名将言行録 / 『名将言行録』明智光秀 天王山と使者の言葉
○施藥院秀成、秀吉に從ひ中國に在り。本能寺の報ありし時、秀吉、秀成に暇を與へ、歸京せしむ。秀成是非與に上らんと乞ふ。秀吉否々家の爲めにてある間、必ず上らるべし、道中用心の爲めとて、鎗一本を與へて、偖其方は仕合の能き人なり、此已後天下を取るべきは、某と明智なり。雙方に挨拶能ければ、家の爲めには善きぞと言はる。偖明智に傳言致すべし、毎度合戰は致せども、大將と直の太刀打を致さず二三日の内に上り、主の敵なれば直の太刀打にて勝負を決すべしとなり。光秀は、下鳥羽に陣を取て居たる所へ、秀成行て、秀吉の傳言を達す。光秀曰く、其方は仕合者なり、天下は某か築前斂取るべし、其方は誰にも挨拶能しと、秀吉の言ひしと同じ。秀成暇を告ぐ。光秀否や待たれよ盃を指んとて、盃取替はし、洛中騷がしければ、用心の爲めとて槍一本贈くる。是も秀吉と同じかりしとぞ。 ○山崎の役、光秀先づ天王山を取る者勝んと言て、前夜半計りに、松田政近に命じ、汝案內者なれば、急ぎ天王山に登り、山崎を見下し備を立、敵寄せ來らば、弓銃を打掛けよ、去る程ならば、此方の勝利疑ひなしとて、鳥銃三百挺、都合七百餘騎天王山に擧上せければ、秀吉にも先づ天王山を取る者勝んと言て、堀尾吉晴、堀秀政をして、同く天王山に上らせける。松田戰利あらずして、討死せしかども、英雄の見る所、暗合冥符せり。
新字:○施薬院秀成、秀吉に従ひ中国に在り。本能寺の報ありし時、秀吉、秀成に暇を与へ、帰京せしむ。秀成是非与に上らんと乞ふ。秀吉否々家の為めにてある間、必ず上らるべし、道中用心の為めとて、鎗一本を与へて、偖其方は仕合の能き人なり、此已後天下を取るべきは、某と明智なり。双方に挨拶能ければ、家の為めには善きぞと言はる。偖明智に伝言致すべし、毎度合戦は致せども、大将と直の太刀打を致さず二三日の内に上り、主の敵なれば直の太刀打にて勝負を決すべしとなり。光秀は、下鳥羽に陣を取て居たる所へ、秀成行て、秀吉の伝言を達す。光秀曰く、其方は仕合者なり、天下は某か築前斂取るべし、其方は誰にも挨拶能しと、秀吉の言ひしと同じ。秀成暇を告ぐ。光秀否や待たれよ盃を指んとて、盃取替はし、洛中騷がしければ、用心の為めとて槍一本贈くる。是も秀吉と同じかりしとぞ。 ○山崎の役、光秀先づ天王山を取る者勝んと言て、前夜半計りに、松田政近に命じ、汝案内者なれば、急ぎ天王山に登り、山崎を見下し備を立、敵寄せ来らば、弓銃を打掛けよ、去る程ならば、此方の勝利疑ひなしとて、鳥銃三百挺、都合七百余騎天王山に挙上せければ、秀吉にも先づ天王山を取る者勝んと言て、堀尾吉晴、堀秀政をして、同く天王山に上らせける。松田戦利あらずして、討死せしかども、英雄の見る所、暗合冥符せり。
書き下し
○施藥院秀成、秀吉に從ひ中國に在り。本能寺の報ありし時、秀吉、秀成に暇を與へ、歸京せしむ。秀成是非與に上らんと乞ふ。秀吉否々家の爲めにてある間、必ず上らるべし、道中用心の爲めとて、鎗一本を與へて、偖其方は仕合の能き人なり、此已後天下を取るべきは、某と明智なり。雙方に挨拶能ければ、家の爲めには善きぞと言はる。偖明智に傳言致すべし、毎度合戰は致せども、大將と直の太刀打を致さず二三日の内に上り、主の敵なれば直の太刀打にて勝負を決すべしとなり。光秀は、下鳥羽に陣を取て居たる所へ、秀成行て、秀吉の傳言を達す。光秀曰く、其方は仕合者なり、天下は某か築前斂取るべし、其方は誰にも挨拶能しと、秀吉の言ひしと同じ。秀成暇を告ぐ。光秀否や待たれよ盃を指んとて、盃取替はし、洛中騷がしければ、用心の爲めとて槍一本贈くる。是も秀吉と同じかりしとぞ。 ○山崎の役、光秀先づ天王山を取る者勝んと言て、前夜半計りに、松田政近に命じ、汝案內者なれば、急ぎ天王山に登り、山崎を見下し備を立、敵寄せ來らば、弓銃を打掛けよ、去る程ならば、此方の勝利疑ひなしとて、鳥銃三百挺、都合七百餘騎天王山に擧上せければ、秀吉にも先づ天王山を取る者勝んと言て、堀尾吉晴、堀秀政をして、同く天王山に上らせける。松田戰利あらずして、討死せしかども、英雄の見る所、暗合冥符せり。
現代語訳
施薬院秀成は、秀吉に従って中国地方にいました。本能寺の知らせがあったとき、秀吉は秀成に暇を与えて京へ帰らせました。秀成は、ぜひ一緒に上りたいと願いました。秀吉は、いやいや、家のためだから、必ず上りなさい、道中の用心にと槍を一本与え、さらに、お前は運のよい人だ、これから後、天下を取るのは私と明智だろう。双方に挨拶がよくできるので、家のためにはよいぞと言いました。さて明智に伝言してくれ、毎度合戦はするが、大将と直接太刀打ちをしたことがない。二、三日のうちに上るので、主君の敵なので直接の太刀打ちで勝負を決めよう、とのことでした。光秀は下鳥羽に陣を取っていたところ、秀成が行って秀吉の伝言を伝えました。光秀は、お前は運のよい者だ、天下は私か筑前が取るだろう、お前は誰にも挨拶がよい、と、秀吉が言ったのと同じことを言いました。秀成は暇を告げました。光秀は、いやしばらく待たれよ、杯を差そうと言って、杯を取り交わし、洛中が騒がしいので用心にと、槍を一本贈りました。これも秀吉と同じだったということです。 山崎の戦いで、光秀は、まず天王山を取る者が勝つと言って、前夜の半ばごろに、松田政近に命じ、お前は案内者だから、急いで天王山に登り、山崎を見下ろして陣を立て、敵が寄せてきたら弓や鉄砲を撃ちかけよ、そうすれば我が方の勝利は疑いないと言って、鉄砲三百挺、都合七百余騎を天王山に上げましたが、秀吉も、まず天王山を取る者が勝つと言って、堀尾吉晴・堀秀政に、同じく天王山へ上らせました。松田は戦況が悪く討ち死にしましたが、英雄の見るところは、ぴたりと合ったのでした。
解説

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