名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 私情を挟まない政の姿
○信長、尾張に起り、常に四方を平定するを以て志と爲し、虛美を喜ばず、廷臣或は征夷大將軍と爲るを勸む。信長吾何ぞ遽に室町の故號を襲ふことをせんと言ふ。然れども將士功あれば、則ち急に之を賞し、公廉を獎用し、政偏私なし、獄內の贖金悉く以て、道橋を修するの資と爲せり。○信長、四海騷亂の世に出で、本を勤め、國富み兵足り、軍裝の華峯なること餘國に之なし、依て北國に軍を出せし時は、敵國其兵威の盛なるを見て、鬼神の天より下りし樣に思ひしとぞ。 ○信長、足利氏に代り、近畿二十四國を平定し、政を治め法を立ること甚だ嚴なり。一錢を盜む者も死罪に行ふ。是れ一錢斬と云ふ。盜賊屏息し、驛路の側に旅人囊橐を置き、午睡する者ありても、一人も盜む者なかりけり。時人亂世の一奇事と爲す。 ○堂上の人と、北面の侍と訴論のことあり。其理非奉行所にて決斷成り難かりける故、信長直ぐに對決させ之を聞て堂上の人道理と捌く。北面の侍安からず思ひて信長の一類、織田右馬助を頼みて、色々申し密々叉訴訟す。信長大に腹立し政道明白に決せり、何ぞ私情を以て沙汰を行ふべけんやと言て、其事執し申したる右馬助を却て勘氣しけり。
新字:○信長、尾張に起り、常に四方を平定するを以て志と為し、虚美を喜ばず、廷臣或は征夷大将軍と為るを勧む。信長吾何ぞ遽に室町の故号を襲ふことをせんと言ふ。然れども将士功あれば、則ち急に之を賞し、公廉を獎用し、政偏私なし、獄内の贖金悉く以て、道橋を修するの資と為せり。○信長、四海騷乱の世に出で、本を勤め、国富み兵足り、軍装の華峯なること余国に之なし、依て北国に軍を出せし時は、敵国其兵威の盛なるを見て、鬼神の天より下りし様に思ひしとぞ。 ○信長、足利氏に代り、近畿二十四国を平定し、政を治め法を立ること甚だ厳なり。一銭を盗む者も死罪に行ふ。是れ一銭斬と云ふ。盗賊屏息し、駅路の側に旅人嚢橐を置き、午睡する者ありても、一人も盗む者なかりけり。時人乱世の一奇事と為す。 ○堂上の人と、北面の侍と訴論のことあり。其理非奉行所にて決断成り難かりける故、信長直ぐに対決させ之を聞て堂上の人道理と捌く。北面の侍安からず思ひて信長の一類、織田右馬助を頼みて、色々申し密々叉訴訟す。信長大に腹立し政道明白に決せり、何ぞ私情を以て沙汰を行ふべけんやと言て、其事執し申したる右馬助を却て勘気しけり。
書き下し
○信長、尾張に起り、常に四方を平定するを以て志と爲し、虛美を喜ばず、廷臣或は征夷大將軍と爲るを勸む。信長吾何ぞ遽に室町の故號を襲ふことをせんと言ふ。然れども將士功あれば、則ち急に之を賞し、公廉を獎用し、政偏私なし、獄內の贖金悉く以て、道橋を修するの資と爲せり。○信長、四海騷亂の世に出で、本を勤め、國富み兵足り、軍裝の華峯なること餘國に之なし、依て北國に軍を出せし時は、敵國其兵威の盛なるを見て、鬼神の天より下りし樣に思ひしとぞ。 ○信長、足利氏に代り、近畿二十四國を平定し、政を治め法を立ること甚だ嚴なり。一錢を盜む者も死罪に行ふ。是れ一錢斬と云ふ。盜賊屏息し、驛路の側に旅人囊橐を置き、午睡する者ありても、一人も盜む者なかりけり。時人亂世の一奇事と爲す。 ○堂上の人と、北面の侍と訴論のことあり。其理非奉行所にて決斷成り難かりける故、信長直ぐに對決させ之を聞て堂上の人道理と捌く。北面の侍安からず思ひて信長の一類、織田右馬助を頼みて、色々申し密々叉訴訟す。信長大に腹立し政道明白に決せり、何ぞ私情を以て沙汰を行ふべけんやと言て、其事執し申したる右馬助を却て勘氣しけり。
現代語訳
信長は尾張に起こり、常に四方を平定することを志とし、うわべの賞賛を喜びませんでした。廷臣のなかには征夷大将軍になることを勧める者もいました。信長は、自分がどうして急に室町の旧い称号を受け継ぐことがあろうかと言いました。しかし将士に功があれば、すぐにこれを賞し、公正で清廉な者を取り立て、政治に偏りがなく、牢内で納められた罰金はすべて道や橋を直す費用にあてました。信長は四海が騒乱する世に出て、農業を励まし、国は富み兵は足り、軍装の華やかさは他の国に並ぶものがなかったので、北国に軍を出したとき、敵国はその兵の勢いの盛んなのを見て、鬼神が天から降りたようだと思ったということです。 信長は足利氏に代わって近畿二十四国を平定し、政治を行い法を立てることはきわめて厳しいものでした。一銭を盗む者も死罪とし、これを一銭斬と呼びました。盗賊は息をひそめ、街道の脇に旅人が荷物を置いて昼寝をしていても、盗む者は一人もいませんでした。当時の人はこれを乱世の一つの珍しい出来事としました。 公家と北面の侍とが訴えを争ったことがあり、その是非が奉行所では決められなかったため、信長がすぐに両者を対決させて聞き、公家の人に理があると裁きました。北面の侍は納得できず、信長の一族の織田右馬助を頼み、いろいろ頼んでひそかに再び訴えました。信長は大いに腹を立て、政道ははっきり決まった、どうして私情で裁きを行えようかと言い、その件を取り次いだ右馬助をかえって叱りつけました。
解説

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