名将言行録 / 『名将言行録』細川忠興 下帯のない戦死者
○醫師伊藤三白、忠興に向ひ、戰の時深手負ひ又は討死せし者、何れも下帶之なき由、既に大坂夏役にも、安藤治右衞門正次が討死せし死骸を、家人兩三人にて引掛け退しを見たる者の物語に、只今討死したる者の下帶のなきと申すは如何なることやと不審せし由申候、假令分捕を致すにも甲冑か、大小の類をこそ取り申すべきことなれ、何にとも合點の參らぬ儀と申ければ、忠興成程下帶なきことは實正なり、去りながら此事は醫者杯は其理合心付き申べきと言はれしが、一向存當りなき由を申す。忠興都て人の身は血氣にて保ち居るものなり、血氣内にある時は上帶下帶とも結ばりてあるものなり、右の上帶下帶結びし儘に之あり候とも、死し候へば直ぐに肉落るものなり、中にも戰死の者は、血も多く出る間、病死せし者とは違ひ、忽ちに身も細ほり、結び付し者も、保つ樣なくして、下帶とても、落るものなり、夫故巧者なる者は、下帶の結び目と、前の方とに緒を付け、肩に掛け、或は前の垂れの端に緒を付けて、首へ掛け、もつこふんどしと申して用ひ候、是皆死後にも拔け落ちぬ用心なりと、言はれけり。
新字:○医師伊藤三白、忠興に向ひ、戦の時深手負ひ又は討死せし者、何れも下帯之なき由、既に大坂夏役にも、安藤治右衛門正次が討死せし死骸を、家人両三人にて引掛け退しを見たる者の物語に、只今討死したる者の下帯のなきと申すは如何なることやと不審せし由申候、仮令分捕を致すにも甲冑か、大小の類をこそ取り申すべきことなれ、何にとも合点の参らぬ儀と申ければ、忠興成程下帯なきことは実正なり、去りながら此事は医者杯は其理合心付き申べきと言はれしが、一向存当りなき由を申す。忠興都て人の身は血気にて保ち居るものなり、血気内にある時は上帯下帯とも結ばりてあるものなり、右の上帯下帯結びし儘に之あり候とも、死し候へば直ぐに肉落るものなり、中にも戦死の者は、血も多く出る間、病死せし者とは違ひ、忽ちに身も細ほり、結び付し者も、保つ様なくして、下帯とても、落るものなり、夫故巧者なる者は、下帯の結び目と、前の方とに緒を付け、肩に掛け、或は前の垂れの端に緒を付けて、首へ掛け、もつこふんどしと申して用ひ候、是皆死後にも抜け落ちぬ用心なりと、言はれけり。
書き下し
○醫師伊藤三白、忠興に向ひ、戰の時深手負ひ又は討死せし者、何れも下帶之なき由、既に大坂夏役にも、安藤治右衞門正次が討死せし死骸を、家人兩三人にて引掛け退しを見たる者の物語に、只今討死したる者の下帶のなきと申すは如何なることやと不審せし由申候、假令分捕を致すにも甲冑か、大小の類をこそ取り申すべきことなれ、何にとも合點の參らぬ儀と申ければ、忠興成程下帶なきことは實正なり、去りながら此事は醫者杯は其理合心付き申べきと言はれしが、一向存當りなき由を申す。忠興都て人の身は血氣にて保ち居るものなり、血氣内にある時は上帶下帶とも結ばりてあるものなり、右の上帶下帶結びし儘に之あり候とも、死し候へば直ぐに肉落るものなり、中にも戰死の者は、血も多く出る間、病死せし者とは違ひ、忽ちに身も細ほり、結び付し者も、保つ樣なくして、下帶とても、落るものなり、夫故巧者なる者は、下帶の結び目と、前の方とに緒を付け、肩に掛け、或は前の垂れの端に緒を付けて、首へ掛け、もつこふんどしと申して用ひ候、是皆死後にも拔け落ちぬ用心なりと、言はれけり。
現代語訳
○医師の伊藤三白が忠興に向かって言いました。「戦のとき、深手を負い、または討ち死にした者は、いずれも下帯がないということです。大坂夏の陣でも、安藤治右衛門正次が討ち死にした遺体を、家来の二、三人が引っかけて退くのを見た者の話に、いま討ち死にした者に下帯がないというのはどういうことかと不審がったということです。たとえ分捕りをするにしても、甲冑か大小の類をこそ取るはずで、何とも納得がいかないことです」と申しました。忠興は、「なるほど下帯がないのは本当だ。とはいえこのことは、医者などはその理に気づくはずだが」と言われましたが、三白は、全く思い当たらないと申しました。忠興は、「すべて人の身は血気で保っているものだ。血気が内にあるときは、上帯も下帯も結ばれているものだ。その上帯・下帯が結んだままであっても、死ぬとすぐに肉が落ちるものだ。なかでも戦死の者は、血もたくさん出るので、病死した者とは違い、たちまち身も細くなり、結びつけた物も、保ちようがなくなり、下帯でも落ちるものだ。そのため心得のある者は、下帯の結び目と前のほうとに紐をつけ、肩にかけ、あるいは前垂れの端に紐をつけて首にかけ、もっこふんどしといって用いる。これはみな死後にも抜け落ちない用心である」と言われました。
解説

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