呻吟語 / 内篇・應務・身を是非の外に置く
置其身於是非之外,而後可以折是非之中;置其身於利害之外,而後可以觀利害之變。
新字:置其身於是非之外,而後可以折是非之中;置其身於利害之外,而後可以観利害之変。
書き下し
其の身を是非の外に置きて、而る後に以て是非の中を折る可し。其の身を利害の外に置きて、而る後に以て利害の變を觀る可し。
現代語訳
自分の身を是非の外に置いて、その後で初めて是非の当たりどころを断ずることができます。自分の身を利害の外に置いて、その後で初めて利害の移り変わりを観ることができます。
解説
判定する者の位置を指定します。是非を断ずるには是非の外に、利害を観るには利害の外に立つ。中にいる限り、自分の立場が判定を歪めるからです。裁く者が当事者であってはならないという原則を、二十数字で示した形になっています。前に出てきた、肩入れする心を持つなという段の、より根本的な言い方です。裁く者が当事者であってはならないという原則です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
公平当事者位置判定距離
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