及門遺範 / 才に応じて人を導く
一先生幼以神童稱、立原先生、最愛其才、自少年所交、一時豪傑、如高山仲繩、蒲生君臧、慷慨憂天下、每以肝膽相許、如木村子虛、忠憤報國、僧實源高邁好義、皆情好親善、其經生學士文人墨客、如杉山高橋靑山以下諸子、則固亡論、而如增子之寬厚池原之俊爽川瀨之勇決、雖非讀書之士、而亦當世人傑、相信最深、川瀨恒稱先生、有無學門人如予者、亦爲一奇、此雖戲言、亦可觀其取友、用舍好惡無所偏倚、其他俊【彦/彥】以及武人俗吏農夫賈豎、苟有志氣、有材藝者、慫慂勸勵、雖寸長片善、採之勛之、各隨其才所長而導之、開懷說話、傾倒底蘊、其人莫不恍然心醉、其敎育子弟、隨其材所長性所好、指示開導、每謂、世儒敎人、多把持一箇格法、欲使其面目氣臭盡作一樣態度、不許毫出其區畫範圍、如冶金出模、整整然一樣形狀、非聖人成德達材之道、皆坐於偏信後儒之說、而不知至侮聖人之言也、
新字:一先生幼以神童称、立原先生、最愛其才、自少年所交、一時豪傑、如高山仲縄、蒲生君臧、慷慨憂天下、毎以肝胆相許、如木村子虚、忠憤報国、僧実源高邁好義、皆情好親善、其経生学士文人墨客、如杉山高橋青山以下諸子、則固亡論、而如增子之寛厚池原之俊爽川瀨之勇決、雖非読書之士、而亦当世人傑、相信最深、川瀨恒称先生、有無学門人如予者、亦為一奇、此雖戯言、亦可観其取友、用舎好悪無所偏倚、其他俊【彦/彦】以及武人俗吏農夫賈豎、苟有志気、有材芸者、慫慂勧励、雖寸長片善、採之勛之、各随其才所長而導之、開懐説話、傾倒底蘊、其人莫不恍然心酔、其教育子弟、随其材所長性所好、指示開導、毎謂、世儒教人、多把持一箇格法、欲使其面目気臭尽作一様態度、不許毫出其区画範囲、如冶金出模、整整然一様形状、非聖人成徳達材之道、皆坐於偏信後儒之説、而不知至侮聖人之言也、
書き下し
一、先生幼にして神童を以て称せられ、立原先生、最も其の才を愛す。少年より交はる所、一時の豪傑は、高山仲縄・蒲生君臧の如き、慷慨して天下を憂へ、毎に肝胆を以て相許す。木村子虚の如きは忠憤国に報い、僧実源は高邁にして義を好み、皆情好親善なり。其の経生学士文人墨客、杉山・高橋・青山以下の諸子の如きは、則ち固より論ずる亡し。而して増子の寛厚、池原の俊爽、川瀬の勇決の如きは、読書の士に非ずと雖も、亦た当世の人傑にして、相信ずること最も深し。川瀬は恒に先生を称して、無学の門人予の如き者有るも、亦た一奇と為す、と。此れ戯言なりと雖も、亦た其の友を取るに、用舎好悪偏倚する所無きを観るべし。其の他の俊彦、以て武人・俗吏・農夫・賈豎に及ぶまで、苟くも志気有り、材芸有る者は、慫慂勧励し、寸長片善と雖も、之を採りて之を勲し、各々其の才の長ずる所に随ひて之を導き、懐を開き説話し、底蘊を傾倒すれば、其の人恍然として心酔せざる莫し。其の子弟を教育するは、其の材の長ずる所、性の好む所に随ひて、指示開導す。毎に謂ふ、世儒の人に教ふるは、多く一箇の格法を把持し、其の面目気臭をして尽く一様の態度と作らしめんと欲し、毫も其の区画範囲を出づるを許さず。金を冶して型より出だすが如く、整整然として一様の形状ならしむ。聖人の徳を成し材を達するの道に非ず。皆後儒の説を偏信し、聖人の言を侮るに至るを知らざるに坐するなり、と。
現代語訳
一 先生は幼いころ神童と称され、立原先生がとりわけその才能を愛しました。少年のころから交わった当時の豪傑には、高山仲縄や蒲生君臧のように、意気盛んに天下を憂え、いつも胸襟を開いて信頼し合った人々がいました。木村子虚は忠義の憤りをもって国に報い、僧の実源は志が高く義を好み、みな親しく睦まじい間柄でした。学者や文人墨客の杉山・高橋・青山をはじめとする人々については、言うまでもありません。そして増子の寛大で温厚なところ、池原のすぐれてさっぱりしたところ、川瀬の勇敢で決断力のあるところは、書を読む士ではないけれども、当世の人傑であり、先生は最も深く信頼しました。川瀬はいつも「先生には、私のような無学の門人がいるのも、一つの不思議だ」と言いました。これは冗談ですが、先生が友を選ぶのに、取り上げることも捨てることも、好き嫌いにも偏りがなかったことが分かります。そのほか、優れた人々から、武人・俗吏・農夫・商人の子に至るまで、少しでも志気があり才能や技芸のある者には、励まし勧め、わずかな長所や小さな善でも取り上げて褒め、それぞれの才能の長じている方向に導き、胸襟を開いて語り、奥底まで尽くして話すと、その人は心から感服しない者がいませんでした。子弟の教育でも、その才能の優れたところ、性分の好むところに従って、指し示し導きました。いつもこう言っていました。世間の儒者が人を教えるのは、たいていひとつの型を固く守り、その人の顔つきや気風までみな同じ態度にしようとして、少しもその枠を出ることを許さない。金属を溶かして型から出すように、整然と同じ形にそろえてしまう。これは聖人が徳を成し才能を伸ばした道ではない。みな後世の儒者の説をかたよって信じ、聖人の言葉を侮るところまで行き着いていることに気づかないからである、と。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五翁山林に入りて材木を検(けん)す、挽(ひ)き割りたる材木の真(しん)の曲(まが)りたるを指(さ)して、諭(さと)して曰く、此の木の真は、則ち所謂(いわゆる)天性なり、天性此の如く曲れりといへ共、曲りたる内の方へは肉多く付き、外へは肉少く付きて、長育するに随ひて大凡(おおよそ)直木(ちょくぼく)となれり、是れ空気に押さるるが故なり、人間世法に押されて、生れ付を顕(あらわ)さぬに同じ、故に材木を取るには、木の真を出さぬ様に墨を掛(か)くるなり、真を出す時は、必ず反(そ)り曲る物なり、故に上手の木挽(こびき)の、材木を取るが如く、能く人の性を顕さぬ様にせば、世の中の人、皆用立つべし、真を顕さぬ様にするとは、佞人(ねいじん)も佞を顕さず、奸人(かんじん)も奸を顕さぬ様に、真を包(つつ)みて、其の直(すぐ)なるをば柱とし、曲れるをば梁(はり)とし、太きは土台とし、細きは桁(けた)とし、美なるをば造作の料(りょう)に用ひて残す事なし、人を用ふる、又此の如くせば棟梁(とうりょう)の器(うつわ)と云ふべし、又山林を仕立つるには、苗を多く植ゑ付くべし、苗木茂れば、供育(ともそだ)ちにて生育早し、育つに随ひ木の善悪を見て抜伐(ぬきぎ)りすれば、山中皆良材となる物なり、此の抜伐りに心得あり、衆木に抜(ぬき)んでて長育せしと、衆木に後(おく)れて育たぬとを伐り取るなり、世の人育たぬ木を伐る事を知りて、衆木に勝(すぐ)れて育つ木を伐る事を知らず、縦令知るといへ共、伐る事能はざる物なり、且つ此の抜伐り手後れにならざる様、早く伐り取るを肝要とす、後るれば大に害あり、一反歩(いったんぶ)に四百本あらば、三百本に抜き、又二百本に抜き、大木に至らば又抜き去るべし。
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『鬼谷子』本経陰符七術志を養えば則ち心通ず。人を知れば則ち分職明らかなり。將に之を人に用いんと欲せば、必ず先ず其の氣志を養うを知り、人の氣の盛衰を知りて、其の氣志を養い、其の安んずる所を察して、以て其の能くする所を知る。志養われざれば、則ち心氣固からず。心氣固からざれば、則ち思慮逹せず。思慮逹せざれば、則ち志意實ならず。志意實ならざれば、則ち應對猛からず。應對猛からざれば、則ち志を失いて心氣虛し。志失われて心氣虛しければ、則ち其の神を䘮う。
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史記 殷本紀伊尹之を嘉し、迺ち太甲訓三篇を作り、帝太甲を襃めて、太宗と称す。太宗崩じ、子沃丁立つ。帝沃丁の時、伊尹卒す。既に伊尹を亳に葬り、咎単遂に伊尹の事を訓へ、沃丁を作る。沃丁崩じ、弟太庚立つ。是を帝太庚と為す。帝太庚崩じ、子帝小甲立つ。帝小甲崩じ、弟雍己立つ。是を帝雍己と為す。殷の道衰へ、諸侯或いは至らず。帝雍己崩じ、弟太戊立つ。是を帝太戊と為す。
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『春秋左氏伝』襄公三十年 王子必ず免れず裨灶之を指して曰く、「猶ほ以て歲を終ふべし。歲此の次に及ばざるのみ」と。其の亡ぶるに及びてや、歲は娵訾の口に在り。其の明年、乃ち降婁に及ぶ。僕展伯有に從ひ、之と皆死す。羽頡出でて晉に奔り、任の大夫と為る。雞澤の會に、鄭の樂成楚に奔り、遂に晉に適く。羽頡之に因り、之と比して趙文子に事へ、鄭を伐つの說を言ふ。宋の盟の故を以て、可かず。子皮公孫鉏を以て馬師と為す。楚の公子圍大司馬蒍掩を殺して其の室を取る。申無宇曰く、「王子必ず免れざらん。善人は國の主なり。王子楚國に相として、將に善を是れ封(つちか)ふべし。殖して之を虐ぐるは、是れ國に禍するなり。且つ司馬は令尹の偏にして、王の四體なり。民の主を絕ち、身の偏を去り、王の體を艾りて、以て其の國に禍す。不祥焉より大なるは無し。何を以てか免るるを得ん」と。宋の災の為の故に、諸侯の大夫會し、以て宋の財を歸さんことを謀る。
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孟子・告子章句下魯、慎子をして將軍為らしめんと欲す。孟子曰く、「民を教えずして之を用うるは、之を民を殃すと謂う。民を殃する者は、堯舜の世に容れられず。一たび戰いて齊に勝ち、遂に南陽を有つとも、然も且つ不可なり。」慎子勃然として悅ばずして曰く、「此は則ち滑釐の識らざる所なり。」曰く、「吾、に明らかに子に告げん。天子の地は方千里。千里ならざれば、以て諸侯を待つに足らず。諸侯の地は方百里。百里ならざれば、以て宗廟の典籍を守るに足らず。周公の魯に封ぜらるるや、方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。太公の齊に封ぜらるるや、亦た方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。今魯は方百里なる者五あり。子以為らく、王者作ること有らば、則ち魯は損する所在るか、益する所在るかと。徒に諸を彼に取りて以て此に與うるすら、然も且つ仁者は為さず。況んや人を殺して以て之を求むるに於てをや。君子の君に事うるや、務めて其の君を引きて、以て道に當り仁に志さしむるのみ。」
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事御先々前御代に奥の御物書部屋には右京太夫伊賀守か下に御小姓御小納戸の内より勤むる者ありて付居、下に坊主なとのたくひ留役と成りて勤めたり、其の御物書部屋を勤めたるともから何れも事になれて、今に重役に召しつかはるゝともから多し、然れは御旗本を召しつかはるゝ筋に兎角宜しかるへきことなり、唯今は何役も大形最初の出はゝ御目付になり、大抵夫より役抜けの筋極まりたるやうなる故、唯々例格式を覚え利口に走りまはるはかりを仕習はして才智の生すへきやうなし、其の上御目付は元来非法を咎むること当役なり、唯々殿中走りまはり御作法になるゝはかりのことなり、大方は御目付より外の役にもなること成る故非法を咎むる仕くせ遺りて、何れの役も当時は役抦と云ふもの一種ありて、物を咎むることを第一とす、是甚た宜しからさることなり、惣して一切の役儀に各〻その役〻に頭助允目ありて人を各別につかひ、其の才智の筋を見て誰々に役抜仰せ付けられは御人に事欠れ間敷なり、

人生を、一行の式にしてみた。
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