名将言行録 / 『名将言行録』細川忠興 茶と孫への礼
○將軍家光の頃、撐約を千利休より受けたる者は、忠興計りなり、之に依て諸大名の茶を好む者は、多く忠興に就て學べり。忠興曰く、公等武功を以て封を受けらる、先業を遺てず、餘暇を以て茶を烹、閑を消せらるゝことは可なり。本を遺し、末を務むることは然るべからずと。 ○忠興、其子越中守忠利に逢ふ時は、自若たり。孫の六丸に逢ふ時は、頭巾を去れり。或人其故を問ふ。忠興曰く、忠利は子なり、至つて近し、必ず敬せずともありなん、六丸は孫なり。漸々遠し、敬せずんばあるべからずと。 ○忠興、儒學を藤原肅に受け、和歌をも善くし、散樂歌謳の類に至るまで、其奥儀を窮めざることなし。又刀劍茶具を鑑識すること、其妙に達せり。之を業とする者、皆法を取るに至れり。騎射犬追物の禮、鎌倉將軍の時盛りに行はれしが、其後爭亂久うして講習する者なく、竟に其禮を失へり。忠興、家に其籍を存せり。忠興死後、百四十年計り、齋藤權之介高壽再び二禮を興せりとぞ。 ○
新字:○将軍家光の頃、撐約を千利休より受けたる者は、忠興計りなり、之に依て諸大名の茶を好む者は、多く忠興に就て学べり。忠興曰く、公等武功を以て封を受けらる、先業を遺てず、余暇を以て茶を烹、閑を消せらるゝことは可なり。本を遺し、末を務むることは然るべからずと。 ○忠興、其子越中守忠利に逢ふ時は、自若たり。孫の六丸に逢ふ時は、頭巾を去れり。或人其故を問ふ。忠興曰く、忠利は子なり、至つて近し、必ず敬せずともありなん、六丸は孫なり。漸々遠し、敬せずんばあるべからずと。 ○忠興、儒学を藤原粛に受け、和歌をも善くし、散楽歌謳の類に至るまで、其奥儀を窮めざることなし。又刀剣茶具を鑑識すること、其妙に達せり。之を業とする者、皆法を取るに至れり。騎射犬追物の礼、鎌倉将軍の時盛りに行はれしが、其後争乱久うして講習する者なく、竟に其礼を失へり。忠興、家に其籍を存せり。忠興死後、百四十年計り、斎藤権之介高寿再び二礼を興せりとぞ。 ○
書き下し
○將軍家光の頃、撐約を千利休より受けたる者は、忠興計りなり、之に依て諸大名の茶を好む者は、多く忠興に就て學べり。忠興曰く、公等武功を以て封を受けらる、先業を遺てず、餘暇を以て茶を烹、閑を消せらるゝことは可なり。本を遺し、末を務むることは然るべからずと。 ○忠興、其子越中守忠利に逢ふ時は、自若たり。孫の六丸に逢ふ時は、頭巾を去れり。或人其故を問ふ。忠興曰く、忠利は子なり、至つて近し、必ず敬せずともありなん、六丸は孫なり。漸々遠し、敬せずんばあるべからずと。 ○忠興、儒學を藤原肅に受け、和歌をも善くし、散樂歌謳の類に至るまで、其奥儀を窮めざることなし。又刀劍茶具を鑑識すること、其妙に達せり。之を業とする者、皆法を取るに至れり。騎射犬追物の禮、鎌倉將軍の時盛りに行はれしが、其後爭亂久うして講習する者なく、竟に其禮を失へり。忠興、家に其籍を存せり。忠興死後、百四十年計り、齋藤權之介高壽再び二禮を興せりとぞ。 ○
現代語訳
○将軍家光の頃、茶の湯の作法を千利休から直接受けた者は、忠興ただ一人でした。そのため諸大名で茶を好む者は、多く忠興について学びました。忠興は言いました。「諸君は武功によって封を受けられた。先祖からの事業を捨てず、余暇に茶を煮て、暇をつぶされることはよい。本を捨てて末を務めることはよろしくない」と。 ○忠興は、その子の越中守忠利に会うときは、ゆったりと構えていました。孫の六丸に会うときは、頭巾を取りました。ある人がその訳を尋ねたところ、忠興は、「忠利は子である。きわめて近い。必ず敬わなくてもよい。六丸は孫である。だんだんと遠い。敬わなければならない」と言いました。 ○忠興は、儒学を藤原惺窩に受け、和歌もよくし、散楽や歌謡の類に至るまで、その奥義を究めないものはありませんでした。また刀剣や茶具を鑑識することは、その妙に達しており、これを業とする者は、みなその法を取るに至りました。騎射・犬追物の礼は、鎌倉将軍の時に盛んに行われましたが、その後争乱が長く続いて、講習する者がなく、ついにその礼を失いました。忠興は、家にその書籍を残していました。忠興の死後、百四十年ばかりして、斎藤権之介高寿が、再びこの二つの礼を興したということです。 ○
解説

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