名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 解かれた縄と名跡の継承
○此役、赤地緞子の下帶したる武者を生擒たり。其名を問へど答へず。德川家康見て腹を切らせ申べく間、名告れと言はれければ、多田久藏と答ふ。信長、聞て美濃の者なり、我家に居よと謂はる。久藏、一度繩に掛りて、何とて御奉公申んと言ふ。信長昔も鈴木は繩を掛けらるゝも、今に譽れの名を殘せり。苦しからざる間、居り候へと言て、繩を解かしむ。暫くして物陰にて騷敷音せり。何事ぞと問ふに、只今の人繩を解きければ、長柄を取て三人まで突殺すの間、則ち殺したると申す。信長一度繩に掛りたる辱を雪んと斯の如く、假命徒若黨杯は突殺しても、苦しからざる間、其儘助け置くものをと惜まれしとぞ。 ○信長、信忠をして秋田城介に爲し、又西海の豪姓多く絶て嗣なきを以て、諸功臣をして、之を繼がしめんと欲し、則ち命じて其姓を冒さしむ。明智光秀、惟任氏を冒す。塙直正、原田氏を冒す。簗田政綱、別喜氏を冒す。丹羽長秀、惟任氏を冒す。是時に當り、織田氏の國天下の衢路に橫塞せり。信長、東國の鷹馬を以て、西國に贈遺し、西國の虎豹皮を以て東國に贈遺す。贈遺を得る者は、皆信長、旣に其地を略有すと思へり。
新字:○此役、赤地緞子の下帯したる武者を生擒たり。其名を問へど答へず。徳川家康見て腹を切らせ申べく間、名告れと言はれければ、多田久蔵と答ふ。信長、聞て美濃の者なり、我家に居よと謂はる。久蔵、一度縄に掛りて、何とて御奉公申んと言ふ。信長昔も鈴木は縄を掛けらるゝも、今に誉れの名を残せり。苦しからざる間、居り候へと言て、縄を解かしむ。暫くして物陰にて騷敷音せり。何事ぞと問ふに、只今の人縄を解きければ、長柄を取て三人まで突殺すの間、則ち殺したると申す。信長一度縄に掛りたる辱を雪んと斯の如く、仮命徒若党杯は突殺しても、苦しからざる間、其儘助け置くものをと惜まれしとぞ。 ○信長、信忠をして秋田城介に為し、又西海の豪姓多く絶て嗣なきを以て、諸功臣をして、之を継がしめんと欲し、則ち命じて其姓を冒さしむ。明智光秀、惟任氏を冒す。塙直正、原田氏を冒す。簗田政綱、別喜氏を冒す。丹羽長秀、惟任氏を冒す。是時に当り、織田氏の国天下の衢路に横塞せり。信長、東国の鷹馬を以て、西国に贈遺し、西国の虎豹皮を以て東国に贈遺す。贈遺を得る者は、皆信長、既に其地を略有すと思へり。
書き下し
○此役、赤地緞子の下帶したる武者を生擒たり。其名を問へど答へず。德川家康見て腹を切らせ申べく間、名告れと言はれければ、多田久藏と答ふ。信長、聞て美濃の者なり、我家に居よと謂はる。久藏、一度繩に掛りて、何とて御奉公申んと言ふ。信長昔も鈴木は繩を掛けらるゝも、今に譽れの名を殘せり。苦しからざる間、居り候へと言て、繩を解かしむ。暫くして物陰にて騷敷音せり。何事ぞと問ふに、只今の人繩を解きければ、長柄を取て三人まで突殺すの間、則ち殺したると申す。信長一度繩に掛りたる辱を雪んと斯の如く、假命徒若黨杯は突殺しても、苦しからざる間、其儘助け置くものをと惜まれしとぞ。 ○信長、信忠をして秋田城介に爲し、又西海の豪姓多く絶て嗣なきを以て、諸功臣をして、之を繼がしめんと欲し、則ち命じて其姓を冒さしむ。明智光秀、惟任氏を冒す。塙直正、原田氏を冒す。簗田政綱、別喜氏を冒す。丹羽長秀、惟任氏を冒す。是時に當り、織田氏の國天下の衢路に橫塞せり。信長、東國の鷹馬を以て、西國に贈遺し、西國の虎豹皮を以て東國に贈遺す。贈遺を得る者は、皆信長、旣に其地を略有すと思へり。
現代語訳
この役で、赤地緞子の下帯をした武者を生け捕りにした。その名を問うても答えない。徳川家康が見て、腹を切らせるから名乗れと言われたので、多田久蔵と答えた。信長は聞いて、美濃の者である、我が家にいよと言われた。久蔵は、一度縄に掛かって、どうして御奉公申せましょうかと言う。信長は、昔も鈴木は縄を掛けられても、今に誉れの名を残した、苦しくないから、いよと言って、縄を解かせた。しばらくして物陰で騒がしい音がした。何事かと問うと、ただ今の人は縄を解かれると、長柄を取って三人まで突き殺したので、すぐに殺しましたと申す。信長は、一度縄に掛かった辱めをそそごうとこのようにしたのだ、ただ生き延びているだけの若党などは突き殺しても構わないから、そのまま助けておけばよかったものをと惜しまれたという。 信長は、信忠を秋田城介とし、また西国の豪族の姓が多く絶えて嗣がないので、諸功臣にこれを継がせようと思い、命じてその姓を名のらせた。明智光秀は惟任氏を名のる。塙直正は原田氏を名のる。簗田政綱は別喜氏を名のる。丹羽長秀は惟任氏を名のる。このとき織田氏の国は天下の交通の要路をふさいでいた。信長は、東国の鷹・馬を西国に贈り、西国の虎・豹の皮を東国に贈った。贈り物を得た者は、皆、信長がすでにその地を領有していると思った。
解説

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