名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 弱い訴えを聞き、虚言を見破る
○又一日鷹野に出でし時、一人の老婆の泣き悲むあり。如何なる者ぞと尋ねさせければ、我等先祖より一所持來りし田畠を、里の長に押領せられ、飢寒に迫りて、斯の如しと、落淚に及ぶと言ふ。信長不便に思ひ歸城の後、丹羽長秀に命じ、先づ此老婆のこと穿鑿ありて里長を呼寄せ糺明を遂げるが、老婆の言ひしに紛れなければ、早々彼地を老婆が方に還させけり。遠近傳へて、其公正に服せり。 ○天正の初、廻國の僧無邊と云ふ者あり。吾は生所も父母もなし、一所不住なり、吾に不思議祕法あり、之を傳授かる人は、現世は無數の患難を遁れ、末世は無量の罪障を滅すと披露しければ、在々所々の男女甚だ信仰して、散錢散米等席上に充滿すれども目も掛けず捨て置、一村一鄕に一日二日づゝ滯留し、夕に來り朝に去る。或時安士に來るを、信長聞て急ぎ呼べとて呼ばれけり。廐に出る時、立ちながら無邊とは奴がことかと言睨み、客僧生國はと問ひければ、無邊と答ふ。無邊と曰ふ所は、唐土の內か、天竺の內かと問ふに、天にもあらず、地にもあらず、又空にもあらずと答ふ。天地を外づして何の所に安身立命するやと問ひければ、差支、物を言はず。有情無情に至るまで、天地を離るゝことなし、偖は汝化生變化の者か、いで試みんとて、馬の灸する鐵を燒て面上に當てんとさせければ、是は出羽の羽黑山のものなりと戰慄して申けり。此比弘法大師の再誕なりとて、奇特を多く見せたる由、信長にも奇特を見せよと責詰めければ、一言の返答をも申得ず。筒様の賣僧恣に徘徊させなば、諸人猥りに神佛を祈り、筋なき福を祈り願ふべし、尤も世の費なり、只信長が手に掛りて、其後神通力を以て再生して見せよと言て、立どころに誅せられけり。
新字:○又一日鷹野に出でし時、一人の老婆の泣き悲むあり。如何なる者ぞと尋ねさせければ、我等先祖より一所持来りし田畠を、里の長に押領せられ、飢寒に迫りて、斯の如しと、落涙に及ぶと言ふ。信長不便に思ひ帰城の後、丹羽長秀に命じ、先づ此老婆のこと穿鑿ありて里長を呼寄せ糺明を遂げるが、老婆の言ひしに紛れなければ、早々彼地を老婆が方に還させけり。遠近伝へて、其公正に服せり。 ○天正の初、廻国の僧無辺と云ふ者あり。吾は生所も父母もなし、一所不住なり、吾に不思議秘法あり、之を伝授かる人は、現世は無数の患難を遁れ、末世は無量の罪障を滅すと披露しければ、在々所々の男女甚だ信仰して、散銭散米等席上に充満すれども目も掛けず捨て置、一村一郷に一日二日づゝ滞留し、夕に来り朝に去る。或時安士に来るを、信長聞て急ぎ呼べとて呼ばれけり。厩に出る時、立ちながら無辺とは奴がことかと言睨み、客僧生国はと問ひければ、無辺と答ふ。無辺と曰ふ所は、唐土の内か、天竺の内かと問ふに、天にもあらず、地にもあらず、又空にもあらずと答ふ。天地を外づして何の所に安身立命するやと問ひければ、差支、物を言はず。有情無情に至るまで、天地を離るゝことなし、偖は汝化生変化の者か、いで試みんとて、馬の灸する鉄を焼て面上に当てんとさせければ、是は出羽の羽黒山のものなりと戦慄して申けり。此比弘法大師の再誕なりとて、奇特を多く見せたる由、信長にも奇特を見せよと責詰めければ、一言の返答をも申得ず。筒様の売僧恣に徘徊させなば、諸人猥りに神仏を祈り、筋なき福を祈り願ふべし、尤も世の費なり、只信長が手に掛りて、其後神通力を以て再生して見せよと言て、立どころに誅せられけり。
書き下し
○又一日鷹野に出でし時、一人の老婆の泣き悲むあり。如何なる者ぞと尋ねさせければ、我等先祖より一所持來りし田畠を、里の長に押領せられ、飢寒に迫りて、斯の如しと、落淚に及ぶと言ふ。信長不便に思ひ歸城の後、丹羽長秀に命じ、先づ此老婆のこと穿鑿ありて里長を呼寄せ糺明を遂げるが、老婆の言ひしに紛れなければ、早々彼地を老婆が方に還させけり。遠近傳へて、其公正に服せり。 ○天正の初、廻國の僧無邊と云ふ者あり。吾は生所も父母もなし、一所不住なり、吾に不思議祕法あり、之を傳授かる人は、現世は無數の患難を遁れ、末世は無量の罪障を滅すと披露しければ、在々所々の男女甚だ信仰して、散錢散米等席上に充滿すれども目も掛けず捨て置、一村一鄕に一日二日づゝ滯留し、夕に來り朝に去る。或時安士に來るを、信長聞て急ぎ呼べとて呼ばれけり。廐に出る時、立ちながら無邊とは奴がことかと言睨み、客僧生國はと問ひければ、無邊と答ふ。無邊と曰ふ所は、唐土の內か、天竺の內かと問ふに、天にもあらず、地にもあらず、又空にもあらずと答ふ。天地を外づして何の所に安身立命するやと問ひければ、差支、物を言はず。有情無情に至るまで、天地を離るゝことなし、偖は汝化生變化の者か、いで試みんとて、馬の灸する鐵を燒て面上に當てんとさせければ、是は出羽の羽黑山のものなりと戰慄して申けり。此比弘法大師の再誕なりとて、奇特を多く見せたる由、信長にも奇特を見せよと責詰めければ、一言の返答をも申得ず。筒様の賣僧恣に徘徊させなば、諸人猥りに神佛を祈り、筋なき福を祈り願ふべし、尤も世の費なり、只信長が手に掛りて、其後神通力を以て再生して見せよと言て、立どころに誅せられけり。
現代語訳
またある日、鷹狩りに出たとき、一人の老婆が泣き悲しんでいました。どういう者かと尋ねさせると、私どもは先祖から持ち続けてきた一か所の田畑を、里の長に押領され、飢えと寒さに迫られてこのようになりました、と涙を流して言います。信長は気の毒に思い、帰城の後、丹羽長秀に命じて、まずこの老婆のことを詮議し、里長を呼んで糺明を遂げさせたところ、老婆の言うことに間違いはなく、すぐにその土地を老婆の方に返させました。遠近の人が伝え聞き、その公正に感服しました。 天正の初め、無邊という巡礼の僧がいました。私は生まれた所も父母もなく、一所不住である、私には不思議な秘法があり、これを伝授された人は、現世では無数の災難を逃れ、来世では限りない罪の障りを消すと触れ回ったので、あちこちの男女が深く信仰し、銭や米が席上に満ちましたが、目もかけずに捨て置き、一つの村、一つの郷に一日二日ずつ滞在して、夕方に来て朝には去るというふうでした。ある時、安土に来たのを、信長は聞いて急いで呼べと言って呼びました。厩に出るとき、立ったまま、無邊とはお前のことかと睨んで言い、客僧の生国はどこかと問いました。無邊と答えます。無邊というのは、唐の内か、天竺の内かと問うと、天でもなく、地でもなく、また空でもないと答えました。天地を外して、いったいどこに安身立命するのかと問うと、行き詰まって物も言いません。有情も無情も天地を離れることはない、では、お前は化生変化の者か、さあ試そうと言って、馬に灸をする鉄を焼いて顔に当てようとさせると、これは出羽の羽黒山の者ですと震えて申しました。このごろ弘法大師の再来だと言って、不思議なことを多く見せたというので、信長にも不思議を見せよと責め詰めると、一言の返答もできませんでした。このような売僧を勝手に歩かせれば、人々はむやみに神仏に祈り、筋のない福を願うだろう、それは世の無駄でもある、ただ信長の手にかかり、その後、神通力で生き返ってみせよと言って、その場で誅されました。
解説

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