伐る事能はざる物なり、且つ此の抜伐り手後れにならざる様、早く伐り取るを肝要とす、後るれば大に害あり、一反歩に四百本あらば、三百本に抜き、又二百本に抜き、大木に至らば又抜き去るべし。
書き下し
翁山林に入りて材木を検(けん)す、挽(ひ)き割りたる材木の真(しん)の曲(まが)りたるを指(さ)して、諭(さと)して曰く、此の木の真は、則ち所謂(いわゆる)天性なり、天性此の如く曲れりといへ共、曲りたる内の方へは肉多く付き、外へは肉少く付きて、長育するに随ひて大凡(おおよそ)直木(ちょくぼく)となれり、是れ空気に押さるるが故なり、人間世法に押されて、生れ付を顕(あらわ)さぬに同じ、故に材木を取るには、木の真を出さぬ様に墨を掛(か)くるなり、真を出す時は、必ず反(そ)り曲る物なり、故に上手の木挽(こびき)の、材木を取るが如く、能く人の性を顕さぬ様にせば、世の中の人、皆用立つべし、真を顕さぬ様にするとは、佞人(ねいじん)も佞を顕さず、奸人(かんじん)も奸を顕さぬ様に、真を包(つつ)みて、其の直(すぐ)なるをば柱とし、曲れるをば梁(はり)とし、太きは土台とし、細きは桁(けた)とし、美なるをば造作の料(りょう)に用ひて残す事なし、人を用ふる、又此の如くせば棟梁(とうりょう)の器(うつわ)と云ふべし、又山林を仕立つるには、苗を多く植ゑ付くべし、苗木茂れば、供育(ともそだ)ちにて生育早し、育つに随ひ木の善悪を見て抜伐(ぬきぎ)りすれば、山中皆良材となる物なり、此の抜伐りに心得あり、衆木に抜(ぬき)んでて長育せしと、衆木に後(おく)れて育たぬとを伐り取るなり、世の人育たぬ木を伐る事を知りて、衆木に勝(すぐ)れて育つ木を伐る事を知らず、縦令知るといへ共、伐る事能はざる物なり、且つ此の抜伐り手後れにならざる様、早く伐り取るを肝要とす、後るれば大に害あり、一反歩(いったんぶ)に四百本あらば、三百本に抜き、又二百本に抜き、大木に至らば又抜き去るべし。
現代語訳
翁が山林に入って材木を調べた。挽き割った材木の芯が曲がっているのを指さして、諭して言われた。この木の芯は、いわゆる天性である。天性はこのように曲がっていても、曲がった内側には肉が多く付き、外側には肉が少なく付いて、成長するにつれておおよそ真っすぐな木になる。これは空気に押されるからだ。人が世間の作法に押されて、生まれつきを表に出さないのと同じである。だから材木を取るには、木の芯を出さないように墨を掛ける。芯を出せば必ず反り曲がるものだ。だから上手な木挽きが材木を取るように、うまく人の本性を表に出さないようにすれば、世の中の人は皆役に立つ。本性を表に出さないようにするとは、口先だけの者にも媚びを出させず、悪賢い者にも悪を出させないように、芯を包んで、真っすぐなものは柱とし、曲がったものは梁とし、太いものは土台とし、細いものは桁とし、美しいものは造作の材料に用いて、捨てるものがない。人を用いるのも、このようにすれば棟梁の器というべきだ。また山林を仕立てるには、苗を多く植え付けるべきだ。苗木が茂れば、共に育って成長が早い。育つにつれて木の良し悪しを見て間引けば、山中みな良材になる。この間引きには心得がある。多くの木より抜きん出て成長したものと、多くの木に遅れて育たないものとを伐り取るのだ。世の人は育たない木を伐ることは知っていても、多くの木より勝れて育つ木を伐ることは知らない。たとえ知っていても、伐ることができないものだ。しかもこの間引きは手遅れにならないように、早く伐り取ることが肝要だ。遅れれば大いに害がある。一反歩に四百本あれば、三百本に間引き、また二百本に間引き、大木になればまた間引き去るべきである。
解説
この章句が説くこと
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