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名将言行録 / 『名将言行録』細川藤孝 貧しき夜学の油

去れど、義昭暗弱の人なれば、佞人の言を信じ信長の功を忘れ、却て信長を失ふべき由を企てたり。藤孝之を諫めけれども、更に用ひず、信長之を聞き、軍勢餘多引具して上京す。藤孝も信長の陣に參り、大津にて行逢ひ、打連れて都に入る。義昭打負け、和睦のこと申入られしかば信長も軍兵を引て歸る。程なく又軍起されしかば、信長大に怒て、宇治槙島淀等の城々を攻落す。義昭、命のことをば如何にも助け賜はるべき由を色々に歎き申されしに依て、信長も失ひ申までのこともなく、河內、若江の城に送り入れ、徒黨せし者共を悉く退治して、本國に歸る。斯く二度まで信長を失ふべしと結構ありしかども、何の惡なく、都を開かれしこと、內々は藤孝が信長に就て兎角捗へし故なりとぞ聞えける。 ○藤孝、近江の朽木谷に在りし時、殊の外貧くて、夜學の油を求むべき價なし。詮方なく、或社頭の燈明の油を忍〳〵に盜みて、讀書せしに、再々のことなりければ、社人も怪み番をしけるを、藤孝知らず、又行く所を見れば、日頃知りたる藤孝なり。是は意地の惡きことを爲されしと言ければ、藤孝曰く、意地惡きにてはなし、夜學の油に事を闕きし故、神も外の盜人とは替はり、御免しあるべくと思ひて取りたる由答ければ、社人も夫れ程不自由にあるべしとは存ぜずと言て油一德利贈りぬ。夫にて寬々と夜學せしとぞ。

新字:去れど、義昭暗弱の人なれば、佞人の言を信じ信長の功を忘れ、却て信長を失ふべき由を企てたり。藤孝之を諫めけれども、更に用ひず、信長之を聞き、軍勢余多引具して上京す。藤孝も信長の陣に参り、大津にて行逢ひ、打連れて都に入る。義昭打負け、和睦のこと申入られしかば信長も軍兵を引て帰る。程なく又軍起されしかば、信長大に怒て、宇治槙島淀等の城々を攻落す。義昭、命のことをば如何にも助け賜はるべき由を色々に嘆き申されしに依て、信長も失ひ申までのこともなく、河内、若江の城に送り入れ、徒党せし者共を悉く退治して、本国に帰る。斯く二度まで信長を失ふべしと結構ありしかども、何の悪なく、都を開かれしこと、内々は藤孝が信長に就て兎角捗へし故なりとぞ聞えける。 ○藤孝、近江の朽木谷に在りし時、殊の外貧くて、夜学の油を求むべき価なし。詮方なく、或社頭の灯明の油を忍〳〵に盗みて、読書せしに、再々のことなりければ、社人も怪み番をしけるを、藤孝知らず、又行く所を見れば、日頃知りたる藤孝なり。是は意地の悪きことを為されしと言ければ、藤孝曰く、意地悪きにてはなし、夜学の油に事を闕きし故、神も外の盗人とは替はり、御免しあるべくと思ひて取りたる由答ければ、社人も夫れ程不自由にあるべしとは存ぜずと言て油一徳利贈りぬ。夫にて寛々と夜学せしとぞ。

書き下し

去れど、義昭暗弱の人なれば、佞人の言を信じ信長の功を忘れ、却て信長を失ふべき由を企てたり。藤孝之を諫めけれども、更に用ひず、信長之を聞き、軍勢餘多引具して上京す。藤孝も信長の陣に參り、大津にて行逢ひ、打連れて都に入る。義昭打負け、和睦のこと申入られしかば信長も軍兵を引て歸る。程なく又軍起されしかば、信長大に怒て、宇治槙島淀等の城々を攻落す。義昭、命のことをば如何にも助け賜はるべき由を色々に歎き申されしに依て、信長も失ひ申までのこともなく、河內、若江の城に送り入れ、徒黨せし者共を悉く退治して、本國に歸る。斯く二度まで信長を失ふべしと結構ありしかども、何の惡なく、都を開かれしこと、內々は藤孝が信長に就て兎角捗へし故なりとぞ聞えける。 ○藤孝、近江の朽木谷に在りし時、殊の外貧くて、夜學の油を求むべき價なし。詮方なく、或社頭の燈明の油を忍〳〵に盜みて、讀書せしに、再々のことなりければ、社人も怪み番をしけるを、藤孝知らず、又行く所を見れば、日頃知りたる藤孝なり。是は意地の惡きことを爲されしと言ければ、藤孝曰く、意地惡きにてはなし、夜學の油に事を闕きし故、神も外の盜人とは替はり、御免しあるべくと思ひて取りたる由答ければ、社人も夫れ程不自由にあるべしとは存ぜずと言て油一德利贈りぬ。夫にて寬々と夜學せしとぞ。

現代語訳

しかし、義昭は暗愚の人だったので、おべっか使いの言葉を信じて信長の功を忘れ、かえって信長を討つ企てをしました。藤孝はこれをいさめましたが、まったく聞き入れず、信長はこれを聞いて、軍勢を大勢連れて上京しました。藤孝も信長の陣に参り、大津で行き会って、連れ立って都に入りました。義昭は負けて、和睦を申し入れたので、信長も軍勢を引いて帰りました。ほどなくまた兵を起こしたので、信長は大いに怒り、宇治・槙島・淀などの城々を攻め落としました。義昭は、命だけはぜひ助けてくださるよう色々と嘆き申したので、信長も殺すまではせず、河内の若江の城に送り入れ、徒党を組んだ者どもをことごとく退治して、本国に帰りました。このように二度まで信長を滅ぼそうとする企てがありましたが、何事もなく、都を開かれたのは、内々には藤孝が信長についてあれこれ取りなした故だと言われました。 ○藤孝が近江の朽木谷にいたとき、ことのほか貧しく、夜学の灯油を買う金がありませんでした。しかたなく、ある社頭の灯明の油をこっそり盗んで読書しましたが、たびたびのことだったので、神職も怪しんで番をしていたのを、藤孝は知らず、また行ってみると、日ごろ知っている藤孝でした。「これは意地の悪いことをなさいましたな」と言うと、藤孝は、「意地が悪いのではない。夜学の油に事欠いたので、神も他の盗人とは違い、お許しくださるだろうと思って取ったのだ」と答えたので、神職も「それほど不自由とは存じませんでした」と言って、油を一徳利贈りました。そのおかげでのびのびと夜学ができたということです。

解説

前半は、義昭が信長と対立したとき、藤孝が双方の間に立って取りなしたと語られる部分です。後半は、近江の朽木谷で油を買う金もなく、社の灯明の油を借りて夜学したという逸話で、藤孝の学問への熱意を伝えます。盗みを咎めるより事情を聞いて油を贈った神職の応対も、人の事情に耳を傾ける大切さを示します。学ぶ意欲が先にあり、環境は後からついてきたという筋です。条件が整わないことを理由にせず、いま手の届く手段で学び続ける姿勢は、現代にも励みになります。
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この章句が説くこと

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