名将言行録 / 『名将言行録』明智光秀 六年の遊歴を語る
○義景、嘗て光秀を召し、汝兵學修行として、諸國を經歷すと聞けり、委く語り聞かすべしと言ければ、光秀辭退に及び難く、弘治二年の秋、美濃より越前へ來り、同三年北陸より東山、東海を歷て五畿に出で、夫より山陽、西海、南海を歷て漸く六年に及びて、越前へ歸りし始末を物語するに、國風を始め、家々の法式より、國を治め、地を拓きし次第、并に諸家の家老及び、武功の兵士等の假名、實名まで一家にて五十人、三十人づゝを物語りし上に、手留の日記を進呈せしかば、義景大に歎服せり。
新字:○義景、嘗て光秀を召し、汝兵学修行として、諸国を経歴すと聞けり、委く語り聞かすべしと言ければ、光秀辞退に及び難く、弘治二年の秋、美濃より越前へ来り、同三年北陸より東山、東海を歴て五畿に出で、夫より山陽、西海、南海を歴て漸く六年に及びて、越前へ帰りし始末を物語するに、国風を始め、家々の法式より、国を治め、地を拓きし次第、并に諸家の家老及び、武功の兵士等の仮名、実名まで一家にて五十人、三十人づゝを物語りし上に、手留の日記を進呈せしかば、義景大に嘆服せり。
書き下し
○義景、嘗て光秀を召し、汝兵學修行として、諸國を經歷すと聞けり、委く語り聞かすべしと言ければ、光秀辭退に及び難く、弘治二年の秋、美濃より越前へ來り、同三年北陸より東山、東海を歷て五畿に出で、夫より山陽、西海、南海を歷て漸く六年に及びて、越前へ歸りし始末を物語するに、國風を始め、家々の法式より、國を治め、地を拓きし次第、并に諸家の家老及び、武功の兵士等の假名、實名まで一家にて五十人、三十人づゝを物語りし上に、手留の日記を進呈せしかば、義景大に歎服せり。
現代語訳
義景が、かつて光秀を呼んで言いました。お前は兵学の修行として諸国を経歴したと聞いている、詳しく語って聞かせよ、と。光秀は辞退しがたく、弘治二年の秋、美濃から越前へ来て、同三年に北陸から東山、東海を経て五畿に出て、それから山陽・西海・南海を経てようやく六年に及び、越前へ帰るまでの経緯を物語りました。国の風俗をはじめ、家々の法式から、国を治め、土地を開いた次第、並びに諸家の家老や武功の兵士たちの通称・実名まで、一家で五十人、三十人ずつ物語った上に、手元の日記を進呈したので、義景は大いに感服しました。
解説

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