言志四録 / 言志晩録 第八十八条 武技を観るも亦学
余好觀演武技。觀之不以目而以心。必先収呼吸。以邀渠呼吸。不問勝敗。而視其順逆。甚適也。此亦是學。
新字:余好観演武技。観之不以目而以心。必先収呼吸。以邀渠呼吸。不問勝敗。而視其順逆。甚適也。此亦是学。
書き下し
余好んで武技を演ずるを観る。之を観るに目を以てせずして心を以てす。必ず先づ呼吸を収めて、以て渠が呼吸を邀ふ。勝敗を問はずして、其の順逆を視る。甚だ適なり。此れも亦是れ学なり。
現代語訳
私は武芸の演武を見るのが好きである。見るときは目で見るのではなく、心で見る。必ずまず自分の呼吸を整え、それで演じる者の呼吸を迎え取る。勝ち負けは問わず、その動きが理にかなっている(順)か逆らっている(逆)かを見る。たいへん心にかなう楽しみである。これもまた学問である。
解説
晩年の一斎が武芸の演武を見る楽しみを語った条です。見方が独特で、目で追うのではなく心で観る。まず自分の呼吸を収め、演者の呼吸に合わせて迎え取る。そして勝ち負けではなく、動きが理に順っているか逆らっているかを見ると言います。先の臍下丹田や呼吸の条と通じる身体観で、武技の中に心の工夫を見ているのです。「此れも亦是れ学なり」の一言に、学問を書物の中だけに閉じ込めない一斎の姿勢が表れています。結果の勝敗より過程の筋のよしあしを見るという観方は、人の仕事ぶりを評価するときにも示唆があります。成果の数字の裏にある動きの質を、どれだけ見ているでしょうか。
この章句が説くこと
観察呼吸順逆武芸学問
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